第28話 約束
告白してから数日後、俺たちが結婚することを親しい奴らに報告した。
「おまえたちいつから付き合い始めたんだよっ!」
一応関係者ということで、おやじにも結婚の報告をしたのだが、殺されそうになった。
冗談ではない、本当に殺されそうなのだ。
おやじは陽花里のことを実の娘のように可愛がっていて、包丁を持ったなまはげのような形相で襲い掛かられた。
「父さん! 殺しちゃ駄目!」
「止めてくれるな弥紗! こいつだけは生かしちゃおけんっ。こんなどこの馬の骨かわからない奴との結婚を俺は認めないぞ!」
弥紗が親父を羽交い絞めにして何とか抑えた。
もし俺に娘が生まれて、娘が俺みたいな男を連れて来たら、俺もおやじと同じ行動に出るだろう……。
もっと将来性のある男と一緒になってもらいたいと思うのが親だ。
「お父さん殺しちゃ駄目だって。せめて半殺しにとどめてっ」
弥紗は言った。
半殺しでも駄目だろ……。
ここにいたら本当に殺されるかもしれない。
だが逃げるわけにはいかなかった。
別に血の繋がった父親ではないが、陽花里はおやじのことを実の父親のように思っている。
だからおやじから了解を得なければいけないのだ。
「いったいいつからだ! いつ手を出しやがった。手ぇ出したら承知しねえと言っていたのな。ちょっと陽花里が優しくしてやりゃあ図に乗りやがって! 俺はそんなつもりでおまえを陽花里に近づけていたんじゃねえぞっ。弥紗おまえは知っていたのか!」
弥紗は陽花里の大親友だった。
弥紗のおかげで今の自分があるのだと前に話してくれたことがある。
面倒見がよく明るい性格で誰からも愛される人だと思う。
大学を卒業して、この町に帰って来た。
ゆくゆくは浩と、この愛染堂を継ぐと言っているが、おやじは自分の代で店を閉めると言っている。
「まあね……。私も始めは反対したのよ。こんなどこの馬の骨ともわからない陰気で、不愛想で、女々しくて、面倒くさい男と付き合わない方がいいって」
とんだ言われようだな……。
悔しいが本当の事なので言い返すことができない……。
「だけど本当に彼、陽花里を愛しているのは間違いないのよ」
おやじは急におとなしくなり、その老鷲のような鋭い眼光で俺を睨んだ。
「愛だけで何ができる。昔なら愛さえあれば、幸せになれただろうよ。だが今は、愛だけじゃ幸せにはなれねえんだよ。愛があるのは必須条件だろうが。愛以外に何が与えられるかが問題なんだよ。言っておくが永遠の愛なんてない。時が経てば絶対に愛なんて冷める。夫婦てのは愛を超越したもんで繋がってんだよ」
おやじは弥紗の拘束を振りほどき、俺の前に立って続けた。
「もし、子供が産まれたとして、おまえは子供に何を与えられる? 手前の勝手な都合で産まれてもらう子供におまえは何を与えてやれる。財か? 権力か? 技術か? 生きるために必要な知識か? まさか愛だけって言うんじゃねえだろうな」
俺にもし子供が産まれても、何も与えてやることはできない……。
愛すら与えてやれるかわからない……。
「愛だけで今の時代生きていけねえんだよ。愛があるのは必須条件で、愛の他に何が与えられるかが問題なんだ」
昔気質のおやじは結局、結婚を認めてはくれなかった。
陽花里の実の父親ではないので、認めてくれなくとも問題はないのだが、やはり尾を引かれる思いはある。
おやじの言うように、愛があるのは必須条件なのだ。
愛だけで腹は膨れないし、幸せにはなれない。
なら幸せとはなんだ?
衣食住が満たされているだけでは幸せにはなれない。
一瞬、心を満たすことができても、幸せとはすぐになくなってしまう。
どれだけ考えても、永遠の幸せなど見つからない……。
ずっと陽花里を幸せにし続ける自信がない。
だけど、それが家族になるということではないのか。
よく耳にする誓いの言葉にあるではないか。
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも愛すると誓うのではないか。
そして、愛し、敬い、慰め遣え、共に助け合い、その命ある限り、真心を尽くすことを誓うのだ。
ずっと幸せであるなんてありえない。
幸せはどんな人たちとも共有できるが、辛く、悲しく、苦しいときを共有できる人はしれている。
だとしたら、辛く苦しい、いかなるときも共に寄り添い助け合うのを誓い、ともに生きる人たちを家族と言うのではないだろうか。
正に、おやじのいう幸も不幸も超えてゆく存在。
今までわからなかった家族の定義が、やっとわかった気がした。
家族とはどんな困難があろうと、共に生きる共同体のこと。
それから間もなくのことだった。
おやじにがんが見つかった。
見つかったときにはステージ4で、余命三か月と診断され手の施しようがなかった。
以前から食欲も落ち、倦怠感と痛みを感じていたそうだが、病院には行かなかった。
病院嫌いだったのだ。
かなり前から体の不調はあっただろうに……我慢するにも程がある。
まだ本人は口も回るし、余命三か月など到底信じられなかったが、二か月が過ぎるころには一気に筋力も低下し、骨と皮の状態で一人では起き上がれないほどに弱ってしまった。
体が弱ると比例して心まで弱くなってしまうらしい。
あの元気で口減らずだったおやじの口から、威勢のいい言葉は聞かれなくなった。
陽花里と弥紗は毎日のように泣いていた。
たった二年ほどの付き合いでもこれほど悲しくなるのだから、二人の悲しみは想像も付かない。
心を許す父親のいない俺に、父親とはこういう存在だと教えてくれた人。
おやじは自分が死んだら店を閉めろと言っていた。
昔からこの町の人々に愛されていた店がなくなってしまう。
店が一つ潰れようと町は変わらない。
だが俺たちの生活は間違いなく変わる。
「小さい時から陽花里のことを知っている。俺にとっちゃあ実の娘のようなもんだ」
もう長くないと思う……。
「ああ、陽花里もあんたを実の父親のように思っているよ。だからあんたに認めてもらわない限り結婚はできないんだよ……」
呼吸をするのも苦しいらしく、口呼吸を何度も繰り返してやっと一言、言葉を出す。
「俺が認めなくても結婚できるじゃねえかよ……」
「俺はそう言った。だが陽花里はそう思ってない。おやじに言われて、家族ってどういう存在なのか少し考えてみたんだ。幸せはみんなと共有できるが、辛く苦しいときを共有できるのはごく一握りの人たちだ。幸も不幸も乗り越えて、共に生きることを誓うのが結婚なんだと思ったんだ。陽花里となら、そんな家族を作れると思うんだ」
おやじは不貞腐れたように鼻を鳴らした。
「そうだとしても、甘ったれるな。陽花里を幸せにしなかったら化けて出るからな……。陽花里に甘えてばかりいるんじゃねえぞ」
「ああ」
「そうか……なら後は好きにしろ」
その言葉をもらってから数日後、おやじは意識不明になり、一週間後に亡くなった――。
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