第9話 胎動
武士道組の一件から早ひと月。
祠堂と帝の決闘は島内の力関係を傾けるには十分だった。
武士道組は平和島学園、もとい御海堂 帝の傘下となり、帝は島内最大勢力の一角を統括することとなった。もしかしたら、それこそが本当の目的だったのではないか。と乙女は考える。
平和島学園にも変化があった。一部生徒が帝の威光を浴びて気が大きくなったようで、校外での校則違反者が目に見えて増加したのである。
対応に追われる風紀委員は連日大忙しだ。
そして今日も、事件が起きる。
学園の隅、体育館の裏手で大きな爆発があった。地鳴りがしばらく続き、もうもうと煙が立ち上っている。
「またキサマか! 黒間!」
音を聞きすぐさま駆けつけたのは、風紀委員会室で事務処理をしていた乙女だ。爆心地に立っているのは浪漫と、3年C組の
浪漫は転校以来この方、問題を起こさなた日のほうが少ない。
「黙ってな! こいつは俺の喧嘩だぜ!」
「喧嘩をするなと言っているんだ!」
転校時の実力テストでは、並外れた身体能力と国からの補助で財力を持っていたためCクラスへと転入。しかし違反に次ぐ違反を重ね、転校からたったの一週間でHクラスまで落ちぶれた。それでも浪漫の問題行動は留まることを知らず、毎日喧嘩に明け暮れる日々だった。
「知ってるか、マグロってのは泳いでないと死ぬらしいぜ」
「キサマは死ぬのか喧嘩しないと!」
「ああ死ぬね!」
「一年坊主が! 調子に乗るなァ!」と道地が割り込む。
「どっちがだッ!」
手から炎を噴出させ激高する道地を乙女が一蹴。弾き飛ばされた道地は体育館の壁に突き刺さり、ピクリとも動かなくなった。
「風紀委員が来たんだからせめて喧嘩を止めろ! ああもう、キサマが絡むといつもこうだ! 見ろ! 体育館に穴が空いてしまったぞ!」
「いやそれはお前がやったんだろ」
「問答無用! しゅくせーする!」
「やめろやめろ! 女を殴る趣味はねェ」
「馬鹿にするなァ!」
乙女が刀を振り回し追い立て、浪漫は迷惑だと文句を言いながらも笑顔で、しかも余裕で逃げ切る。ここ一ヶ月でその光景はもはや日常の一部となっていた。
**********
「なんなんだアイツはー!」
風紀委員の仕事を終え、乙女オト小糸の三人は学園から少し離れたファミレスでおしゃべりをしていた。よほど鬱憤が溜まっていたのだろう。メロンソーダを飲み干しコップを力強く机に置くと酔っぱらいのように「わぁ!」と吠える。
「毎日毎日よく飽きないっスね、あの男も、姐さんも」
小糸がドリンクバーから戻るなり、ため息混じりに呟いた。
「それ……なに、入れたの……?」
小糸の趣味はドリンクバーのミックスジュース作りだ。此度その手に持っているものは何故か粘度が高く、土とスライムを混ぜたような全く食欲をそそらない色合いの液体であった。
「りんご、ぶどう、野菜ジュースとカルピス、コーラを少々と仕上げにレモンを入れてみました!」
「汚水……」
「飲み物の色じゃないぞこれ」
「いや意外とイケるっスよ」
ちゅーちゅーと謎汁を胃に流し込む小糸。毒以外ならなんでもいけるのでは無いだろうか。とオトは少し引く。
「んで、姐さん。今日も逃げられたっスか?」
乙女はバツが悪そうにメロンソーダをブクブクと泡立てて答えた。
「アピールが足りないんじゃないっスか? もっと大胆に、こう胸元バーンと出すとか……って姐さんじゃ意味ないっスね」
「小糸に言われたくない! って何の話だ!」
「黒間君が……乙女の恋心に気づいてくれない、って……話」
「な──ななな違わい! なんでわたしがあんなヤツ!」
顔を真っ赤にして首を振ったり手を振ったりと大忙しの乙女。これほどわかりやすいツンデレ少女もなかなか居るまい。
「いっそ直接言えばいいんじゃないっスかね」
「だーかーらぁ!」
(確かに思い返せば、最近は黒間のことばかりを考えているような……っていやいや違う違う! これは風紀委員長として仕事のことを考えてるだけだから! 断じて無い! ──断じて!)
なんてひとりで考え込みながら百面相する乙女。その様子を可愛いなあなんて見守る小糸とオト。そんな些細な日常を過ごす三人に、一本の電話がかかってきた。
「もしもし?! ……ああ、ああ、分かった。今近くにいるからわたしが行こう。そのまま見張っていてくれ」
「なに?」
「仕事だ」
えぇ~!と脱力するふたりを引っ張り、乙女はファミレスを後にした。
**********
日はすっかり暮れて、繁華街は艶やかなネオンの光に包まれていた。昼間のアーケードに対して夜の繁華街は酔っ払いや不良学生に溢れ、悪事を企てるには絶好の場所だと言える。
そこから裏路地へ一本逸れれば喧騒と暗闇に紛れる事が出来る。
そこへ、コソコソと挙動不審に入り込む3つの影があった。
「やあ、待ってたよ」
路地裏の影からひとりの少年が姿を現した。どうやら彼らは待ち合わせをしていたようだ。こんな分かりにくい暗がりを指定するということは、良からぬ密会であろうことは容易に想像がつく。
「例のものは?」
「ここに。それより、ちゃんと金は持ってきたんだろうな」
「ああ──ほらよ」
「へへ、今後とも宜しく頼むぜ」
少年たちがなにやら封筒を手渡し合う。中に入っているのは片やノート、片や紙幣であった。
「全員動くな! 風紀委員だ!」
それを確認したところでライトアップ。仁王立ちした乙女が路地裏へ参上した。腕の腕章を見せ、少年たちを威嚇する。
「
「風紀委員長!?」
「お、お前ら! つけられてたな!」
「くそっ! 逃げろ!」
「逃さないっスよ」
少年たちは裏路地の奥へ逃げようとするが、既に小糸が糸を張り逃げ道を塞いでいる。乙女と小糸が挟み込み、頭上にもオトが控えている。逃げ場は完全に無かった。
「なんでよりによって風紀委員長達が……」
「運が無かったっスね」
「おとなしくしろ! 抵抗しなければ怪我は少なくてすむ!」
「どっちにしろ怪我はすんのかよ!」
「当然だ!」
乙女が刀を手にしようとした、その瞬間──路地裏を煙幕が埋め尽くした。
「何だ!」「こっちだ!」「何も見えないっス!」
「待て!」
乙女が刃を重ね扇子を作ると煙を扇いで散らす。しかし既に、少年たちの姿はそこにはなかった。
「オト!」
「足音が5つ……南西に100m」
オトの指示に従い路地裏を駆け抜ける。オトの探知能力にかかれば追いつくのに1分とかからなかった。
「キサマ……三日月か?」
少年たちを逃した犯人は、ひと月前に朝会で大暴れしたことで記憶に新しい、2年Hクラスの三日月 香月であった。
しかし、その風体には違和感があった。頬は痩せこけ髪は驚くほどに脱色している。疲れているような、老け込んでいるような印象。しかし、たったひと月でここまで変わるものだろうか。
「お前らは逃げろ!」
香月は時間稼ぎとなるべく、乙女たちに相対する。
「ほんのひと月前にわたしに惨敗した男が、わたし達3人を食い止められるとでも思っているのか!」
しかし、今は目の前の規則違反者の粛清が先である。Hクラスに落ちたことで苦労しているのかは知らないが、香月に構っている暇は無い。
「やってやるよ、これ以上テメェらの好きにはさせねェ!」
「まるでヒーローだな……!」
乙女たちは3人同時に駆け出した。乙女は正面から、オトと小糸は壁を駆け抜ける。
「ひとりも通さねぇ!」香月は抜け道を塞ぐようにアウラを放とうとするが、その考えは誤りだった。
