第33話 積年の雪解け
燈ちゃんのお父さんは僕にすべての話を語り終えた。
それは一人の人間が、色々な苦しみを背負い、傷つき、受け入れてきた半生。
燈ちゃんはずっと、自分が父親に愛されていないのではないかと傷ついてきた。
自分の名前に火が付いていることをずっと気にしていた。
カグツチのように母親を死に追い込んでしまった自分のことを、お父さんは憎んでいるのだと思い込んで来た。
だがすべては悲しい想い違いだった。
燈ちゃんのお父さんは燈ちゃんを世界で一番愛している人だ。
なのにお互いすれ違い、ずっとわかり合えずにいた。
近すぎるからこそ、わかり合えなかった。
近すぎるからこそ、お互い傷つかないために、心の距離をとっていた。
燈ちゃん、起きてお父さんの話を聞かなければ駄目だ……。
今なら向き合える。
この真実を知らないままなんて悲し過ぎる。
こんな悲劇があっていい訳がない。
僕は目に溜まった涙を拭って燈ちゃんに呼び掛けた。
目が潤んでいるせいで景色が滲んで見える。
燈ちゃんのまつ毛がキラキラと光っているように見えた。
僕はそれを自分の涙のせいだと思ってもう一度拭った。
目を拭ってもそのキラキラは消えなかった。
それは僕の目が滲んでしまっているのではなく、燈ちゃん自身の涙だった。
「お、とう、さん……お、とうさん……お父さん」
うつむいていた燈ちゃんのお父さんが顔を上げて、燈ちゃんを見た。
燈ちゃんはゆっくりと目を開けた。
意識が戻ったのだ!
「あ、かり……。燈!」
起き上がった燈ちゃんを燈ちゃんのお父さんは抱きしめた。
大人だけど子供のようにえんえん泣きながら、強く抱きしめていた。
「ずっと……ずっと……お父さんに嫌われているんだと思ってた……。お母さんを殺した私を嫌っているんだと思ってた……」
「違う……。違うんだ……」
燈ちゃんはお父さんにすがりついた。
今まで二人とも、これほど触れ合ったことはなかっただろう。
「だから燈って名前を付けたんだと思ってた……。嫌われているから相手にされないのだと思ってた……。だから、悪いことしても叱ってくれないんだと思ってた……」
燈ちゃんも子供のようにえんえん泣きながら、積年の想いをすべてお父さんにぶつけた。
口から出た言葉は春の訪れのように心の雪を溶かす。
これほど感情的になっている燈ちゃんを、僕は初めて見た。
「ごめん……ごめんな……。おまえが生まれるとき、酷いことを言ってしまって、それがずっと俺の心を苛んで……。おまえを愛せるかわからなくて怖かった。だけどそんな心配は取り越し苦労だったんだ。燈のような可愛い娘を愛せないはずがない」
燈ちゃんは嗚咽を飲み込みながら、何度もうなずく。
「叱らなかったのは、いつも燈がいい子でいたからだ。手が全然かからなかったからだ。俺のせいで我慢させていたんだな……。子供は親に迷惑をかけるもんだもんな。気付いてやれなくてごめんな……」
万年雪のように固まっていた“すれ違い„が解けてゆく。
解けたすれ違いは、涙となって流れ落ち、傷ついた二人の心を癒す。
「生まれて来てくれて感謝しかない。感謝しかないんだ。だけど俺は不器用で愛を伝えるのが下手くそで……。そのせいでずっと燈を苦しめてしまっていたなんて……。本当にごめん、ごめんな……。良い父親になってやれなくて、本当にごめんなぁ……」
「そんなことない……。そんなことないよ。お父さんが不器用だって私が一番知っているのに……、私の方がずっと想い違いをしててごめんなさい……。そんなことがあったなんて知らなくて……」
僕はその光景を同じように、えんえんしくしく涙を流しながら見ていた。
よかったよかった、お互いの誤解が解けてよかった。
「俺の方こそ今まで話さなくて悪かった……。話す勇気がなかったんだ……。俺はずっと逃げてきた……。ちゃんと話し合うことから逃げてきた……。そのせいでこんなことになるなんて……。いじめられていることも知らなくて……おまえの力になってやることもできず、傷つけるだけで……追い込んで……」
「違う。違うよ、お父さんのせいじゃない。それに私、自殺なんてしないよ。あれは本当に事故だったの」
燈ちゃんはたどたどしい手つきでお父さんの頭を優しく撫でた。
これではどっちが子供かわからないな、と僕は思う。
そのときだった、閉められたカーテンの向こう側から声が聞こえた。
