第23話 ただいてくれるだけで
病棟のナースステーションで俺は彼女の名前を告げ、病室を教えてもらった。
一応見舞いと言うことで花と、フルーツの詰め合わせを商店街で買ったが、作法が合っているのかわからない。
病室の名札に彼女の名前を見つけた。
間違いないようだ。
ここまで来てしまったが、急に緊張してきた。
俺でも緊張はするのだ。
呼吸が浅くなり、変な汗が出る。
呼吸を整えてスライド式の扉を開けようとしたとき、「あの」と背後から声をかけられて俺は飛び上がった。
「あ、いや、怪しいものじゃ……」
そこに立っていたのは、パジャマ姿の陽花里だった。
白の生地に、水玉がちりばめられている。
「やっぱりそうだ。吉良さん。こんなところで会うなんて奇遇ですね。知り合いの方が入院でもされたんですか?」
「いや……。その……」
まあ、知り合いが入院しているのは間違いないのだが。
「きみが入院したという話を聞いて……」
彼女はポカンと目を丸くして、俺の手に握られた花束とフルーツの詰め合わせに視線を落とした。
「私のお見舞いに来てくれたんですか」
「ああ……」
「わざわざ、ありがとうございます。ごめんなさい心配させてしまったようで、昔からよくあることなので、全然大したことじゃないんですけどね」
いや大したことなくて入院はしないだろ、というツッコミは飲み込む。
「こんな所で立ち話も何なので、まあ入ってください。私だけの部屋ではないので静かにお願いしますけど」
病室の窓側に彼女のスペースがあった。
ここまで通してもらったのはいいのだが、何を話せばいいのだろうか。
「あ、これ……。好きに食べてくれ」
俺はベッドサイドテーブルにフルーツを置いた。
「ありがとうございます。じゃあ今、食べていいですか」
「ああ」
彼女はリンゴを手に取った。
皮を剝くためのナイフを、俺は持ってくるのを忘れた……。
これでは缶切りを持っていない人に、缶詰を渡したようなものではないかと思っていたが、彼女はベッドサイドの引き出しからナイフを取り出して、器用に剝き始めた。
「ああ、ナイフもあった方が便利かなと思って、持ってきていました。誰かがこういうふうに果物を持ってきてくれるかもしれないので。用意周到でしょ」
そういって照れ臭そうに笑いながら、彼女は剥いたリンゴの半分を俺に寄こした。
「いや、俺は……」
「一つ丸ごとも多いので半分食べてください」
押し付けられる形で俺はリンゴを受け取った。
歯ごたえもしっかりしていて、みずみずしい。
どうやら当たりだったようで、良かった。
「ふじですね」
「ふじなのか」
俺がそう答えると何故か彼女は笑った。
「明後日くらいには退院するつもりでいたんです」
「体が弱いって、どこが悪いんだ?」
「心臓です。先天性のもので、それに伴い合併症も」
「そうか……」
「あ、でも大したことないので、心配する必要はありませんよ。この心臓との付き合い方も心得ていますから。私のことよりせっかくなので、この機会に吉良さんのことを教えてくださいよ。ずっと聞きたかったんですけど、吉良さんはどこから来られたんですか?」
俺は昔から自分の話をするのが嫌いだった。
「ああ、答えたくなければ……」
「いや。構わないよ」
俺は自分の出身地を答えた。
「中学の終わりまでそこに住んでいて、高校進学で家を出た。高校卒業して色々な所をフラフラして、ここに辿り着いた」
「すごいですね。その歳で色々な所を旅されて」
「全然すごくないさ。定職にも付かず、フラフラしているフリーターなんだから。世間一般では俺のような奴を負け犬って言うんだよ」
「そんなことありませんよ。色々な経験をすることは人生に意義を与えてくれます。経験で得た知識や技術は何ものにも代えがたい宝物です。世間では良い大学に行って良い企業に入るっているのが成功パターンなんでしょうけれど、私はそれだけがすべてではないと思っていますよ。人とは違った経験をすることで、オリジナルティーが生まれるじゃないですか。人生は長いんですから、三十代、四十代くらいまで、好きなところで過ごして、好きなことして過ごすという生き方もありだと思います。これはお世辞でも何でもありません」
陽花里はムキになって一息に言ったため、息が上がってしまっている。
「そうだな、確かに」
「そうですよ」
「元気づけに来たのに、逆に元気づけられてしまったな」
「体は弱いですが、元気だけはありますから。少し分けてあげられたようでよかったです」
始めは話が続くか心配していたが、陽花里が上手い具合に話を引き出してくれたおかげで気まずくなることはなかった。
