第18話 後悔
高校最後の夏。
僕はまじかに迫った予選会に備えて日夜練習に明け暮れていた。
日焼けサロンに通っているわけでもないのに、僕の体は小麦色になっている。
服を着ていた箇所だけはまだ白くてパンダ状態でちょっとみっともない。
「なあ」
休憩時間、木陰で休んでいた僕に話しかけてくれたのは名鳥くんだった。
前から不思議に思っていたけれど、彼はいつも日焼けしない。
この世には日焼けしにくい体質の人がいることは知っているけれど、彼は異常なまでに日焼けをしない体質だった。
「なんだい?」
「もう伝えたのか?」
一瞬何を言っているのかわからなかったけれど、「彼女に」と付け加えられて理解した。
彼には好きな子がいるのだと、以前伝えていたことがあった。
「いや、それが……」
「何だよ。まだ伝えていないのか。そんなんじゃ他の男に取られちまうぞ。他の男に取られないようにちゃんと頻繁に連絡取っているのか?」
「いや……、もう一か月以上も……」
「たあ~……。毎日でも連絡取り合えよ」
「毎日はさすがに迷惑だって……」
「そんな弱気でどうする。男なら当たって砕けろよ!」
「砕けたくないよ!」
実際に当たって砕けた人の言うことは説得力があるな。
「そんなこと言っているから駄目なんだって。もしかしたらその彼女、もう彼氏がいるかもしれないぞ。以前会ったとき変わった様子とかなかったか?」
「変わった様子って?」
「綺麗になったとか、以前まで化粧をしていなかったのに化粧をし始めたとか、性格が明るくなったとか」
僕は半年前に会ったときの燈ちゃんを思い出す。
「た、確かに……綺麗にはなっていた……。性格も明るくなった気がする。それに、この前会うとき躊躇されたような……」
「それは怪しいな。綺麗になって、性格も明るくなって、男友達に会うのをためらうって言ったら、彼氏いるっていう証拠だぞ」
「それだけで決めつけるのは安直過ぎるでしょ……」
「本当にそうか?」
「うう……」
そういわれると、そういう気がしてきた。
「今すぐメールして確かめてみろよ」
「いやいやいや。急には無理だって……」
結局確認も、何もしなかった。
僕にもっと積極性があって色々訊けていれば、あんなことにはならなかったのだろうか。
予選会が三日後に迫った、夕方。
練習も終わり、寮に帰ろうとしていたときのこと、信じられないメッセージが何件も入っていることに気が付いた。
〈燈ちゃんが大変。早く連絡よこしなさい!〉
母から十件以上のメッセージ。
ただ事ではないことはメッセージを読む限り明らかだった。
僕は慌てて母に連絡して、メッセージの意味を知らされた。
「いったいどうしたの……。燈ちゃんに何かあったの?」
「燈ちゃんが意識不明で病院に入院しているの……!」
疑問文が一気に押し寄せて、パニックを通り越し頭が真っ白になる。
「心配させるといけないからって、吉良くんには言わないでって言われていたんだけど、どうしてもあなたの耳にはとどめておきたくて……」
やっと言葉がまとまり僕はできる限り気を落ち着かせて問う。
「何があったの? 心臓がまた悪くなっちゃったの……?」
「わからない……」
「いつからなの。いつから意識がないの?」
「話を聞いたのは今日の昼過ぎ。お客さんから吉良さんところのお嬢さんが入院しているっていう話を聞いて、吉良くんに確かめたの……。原因はわからない。詳しいことは教えてくれなかったから……」
電話をしながら僕はいつの間にか行動を起こしていた。
財布だけを持って、寮を出た。
今から夜間列車に乗れば、夜中には到着するはずだ。
「今から帰るから」
練習どころではない。
「そう言ってくれると信じてた」
学校最寄りの駅には、夜間列車は停まらない。
夜間列車が停まる駅行きの電車を待っていたら乗り遅れるかもしれない。
何十キロと走って疲れているはずなのに、僕は数キロ離れた駅まで走った。
練習の疲れなど吹っ飛んでいる。
駅に着くと、後先考えずに出てきたせいで、お金はギリギリだったが何とか、切符を買えるだけのお金が入っていた。
そのまま一晩中電車に揺られて、深夜実家の最寄り駅についた。
駅には母が迎えに来てくれていた。
このまま病院に行って、燈ちゃんの様子を見に行きたかったが、この時間では病院に入ることすらできない。
僕は朝までうずうずしながら待った。
疲れているはずなのに眠れなかった。
眠るにも体力がいって、疲れ過ぎたら眠れないという話を聞いたことがあるけれど、僕は今その状態なのだろうか。
時計がなかなか進まなくて、じれったい。
朝九時から面会できる。
僕は七時に家を出て、一時間半以上も外で待っていた。
燈ちゃんが入っている病室を訊き出して、僕は早足気味に歩いた。
昔、母に言われた病院内で走るな、という言葉が脳裏をよぎったけれど、今回だけは許してほしい。
燈ちゃんが入っているのは個室で、相部屋よりも大きい。
室内はほんのり温かくて、暑さのためか、それとも他の要因でかはわからないけれど汗が額を流れる。
箪笥や、小さな冷蔵庫などの生活に必要な家具が一通りそろっている。
大きな部屋の角に、カーテンが引かれた一角があって、僕はつたない足取りでゆっくりと向かった。
白いカーテン越しに、恐る恐る燈ちゃんの名前を呼んでみる。
返事はない。
僕は固唾を飲み込んで、カーテンにゆっくりと手をかけた。
手が震えている。
カーテンを開けると、ベッドの上に安らかな顔をした燈ちゃんが眠っていた。
毛布越しに胸が上下していて、規則正しい呼吸をしていた。
僕はそれを見て少し安心した。
ベッド横に置かれていた一人かけの椅子に座って、燈ちゃんの寝顔を見守った。
いったい何があったのだろう……。
しばらく椅子に座っていると、女性の看護師さんがやって来た。
輸液バッグのチェックに来たらしい。
「あ、あの……あか、吉良さんに何があったんですか?」
そう訊くと看護師さんは言い渋った。
「あなたは?」
「吉良さんの友達です」
「ごめんなさい。私が話すことはできないです」
僕は椅子の背もたれに深くもたれかかって、「そうですか……」と気の沈んだ声でお礼を言った。
何で答えられないのだろう。
答えずらいことだからなのか、それとも部外者に情報を教えてはいけない法律でもあるのか……。
それから一時間以上椅子に座って、ボーっとしていると、緊張の糸が切れたためと、睡眠不足、疲れのトリプルパンチで僕はいつの間にか眠りに落ちた――。
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