第22話 太陽のような
俺は次の日から早速、船に乗せてもらえることになった。
朝早く沖に出て、網を張り魚を獲る。
大漁のときもあれば、不漁のときもある。
始めは上手く網を張れなかったが、根気強く親方が教えてくれたおかげで上達は早かった。
海特有の匂いと、海鳥の鳴き声を聴きながら、船に揺られて見渡す限りなんにもない、海を見渡すのは気分がいい。
生きている実感がある。
やはり俺は都会で鉄筋の箱に閉じ込められるより、こうやって体を動かす方が性に合っているらしい。
仕事にも慣れ始めた、そんなある日だった。
漁師仲間のおごりということで、俺は食堂に連れて行ってもらえることになった。
地元の人たちに愛されている店らしい。
愛染堂という名前の食堂。
いつからあるのかわからないが、かなり年季の入った外装で海の家を彷彿とさせられる。
外装からは想像できないくらい店の中は綺麗で、お客で賑わっていた。
どうやら近所の人や、観光客、漁師たちが支えているらしい。
「いらっしゃいませ」
若い女が俺たちを出迎えて、「ごめんなさい、今満席で。しばらくお待ちいただけますか」と知らせた。
俺とほぼ歳が変わらないくらいで、こんな海沿いの町にもかかわらず、産まれて一度も日の光を浴びていないのではないか、と思うほど病的に白かった。
「いいよいいよ。今暇だし何時間だって待つさ」
先輩漁師はひょうきんに言った。
さすがに何時間も待つくらいなら、俺は別の店に行くがな……。
女性店員は店の角の椅子に俺たちを案内した。
「観光ですか?」
しばらくして、もう一度同じ質問がされて俺にされた質問であることに気が付いた。
「いや……」
「ごめんね陽花里ちゃん。こいつ愛想ないんだよ。悪気がある訳じゃないから。一か月ほど前から一緒の船に乗ってんだ。こいつと話すより、俺と話そうよ」
「そうなんですね。どうですか、もう慣れましたか?」
「まあ……」
「若い人たちが都会に出て行って漁師さんも減っているので、あなたのような若い人が入ってくれて嬉しいです。ありがとうございます」
ひかりと言う名の女は、その病弱そうな外見からは想像できないほど温かく元気な笑みを俺に向けた。
これほどまでに屈託のない笑顔を向けられるのに慣れていなくて、顔を背けた。
太陽を直視することができないように、俺にはその笑顔が眩し過ぎる。
俺は今日のオススメだという、エビとカキフライの定食を食べた。
揚げ物など、どこで食べようと同じように思うが、不思議と上手く説明できないが、この店のものはそうではないと思った。
一言で言うなら美味かった。
心に浸み込むような、家庭の味とでもいうような優しい味。
何故か、目の奥が熱くなるのを俺は堪えた。
俺は食べ終えた食器を厨房に返そうと、立ち上がったとき、さっきのひかりと言う女が「ありがとうございます。置いていてもらえれば、こちらで片付けます」と言って俺からトレイを取った。
「美味しかったよ」
ひかりは驚いたように俺の顔を見て、また微笑んだ。
「おじさんの料理は三ツ星レストラン並みですからね。ちなみに私も手伝っています」
勘定を済ませて店の敷居を出たとき、「また来てくださいね」とひかりが言った。
「あ……その、食事を作るのがめんどくさいと思ったときとか……」
あまり人と親しくなるようなことはしたくなかったが、まあ、まだしばらくはこの町に留まるつもりだし、食事には困るから仕方がない。
「ああ、まだしばらくはこの町にいるつもりだから、また来るよ」
すると、ひかりは良かった、というような微笑みを浮かべ、「お待ちしております」と言った。
それから俺はちょくちょく愛染堂に通うようになっていた。
料理が美味かったからだ……それ以外の理由はない。
愛染堂は五十代後半から六十代前半くらいの、頑固そうなおやじが一人で切り盛りしてた。
以前までは妻と一緒に店を営んでいたのだが、十年以上前に妻をがんで亡くしてからはずっと一人で店を守っているらしい。
「あ、今日も来てくれたんですね。ありがとうございます。おじさんの料理美味しいでしょ。私も昔からよくご馳走になっているんですよ。家庭の味って言うか、毎日でも食べられますよね」
来る人皆に向けている笑顔だ。
この店の看板娘的存在で、陽花里目的で店に足を運ぶ奴もいるらしい。
俺は断じてそんな目的ではないが。
「ああ。それに安いから」
「昔から取引している漁師さんがいて、安値で直に魚を引いているんです」
大きなアジフライが二つ付いた定食を食べた。
「おかわりいりますか? アジフライは追加料金がいりますが、サラダとご飯、味噌汁ならおかわりし放題ですよ」
「いや、いいよ」
「そうですか……。細いんですから、もっと食べなきゃいけませんよ」
どうして落ち込む……。
「……あ、じゃあ、ご飯もう一杯だけ」
そう答えると、雲に隠れていた太陽が再び顔を出した。
「わかりました」
茶碗大盛りご飯と、漬物が持って来られた。
もう満腹だったのだが、あんな顔をされるとおかわりしないわけにはいかない……。
胃にわずかに残ったすき間にご飯を詰め込んで何とか平らげた。
以前までガリガリだったのだが、愛染堂に通うようになって俺の体重は平均値まで増えた。
俺が太って行くのを見て、陽花里は嬉しそうだった。
俺としては複雑な気持ちだ。
なんだかんだで、愛染堂に通い始めて半年近くが過ぎた頃、四日連続で陽花里の姿を急に見なくなった。
毎回いるのだが、どうしたのだろうか。
風邪でも引いてしまったのだろうか……。
そう思って、それから三日様子を見ていたが、やはり陽花里はいない。
辞めて……しまったのだろうか。
それがどうした。
店員一人辞めてしまおうが、別に俺には関係ないことだ。
俺は飯を食べに来ているだけなのだから……。
だが何故か味気ない気がした。
飯はいつものように美味いのだが……何かが足りない。
俺は陽花里に会うためという理由で……ここに通っていた訳ではないのに……。
こんな気持ちになったのは生まれて初めてのことだった。
こんな俺にも隔てなく笑顔を向けてくれる。
あの笑顔を見るのが好きだったのだ。
知らず知らずのうちに、俺は彼女の笑顔を見るために通うようになっていたのか?
信じたくはなかったが、恐らく間違いない……。
俺は注文を取りに来た愛染堂の店主に、陽花里のことを訊いてみることにした。
「おやじ……」
「陽花里のことか」
言う前に店主は俺の言おうとしていることを当てた。
どうしてわかったんだという顔で店主を見ると、店主はおかしそうに笑った。
「どうしてわかったんだって? そりゃあ、わかるわな。あんた、陽花里に会うために通ってくれてんだろ。他の客も陽花里がいなくて愚痴を言ってるさ。あんたもそいつらと同じ顔してらあ。だが、陽花里に手ぇ出したら承知しねえぞ」
おやじは、冗談なのか、本気なのかわからないドスの効いた声で言った。
「彼女は辞めたのか?」
「いや辞めちゃあいねえよ。今、入院してるんだよ」
「入院……。怪我でしたのか?」
「あの子、昔から体が弱くてしょっちゅう体調を崩すことがあったんだ。だけど心配することはない。もう少し待ってりゃあ退院すると思うからな。そうしたらまたここに戻って来る」
そうか、戻って来るのか。
辞めたわけではなかったのか。
何故か口元が緩む。
「これから時間あるなら、陽花里の見舞い行ってやってくれよ。俺は店があって、行ってやれねえんだよ。まったく、陽花里がいなくなると大変だぜ」
何、とち狂っているんだ、このおやじは。
「この町の中央に病院がある」
「どうして俺が……」
「心配じゃないのか?」
「俺みたいな赤の他人が行ったって」
「もう半年もここに通ってくれてるじゃないか。あの子も、おまえのことを見知ってる。陽花里がいなくて、てんてこ舞いしているって、伝えてくれ。だから早く元気になって帰ってこいよ、ってな」
店主に説得されて俺は何故か見舞いに行くことになった――。
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