「きみはこの町で産まれ育ったのか?」
名前を直接いうのは気恥ずかしくてできない。
「う~ん……。産まれはわからないけど、育ったのはこの町ですよ。私のことより、吉良さんの幼い頃の話を聞かせてください」
「俺には余り話せる話がないんだ。目立つような子供でもなかったし、頭も、運動神経もよくはなかった。部活もやっていなかったし、人に誇れる武勇伝もない。だから、きみの話をしてくれ」
「私もこれと言って、話すような話題はないのですが……。体を動かすことができなかったので、体育の授業は見学でしたし、走り回ることができなかったので遊びも制限されますし。昔は引っ込み思案でインドア派で、本を読んだり、絵を描いたり、一人室内で過ごすことが多かったです。全然面白くなくてごめんなさい……」
「いや、そんなことないさ」
「でも小学校三年生になって、ある変化が起きたんですよ。引っ込み思案だった私に話しかけてくれる子がいて、その子と友達になれました。それから、その子と毎日のように遊ぶようになって、明るくなれたんです。今の私があるのは、その子のおかげと言っても過言ではありません」
「その子とは今も付き合いあるのか?」
「ありますよ。今は大学に行くためにこの町を出ていますが、もうすぐ帰ってくるはずです。今私を使ってくれている、愛染堂の娘なんです。その子の計らいで、愛染堂でお世話になっていて、私のような女を使ってくれるところなんてなかったので、
本当に助かりました」
「大学には行かんかったのか? 大学を卒業すれば、いくら体が弱くても使ってくれるところがそれなりに見つかるもんじゃないか」
「大学に行くお金が……。奨学金を借りても返せる自信がありませんし、それにこの町を離れたくなかったので。この町の人たちに小さいころからお世話になりっぱなしで、何か恩返ししたいと思っているのですが、私では何の役にも立ちませんね……」
「そうか……」
「なんか暗い話でごめんなさい……」
「いやきみが謝ることじゃない、訊いたのは俺なんだから。これだけは言わせてもらうが、きみは十分町の役に立っているよ」
「私がですか? 迷惑ばかりかけている自覚しかないのですが……。たははぁ……」
彼女は苦笑いしながら長い髪をいじる。
「嘘じゃない。俺は嘘が苦手だ。きみがあの食堂にいてくれているだけで、みんなを笑顔にしているじゃないか。それは誰にだってできることじゃない。きみがいるだけで場の空気が明るくなる。きみの笑顔はみんなを笑顔にする力がある。ただいてくれるだけで、みんなのためになっている。きみ目当てで通っている人だって大勢いるんだ。俺もその一人だよ」
つい勢いで言ってしまったが、よくよく考えればとんでもないことを口走っているんじゃないか……。
これでは気持ち悪い奴だと思われても仕方がないじゃないか。
何の捻りもない例えだが、この表現が一番しっくりくるだろう、彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「いや、それは、別に変な意味で……――」
「ありがとうございます」
彼女は頬を桜色に染めて、今までで一番最高の笑顔を浮かべた。
人の目を惹きつけて放さない笑顔。
この笑顔を見るために、みんな食堂に通っているんだ。
俺はすべてを忘れて数秒、いや数十秒とも思える時間、彼女の顔を見つめていた。
「そう言ってもらえるととても嬉しいです」
「ああ……」
慌てて俺は熱くなった顔を隠した。
「思ったより長居してしまったな……。じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。困ったことがあったら何でも相談してくれ。できる限り力になるから。じゃあ」
逃げるように立ち去ろうとすると、彼女が俺を呼び止めて言った。
「今日はありがとうございました。私も吉良さんから元気をもらいましたよ。今までちょっと怖い人だと思っていましたが、私、思い違いをしていたようです。吉良さんは怖い顔していますが、全然怖くない人です。良い人です」
今までそう思われていたのか……。
まあ、そう思われても仕方がなかっただろうけれど、実際に言われると心に来るものがある……。
素直に喜んでいいのかわからなかった。
「明後日には退院できるので、また私に会いにお店に来てくれますか」
「ああ。行くよ。また」
「お待ちしていますね。それじゃあ、またお店で」
少しだが心の距離が近づいた気がした――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます