第8話 決闘
時刻はすでに18時を回り、日没が近づいていた。
眩い西日を背に、平和島学園正門前には黒服の男たちがズラリと立ち並んでいた。
その中心に立っているのは無論、武士道祠堂である。
彼らの要求はたったひとつ。黒間浪漫の引き渡しだ。
戦争でもしようと言うのか、武士道組は軍隊じみた数の黒服に幹部まで数人揃えてきていた。
その突き刺すような視線を一身に受け校庭を縦断するのは我らが生徒会長、御海堂帝である。
ニコニコと貼り付けた様な笑顔を保ったまま、祠堂と向かい合う。
「これはこれは武士道組の皆さんお揃いで」
「要件は分かってるな。あの男を差し出せ」
「……理由を伺っても?」
「ウチのモンが世話になったんでな、その礼をせにゃならん」
「それは建前でしょう? わざわざそれだけのためにこんな大勢で、幹部まで引き連れて来たと?」
「ワシらにも面子っちゅうモンがある。一介の高校生、ましてノードひとりに泥塗られたとあっちゃ、意地でも拭い取りたくもなるわ」
どうやら武士道組はすでに浪漫の情報を掴んでいるらしい。
アウラを持つものをアウトローと呼ぶように、アウトローたちはアウラを持たない彼らを違う人種とみなし『ノード』と呼ぶ。差別的な用語であるため好まれてはいないが、呼び分けは出来るに越したことはない。あまり口にされないだけで、その浸透率は概ね島全域に通じている。
簡単にボロは出さないか、と帝は口を結んだ。
「彼は我が校の大切な生徒です。その件の処罰については、我が風紀委員に任せて頂きたい」
「フン、餓鬼が舐めてからに」と祠堂は小さく悪態をついた。
「駄目だ。どうしてもと言うのであれば──力づくでも奪い取る」
祠堂の言葉に、居並ぶ黒服たちが更に姿勢を正した。
誰がどう見ても、たかがひとりの子供相手に揃える勢力ではない。本当に狙いは浪漫のみであるか。
「学園へ手を出せば、他の組が黙っていないのでは?」
「その程度どうとでもなるわい」
それは断じてありえない。上位4組織はあくまで拮抗した勢力である故共存に成功している。すでに他組織に勝る力があるというのなら、手中に収めていない筈がない。
ではその自信はどこにあるのか。浪漫という少年が、どれほどの力を秘めているというのか。
あるいは、本当の狙いが浪漫ではなくこの学園自体にあるとすれば。
帝は拳を絞る。それは交渉材料になりえるものの、そう易々と口外出来ることではない。
「武士道さん。ひとつ提案がある」
慎重に、言葉は選ばねばならない。
「引き渡す気になったか?」
「──決闘をしましょう。黒間 浪漫の身柄を賭けて。僕とあなたで」
「……ぬかすな。ワシらになんのメリットが」
当然だ。わざわざ揃えた数の力。自分が出るまでも無いと考えているのに、なぜそんな決闘を受けなければならないのか。少なくとも祠堂個人としては何のメリットも無い。
「メリットならあります」
「なに?」
「あなたが勝てば、この学園の秘密をお教えしましょう」
その言葉に、祠堂の眉がピクリと反応した。
帝の予測通り、祠堂の目的は学園そのものであった。
帝は内心でほくそ笑み、交渉を続ける。
「僕が勝てば彼の身柄はこちらが預かる。あなたが勝てばこちらは彼の身柄と、学園の秘密を差し出す。破格の条件ではありませんか」
ああそれと、と帝は加える。
「交渉が決裂した場合、秘密の扉は破壊します。あなたの望みは、二度と叶わなくなるでしょう」
この交渉が断たれれば、浪漫も連れ去られ学園も荒らされるのは目に見えている。ならば、無くすつもりで交渉材料に使った方が有意義だ。
「このワシを脅す気か?」
「いいえ、あくまで交渉です」
まるで蛇と鬼。視線で射殺さん勢いで睨み合い、その笑みはもはや悪魔のようであった。
