最終章 燈のひかり繋ぐあかりの町で ~おまえを愛している~
第29話 立派な親
親しい者たちだけを集めて、俺たちは小さな結婚式を挙げた。
ウエディングドレスも一番安いやつで、本当に小さな小さな式だった。
だけどどんなに小さな式でも、ちゃんと行っておきたかったのだ。
一生に一度しかできないことだから。
「本当にあなたのご両親を呼ばなくていいの……?」
当日まで陽花里は必死に俺の説得を試みていた。
両親と上手くいっていないことは話していて、何度も仲直りした方がいいと陽花里に言われている。
「いい。もう何年も会っていないし……。向こうは向こうの生活があるだろう……」
「そんなに家族関係、上手くいっていないの?」
「上手くいっていないが、仲が悪い訳ではないと思っている……」
一方的に俺が避けているだけなのだ。
だからこそ、会うのが怖かった。
あんな酷いことを思ってしまった俺は、もう家族ではないし、会ってはいけない。
どんな顔をして会ったらいいのかすらわからない。
もう俺は他人なのだ。
義弟は今何歳くらいになっているのだろうか?
妹は何歳になったのだろう。
そんなことすらわからなかった。
会わせる顔などあるはずがない。
「どんなに折り合い悪くても、あなたにとっては家族なんだよ。あなたにとっての家族なら、私の家族にもなるんだから。だから報告しに行きましょうよ」
だが俺は拒んだ。
陽花里に言われても、それだけは無理だ。
「私は両親いないからいまいちわからないけれど、きっと家族だから上手くいかないことがあるんだよね。今すぐでなくてもいい。決意できたとき、一緒に行きましょ。一人では無理でも、二人でなら大丈夫。時間が経てば、心に折り合いが付いて上手くいくこともあるから。そのときに、ね」
小さな結婚式にしたのは招待する客や、資金が足りなかったからだけではなかった。
家を買うための金を節約するためだ。
俺たちは家を買った。
ヨーロッパの田舎にあるような小さな家で、庭も付いていて気に入った。
金は貯めていたが、それでも新築は買えなくて、空き家を買い取りリフォームしたのだが。
自分たちで内装を整えたり、傷んだ箇所を修理する作業も楽しいものだった。
ペンキが剥がれた場所にはペンキを塗り、埃の溜まった家の中を掃除する。
荒れた庭を整地して、花壇を作って花や野菜を植える。
少しずつ綺麗になってゆく家を見ていると、幸せな気持ちになる。
陽花里と俺の未来が、現実と見まがうほどに鮮明に想像できる。
ああ、夢ではないのだ。
自分たちの手ではどうしても直せない箇所以外は、すべて自分たちの手で直した。
やっと住めるようになったときは、二人抱き合って喜んだ。
ここから俺たちの新たな生活が始まるのだ。
新たな生活と言っても、それほど変化がある訳ではないけれど。
以前から同棲を始めていて、お互いのリズムには慣れていたし、同じ町なので交友関係も変わらない。
だけど意識は変わった。
俺たちは本当の家族になったのだと。
家に帰ってくると陽花里がいて、「ただいま」と言ってくれる。
漠然とした何かに怯えて過ごす夜もなくなった。
いつもとなりには陽花里がいてくれるだけで、強くいられる。
俺たちが結婚してから半年後、弥紗と浩も結婚した。
二人の結婚には驚かなかったのだが、二人が愛染堂を再び続けることにしたことには驚いた。
常連客の続けて欲しいという声があったのもあるが、二人は以前から店を継ぐことを決めていたらしい。
おやじはあんなことを言っていたが、内心では喜んでいるだろう。
幸せは続くものなのだ。
人生辛いことばかりではない。
だから生きていられる。
必ず夜が明けるように、終わりのないトンネルがないように、闇は明ける。
結婚して一年と少し、陽花里は命を授かった。
陽花里と俺の子。
俺が父親になるなど考えたこともなかった。
考えることすらできなかった。
父親のいなかった俺が、父親になれるだろうか。
子供を愛せるだろうか。
親から愛をもらえなかった子供は、自分の子供にも同じような扱いをしてしまう確率が高くなるという。
俺の場合は……そんなこと……。
親とはなんだろうか。
世間の親は子供に何を教えているのだろうか。
おやじが言っていた通り、俺には子供に教えてやれるような知識も経験もない。
子供に与えてやる名誉や技術、財産も……。
それでも俺たちのところに生まれて来て良かったと思ってもらえるだろうか。
何もかもすべて、親のエゴだ。
不安だった。
俺も親からされて嫌だったことを、自分の子供にしてしまいはしないだろうか……。
絶対にしないとは言い切れなかった。
俺の中に流れる血が暴走しないとも限らない。
育て方がわからない。
接し方がわからない。
愛し方がわからない。
「大丈夫。誰だって同じだよ。私だって母親というものがわからない。みんな始めはわからない。だけど誰もが立派な親になろうと悩んでいるんだよ。始めから立派な親なんていない。誰だって若葉マークだったときがあるんだから」
陽花里のお腹に耳を当てると、命の脈動が感じられた。
不思議だ。
本当に不思議だ。
「あなたは良い親になれる。あなたが親からされて嫌だったことは、絶対にしない。されて嫌だった気持ちを知っているなら、絶対にしないから。痛みを知っている人は、人に優しくなれるんだから」
陽花里は俺の髪の毛に指を通しながら、子供をあやすように優しく言った。
泣く子供を寝かしつけるように、優しく、優しく。
これでは俺がガキだな。
だが嫌な気分はしない。
心乱されることなど何もないやすらぎ。
今だけは……子供が産まれるまでは。
「だから大丈夫。悩んだってどうにもならない。案外何とかなるものだから」
やはり俺より陽花里の方がしっかりしている。
お腹に子供を授かってから、さらに強くなったように思う。
母は強し、なんて言葉をどこかで聞いたことがあるが、母親とは本当にすごいな。
「ああ、少しでもいい親になれるように少しずつ勉強するよ。陽花里とお腹の子供にとって良い父親になれるように」
一人では無理でも、陽花里と一緒なら何とかやっていけそうな気がする。
こんなに幸せが続くと埋め合わせをするかのように、よくないことが起きるのではないかと怖くなる。
不幸と幸せは吊りあっていて、不幸だけが続かないように幸せも続かないのではないか……。
そのようにして世界は均等を保っているのではないか。
そんなのただ人間がそう感じているだけのことなのだが、根っからの悲観主義者である俺は、悪い方にばかりものを考えてしまいがちだった。
考えるな、そんなこと。
考えれば現実になっちまうぞ……。
だが考えないようにすればするほど、それはまるで何かの知らせでもあるかのように、どこあらともなく湧き上がって来てしまうのだ。
そんな俺の悪い予感は当たることになる。
それも想像すらしていなかった最悪の形で……。
運命は狂い出す――。
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