3人が同時に飛びかかる。乙女の刀が、小糸の糸が、オトの暗器が襲いかかる。
すぅ、と香月は一呼吸し、目を見開いた。
爆発を小刻みに起こし反動で身体を動かす。そしてその爆風は同時に攻撃への牽制となり、乙女たちは攻撃の手を緩めざるを得なくなった。その隙を突くように香月は迫る攻撃を弾き飛ばし、鮮やかに3人の猛攻をくぐり抜けた。
更に立て直す間を与えぬよう、すぐさま反撃。最も厄介な乙女の腹部に手のひらを押し当て爆破。乙女の身体が宙を舞う。ついで小糸の足を掴む。ブンと振り回しオトへぶつける。同時にふたりを爆破し、地面へ叩きつけた。
「キサマ……! よくもふたりを!」
以前とはまるで動きが違う。乙女に負けて猛特訓でもしたのか、別人の様な強さだった。
乙女が居合の構えを取る。あのときと同じだ。乙女の家系は代々『早乙女流』という剣術を教える道場である。中でも乙女が得意としていたのは居合の型。アウラを身に着けた今であっても、それは変わっていない。
一閃。
3人の猛攻を防ぐほどに成長した香月に同じ技が通じるかは分からない。だがこれが今の乙女が出せる最高の技。出し惜しみする余裕は無かった。
香月が防御するために身体を動かした。反応速度が段違いだ。おそらく防がれるだろう。
乙女は更に力を振り絞り動きを加速しようとする。
だがその瞬間、異変が起きた。
「ぐっ……うぅ!」
突然香月が苦しみだしたのだ。脇腹を抱え、その場にうずくまる。
どうも様子がただ事ではない。不穏な様子に乙女は刀を消し、追っている4人のことも忘れて香月へ駆け寄った。
「おい、どうした!」
香月は意識が朦朧としているのか大きく頭を揺らし、今にも失神しそうである。
乙女は香月を支えて地面へ横たえた。抑えている脇腹に異常があるのか。
乙女が半ば強引に服を剥がすと、その光景に言葉を失った。
脇腹のあたりから徐々に、灰になっている様に見えた。肌は燃え尽きたように白く、皮膚は薄皮から徐々に剥がれ始めている。血は出ていないが、そもそも血が流れているように思えなかった。
「なん、だ……これは?」
誰かのアウラによるものか。だとすれば、誰がこんな酷いことを……
「とにかく病院へ!」
救急車を呼ぼうと乙女は電話を手に立ち上がる。その乙女の足を、香月が弱々しく掴んだ。
「行かせねぇ……! これ以上、あんな実験……!」
「放せ! そんなことを言っている、場合──……実験、だと?」
何かが引っかかる。
そもそも、なぜ香月はここまでしてあの4人を庇う? 『実験』『これ以上』『行かせない』……乙女たちが粛清をすることで、何かしらの実験が行われている? その結果、香月はこんなにも苦しんでいるのか……?
「──三日月、落ち着け。落ち着いて話してくれ。……実験とは、何だ」
少しは痛みが収まってきたのか、香月は乙女怪訝な顔で見つめた。
「知ら、ないのか……Hクラスで、行われている……悪魔の実験……」
「悪魔の実験だと……?」
それだけ言うと香月は大きく呻きを上げ、悶えるままに気を失った。
乙女は自分の思考をまとめきれず、しばらくその場を動くことが出来なかった。
気を失う寸前に三日月が絞り出した単語を、反芻する。
「『ハイエンド』……?」
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