「……よかろう。小僧が、ひとかけらでもこのワシに勝てると踏んだその自惚れ、後悔させてくれるわ」
ゴキリ、祠堂は指の骨を鳴らし威嚇する。帝は「そうこなくては」と静かに笑った。
その瞬間の校庭は、さながら地獄の針山の様であった。ぶつかり合う殺気は更に研ぎ澄まされ、空気をも射殺す。春はもう過ぎたというのに、寒気すら覚えるほどだ。
既に決闘は始まっている。しかし、場は静寂に包まれていた。
先に動いたの祠堂だった。チリ、と空気が震え、全身に纏うアウラが祠堂の背後へと向けて動き出しす。
その瞬間、帝の身体が揺れた。まるで蜃気楼のように歪む。それほどの速度。帝は一瞬にして祠堂との距離を詰め、回し蹴りを打ち込む。しかし祠堂はそれを鞘で受ける。鞘をその場に固定したまま抜刀し、帝へ振り下ろした。
帝は重心を後ろへ、足を少しだけ浮かして後方へスウェー回避。両の腕を引き反動を乗せて再び距離を詰め、獣の牙が如く立てた指で嚙み切る様に祠堂へ喰らい付く。
が、祠堂の速度はそれすらをも上回った。そのまま切り裂くつもりか刃で受ける。
「──っ!」
しかし、呻いたのは祠堂の方であった。まるで鉄を打ったかのような衝撃が祠堂を駆け抜ける。鉄塊めいて強固な帝の手は切り傷ひとつ負うこと無く、祠堂を弾き飛ばした。
「【
祠堂の背後に武人が姿を現す。右へ左へ撹乱する様にステップを踏む帝の踏み込みを完全に捉えてみせた。二振りの刃が帝を切り裂く。
否
しかし、やはりその身体に傷はひとつもついていない。
「なに?」
見れば、帝の肉体はみるみるうちに膨れ上がっていた。筋肉が膨張し制服ははち切れ、その形相はさながら地獄の鬼である。
「【
それが帝のアウラであった。己の肉体を自在に改造することが出来、筋肉を肥大化させているのだ。
更に体内の物質を操作することも可能だ。帝は祠堂の攻撃に合わせ炭素を増強し凝結、瞬間的に更に硬度を高めていたのだ。その強度はダイヤモンドをも凌ぐ。
丸太の様な腕で刃を凌ぎ、帝が右ストレートを放った。
いや、届く距離ではない。
一瞬の目測ではあるが、祠堂はその腕の射程距離を既に見切っていた。あと半歩踏み込んでいれば直撃だっただろうが、なんとかその場に踏み留まる。
「ァ!?」
しかし直後、帝の拳は祠堂の顔面へ突き刺さっていた。祠堂の身体が宙を舞う。
錐揉み回転しながら地面をバウンドし、刀を突き刺して体勢を整えた。
(腕が伸びるのか!)
黒服達に緊張が走る。口にこそ出さないものの、この島で最強の一角を誇る組のトップが、ひとりの高校生に苦戦を強いられている。その事実は、彼らの信念を根底から覆しかねない衝撃だ。
「この程度かよ、武士道 祠堂!」
今の帝に、常日頃の温和な温和さは微塵も感じられなかった。まさに修羅。好戦的に口元を歪ませ、追撃せんと踏み込んだ。
「【
トドメとばかりに大きく振るわれた右ストレートは、しかしあえなく空を切る。
祠堂は既に帝の背後に居た。直後、帝の右腕から血しぶきが上がった。
「んなっ……!」
ふん、と力を込め、帝は血を止める。傷を癒やすことは出来ないが止血程度であれば容易いことだった。
帝は一度、口を結び目を開いた。
「緩んでいた危機感を戻したか。その年で大したものだ」
祠堂の腕に握られているのは、いや、祠堂を覆う武人の腕が握っているのは、一振りの大刀である。
「まさか『天神』を使うことになるとはな」
祠堂のアウラ【天帝・阿修羅】は背後霊のような武人を顕現させる能力だ。しかし、それは第1段階に過ぎない。
その先の形態【天神・閻禍羅刹】は武人の持つエネルギーを腕一本に集中。自身の右腕と刀を包み、強化する形態だ。
「だがついたな、傷は」
帝の表情にはもう余裕は感じられない。刃を受け付けないという優位性は消えた。それだけではない。放出していたエネルギーを体内へ取り込んだということは、その動きはより早く、鋭くなっているだろう。
