最終話 燈のひかり繋ぐあかりの町で
僕はその日の夜行列車で戻ることができて、何とか予選会に間に合った。
結果はベストを尽くしたとしか言いようがなかったけれど、少しずつだけど確実に記録は良くなっている。
冬休みに帰って来たとき、あれから、色々あったらしいことを話しに聞いた。
燈ちゃんと華芽里ちゃんにちょっかいを出していた奴らは、あの事件、というか事故のせいで学校と教育委員会がやっと動いて処罰されたらしい。
学校の監視も刑務所の監視並みに厳しくなり、そいつらも手を出せなくなっていた。
そいつらへの制裁どうのこうのということは、当の被害者である二人が望んでいなかったので、殆ど自然消滅のように取りざたされなくなった。
それにもうすぐ卒業と言うこともあり、このまま何事もなく終わりそうだ。
問題もほとんど解決、じゃなくて消滅して、右往左往、上に下に変動していた生活グラフは大分落ち付きを取り戻した。
生活がひと段落すると、最後に残された最大の問題に取り組むときが来たのだった。
「お父さん。会いに行こう」
燈ちゃんとお父さんはやっと引け目なく話せるようになった。
普通の家族なら産まれたときからそうなるのだろうけれど、吉良家ではようやくだ。
「誰にだ?」
「お父さんのお母さんで私のおばあちゃん。おばあちゃんの家族で私の親戚に」
そう、まだ解決していない問題が一つだけ残っていた。
一番根の深い問題、今まで疎遠になっている燈ちゃんのお父さんの家族の問題。
「いままで私に血の繋がった人たちがいるなんて知らなかった。だけど私にもいた。いるなら会いたいよ。会うまでは怖いかもしれないけど、会ってしまえば意外とことは運ぶものだよ」
「会って何を話せばいい……。もう三十年近く会っていないんだぞ」
「無理に話そうとしなくていいんだよ。ただ『久しぶり』と言うだけでいい。関係さえ繋がっていれば、いつか昔のことを笑いながら話せるときがきっと来るから。もしこのまま死んでしまったら、死の淵できっと後悔するよ」
僕をその場に立ち会わせたのは、お父さんに「いや」と言わせないためだろう。
策士。
「お母さんだって望んでいたことでしょ……。私の望みでもあるよ」
燈ちゃんのお父さんはしばらく眼を瞑って考え込んだ。
そりゃあ、何十年も会っていないのだから会いにくいのはよくわかる。
会う決意を固める方が、会うより大変なことだろう。
「わかった……。陽花里の願いだったし、それに娘も頼んでいることだしな」
燈ちゃんと燈ちゃんのお父さんは正月、数十年ぶりに実家に帰った。
兄弟たちにも出会うことができて、話をしたという。
思いのほか上手くいったようだった。
帰って来た燈ちゃんとお父さんの顔は笑顔で、上手くいったことがわかった。
人間は変わることができて、昔犯してしまった罪も償うことができる。
燈ちゃんのお父さんのお母さんも、燈ちゃんのお父さんに償うことができるし、燈ちゃんのお父さんも酷いことを言ってしまったことを償うことができる。
なんて考えてみたり。
許すことはとても難しいことだけれど、ずっと恨んでいることも難しいことなのだ。
僕ももう十八歳で、この世界の
この延長線上に大人があるのかもしれないけれど、今のままではこれから何十年経とうと、大きな子供のままな気がする。
この世界がとても大きいように、日常の中に潜んでいる色々な物事の一部しか見えていない。
どういうふうに世界が廻っているのかも知らないけれど、生きている。
少し仕組みを知っても、移ろいやすく、流動の激しいこの世界でその知識は一時の精神安定剤にしかならない。
十八歳、これから僕はこの何も知らない世界で生きて行かなければならない。
まるで地図も持たず、自家製の筏で大海原に飛び出すような不安定さ。
だけどコンパスだけは持っている。
帰る場所を指し示すコンパスを――。
燈ちゃんは高校を卒業すると看護専門学校で看護の勉強をするため、この町を出るという。
自分のように体の弱さで苦しんでいる人や、病気を抱えて苦しんでいる人を助けるために。
人一倍弱さを知っている燈ちゃんだから、苦しんでいる人に寄り添えるのだと思う。
燈ちゃんの夢が見つかってとても嬉しいけれど、何だか大事なものを失ってしまうような喪失感と、悲しさがある。
だけど今生の別れではない。
卒業したらまたこの町に戻ってくるという。
少しのお別れ。
燈ちゃんがいる場所が僕のコンパスの指し示す方角。
色々生活も、考え方も変わってしまったけど、変わらないものも確かにあって、燈ちゃんは昔からこの町が好きだし、僕もこの町が好きだ。
変わったように見えても、本質は何も変わらない。
石器時代からどれだけ文明が発展しても、人間の本質が変わらなかったのと同じだと思う。
人間の歴史が始まってから、人間は変わっていないのに、たった数年で僕たちが変わりはしない。
僕はこれからどうすればいいかな~と、色々考えるけれどまだ明確にはわかっていなくて、とりあえず航海を終えればコンパスの示す方に帰ってくるつもりだ。
「燈ちゃん」
夕日が地平線の上。
僕は昔から海に沈む夕日を眺めるのが好きだった。
悲しい気持ちになるのだけど、悲しい歌や物語を聴いたり読んだりしたくなるときがあるみたいに、感傷に浸りたいときもある。
それは昔から何も変わらない。
一つ変わったのは、一人でこの絶景を独り占めするのが好きだったのだけど、今は燈ちゃんと一緒の方がいいことだ。
「僕もこの町に必ず帰って来るから。だから……それまで待っていてくれるかな。今度はおもちゃなんかじゃなくて、本物をプレゼントするから。それまで待っていてくれるかな」
分かれるまでに伝えたかった。
伝えなければいけなかった。
燈ちゃんは、どういう意味だ、というふうに目を丸くして僕を見た。
「しばらく離ればなれになるけれど、こんな僕でよければ付き合ってくれますか」
燈ちゃんは夕日以上に顔を真っ赤にして、「うん。わ、私でよければ……」とウミネコと、カモメと、波の音にかき消されてしまいそうなほどか細い声で言った。
どれほど小さな声でも僕は聞き逃しはしなかった。
「綺麗だね。夕日」
「そうだね」
海に影を落としながら滑走するウミネコとカモメが、僕たちを祝福するように鳴き続いていた――。
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