その声を驚いて、二人はビクッと押し放すように離れた。
「あ、あの……」
看護師さんかと思ったけれど、まだとても若い女性の声だった。
「その声は……」
「あ、燈ちゃん……。ごめんなさいっ……」
カーテンを開けてその人物を確認するとセーラー服をきた女の子が、つむじをこちらに向けて頭を下げていた。
「きみは……燈のことを話してくれた……」
燈ちゃんのお父さんは恥ずかしそうに涙を拭った。
「
華芽里という名の少女は顔を上げると、彼女も顔を真っ赤に腫らして泣いていた。
今の話をずっと聞いていたのだろうか……。
いい年した人々がみんな顔を赤く腫らして泣いているのは、何ともシュールに思う。
「本当にごめんなさいっ……」
また華芽里ちゃんは頭を下げる。
何で謝っているのか僕にはさっぱりわからない。
「華芽里ちゃんが謝ることじゃないよ。悪いのはあいつらなんだから」
華芽里ちゃんは燈ちゃんが自殺未遂、ではなく事故が起きる原因を間接的に作ってしまった本人らしかった。
「本当は、ゥッ、私が始めいじめられていたんです……ゥッ。それを燈ちゃんが、ゥッ、かばってくれて……。そしたらゥッ、今度はわたしをかばった燈ちゃんがゥッ、いじめられるようになってぇ……。わたしのせいで……わたしのせいでぇ……」
「だから違うよ……。華芽里ちゃんは悪くないっ」
燈ちゃんは必死に華芽里ちゃんに言い聞かせるけど、華芽里ちゃんは泣き止まなかった。
「ううん……。わたしが悪いの……。わたしのせいで、燈ちゃんを追い詰めて……」
いじめられていた華芽里ちゃんを助けたために、今度は燈ちゃんがいじめの対象になってしまった。
酷いけれどよくある話だった。
あのとき燈ちゃんが言っていた言葉の意味がやっと理解できた。
燈ちゃんはいじめられていた華芽里ちゃんを、助けるかどうかで悩んでいた。
悩み抜いて、燈ちゃんは恐怖に打ち勝ち正しい行いをした。
「だから違うって……。それにこうなったのは誰のせいでもない事故なの」
「じゃあどうして……川なんかに……」
「落とし物しちゃったの……」
燈ちゃんは一生の不覚というような顔をし、恥を忍びながら続けた。
「橋の上から落としちゃって……、大切なもので……。それを拾うために、橋の下の河原に下りて川に入ったの。落し物は何とか流木に引っかかっていて拾えたんだけど、引き返すとき石に足を取られて……気が付いたらここにいて……」
じゃあ本当に事故。
自らの意思でそうしたのではないとわかって、僕は心に引っかかっていた小骨が取れた。
本当によかった。
「だけど、その落とし物って何だったの?」
そこまで大切なものって何だろう?
燈ちゃんは平常に戻っていた顔を、また温度計のようにみるみる赤くした。
「もしかしてこれのことか」
燈ちゃんのお父さんはポケットから何かを取り出してみせた。
「先生が俺に渡してくれたものだ。燈が握っていたと」
燈ちゃんは小さな悲鳴のような声を上げて、お父さんの手からそれを即座に奪い取った。
一瞬のことだったけれど、僕はしっかり燈ちゃんのお父さんが取り出したものを見た。
その“大切„なものに僕は見覚えがあった。
「それまだ大事に持っていてくれたの」
嬉しい気持ちと、気恥ずかしい気持ちがぐちゃぐちゃになって、イチゴのような甘酸っぱさが広がる。
「うん……いや……まあぁ……。せっかくもらったわけだから。可愛いし」
どのような理由でもまだ持っていてくれたことは嬉しかったのと同時に、申し訳ない気持ちにもなった……。
僕はすっかりあげたことすら、見るまで忘れていたけど……。
あの夏の日、二人でとなり町に出かけて、怖いお兄さんがやっていたくじ引きのハズレ商品だったおもちゃの指輪だった。
燈ちゃんはその指輪にキーホルダーを付けて持っていてくれたのだ。
あまりよくは覚えていないけれど……いらないからという理由であげたような……そのせいでこんな大惨事になって、原因を辿れば悪いのは僕?
「何だか……ごめん……」
「何で蓮くんが謝るの?」
「いや……なんとなく、かな……。あははは……」
「変なの。だからわかったでしょ。誰も悪くないよ。悪いのは私がドジだったから。本当にごめんなさい」
いや悪いのは僕だよ……と心の中で一人土下座をした。
何だか……ごめんなさいっ……――。
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