帝は深呼吸し、膨れ上がった筋肉を抑え込んだ。
「降参か?」
「まさか」
どちらにせよ刃が通るなら、無駄な筋肉はつけないほうがいい、重りを付けてマラソンをするようなものだ。
帝は普段と遜色ないほどまでに筋肉を落とし、表情までもが少し穏やかになる。
だが闘争心だけは、更に何倍にも膨れ上がっていた。
故に不気味。祠堂は刀を構え、警戒心の糸を張る。
空気の震える音すら感じる祠堂だったが、帝は恐ろしいまでに静かだった。その様子はさながら雲。空に揺蕩っっているかのような希薄さ、そのまま空気に溶け込むかのように──
消えた。
刹那の間に帝は祠堂の背後に周る。すぐさま祠堂は刀を横薙ぎに振るうが帝は身を低くして躱す。起き上がると同時にアッパー。ヒットの瞬間だけアウラで筋肉を膨張させた。
祠堂は拳の勢いに合わせて後方へ跳ぶ。
先のストレートを食らったときも同じ様にいなしていたのだ。そうでもしなければ、今頃雑草と並んで地面に伏せていただろう。
祠堂はバク転して距離を置く、ある程度離れたところで刀を振る。
高速で振るわれた刀は真空波を生み出した。さながら飛ぶ斬撃だ。
帝は斬撃を回避しきれないと判断。振り上げた拳をそのまま正面へ広げ、手のひらに斬撃を受ける。
血しぶきが上がるが切り傷程度。血さえ止めてしまえば痛みも薄いくらいだ。
帝が腕の筋肉を収縮し正面を見るがそこには既に祠堂の姿はない。視界の端にもその姿は確認できず、となれば二択、上か後ろだ。
帝は前方へ飛び退り身体を反転。しかし、祠堂の姿はどこにもなかった。
「どこへ……?」
背後から殺気
「≪
帝は全力をこめ身体の筋肉を膨張。完全な防御の姿勢だ。
「≪
その名の如く、嵐の様な斬撃が帝を襲う。幾重にも切り傷が付けられ、徐々に肉が削がれていく
「トドメだ!」
重ね合った傷口をめがけ刀を振るう。ついに肉塊は2つに裂け、宙に別れた。
その内部、拳を引き絞る帝の姿があった。見れば、左腕が大きく切り裂かれている。左腕の筋肉のみを膨張させ、あたかも全身であるかのように見せていたのだ。
「────なにッ!」
完全に不意を突いたカウンターは避ける暇など与えない。
帝の拳が、祠堂の鳩尾へ深々と突き刺さった。
瞬間、筋肉は爆発的に膨張する。帝は巨大な拳を振りぬき、祠堂の身体は地面へと叩きつけられた。
「か、はっ……!」
だがまだ終わらない。帝は片足を大きく振り上げる。踏みつけるように振り下ろし、同時に肥大化。それはもはや巨人の足だった。
ズシン……! と地響きを起こし巨人の足は祠堂の身体を地面へめり込ませる。
帝が足を着地して確認すると、全身から血を流した祠堂の意識はすでに無かった。
「僕の勝ちですね」
誰もが呆然として息を吞む中で、あくまで穏やかな笑みを浮かべて帝は吐き捨てた。
**********
「なんだよ……今の──」
その戦闘を目の当たりにし、浪漫は愕然としていた。
「これがアウトロー同士の闘いだ。格闘術の試合や、本土の喧嘩とは訳が違う。分かったらこれからは言動に気をつけるんだな」
フフン、としたり顔で乙女が言うが、浪漫は全く見向きもしない。
「おい、聞いて……」
次の瞬間、乙女はその忠告が全て無駄であったと悟る。
浪漫は、満面の笑みを浮かべていた。目を輝かせ、帝を見つめる。
その表情に、乙女は背筋が凍るのを感じた。
その表情はまるで、新しいおもちゃを手にした幼児の様な、憧れのヒーローを見た子供のような、純粋で、盲目で、狂信的で、そして、獲物を定めた猛獣のようでもあった。
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