第16話 思い出の地

 リビングに通されて僕はジュースと、お菓子をご馳走になっていた。

 久しぶりに入る家の中は何も変わっていなくて、綺麗に整理整頓されている。

 

「おじさんは?」


「仕事」


 会えなくて残念なような、良かったような。

 燈ちゃんのお父さんは水産会社に勤めていた。

 魚を仕入れて、販売するまでを一手に担っているらしい。

 

「最近どう。通学とか大変じゃない」


「まあ……混んでいたりすると大変だけど、そういう日は滅多にないから大丈夫」


「そうよかった。学校はどう? あまり学校のこと話してくれないから」


「え……うん……。楽しいよ……」


 そういっているものの、余り楽しそうではないように見えるけど……。


「私のことより、蓮くんはどうなの。練習大丈夫?」


「一年のころは大変だったけれど、毎日続けていると慣れるもんで練習は苦ではないよ。たまに休みたいときはあるけどね。どれだけ練習を積んでも記録は縮まらないときとか……」


 燈ちゃんは励ましの言葉を探していたのか、唇を微かに開いて、閉じた。

 

「今は伸び悩んでいるけど、昔から比べたらすごく縮まったんだよ。あのとき燈ちゃんが背中を押してくれなかったら、僕はここまで来れなかった。今日来たのはあのとき背中を押してくれたお礼を、改めて言いたくて来たんだよ。燈ちゃん、色々とありがとう」


 こわばっていた燈ちゃんの表情が少しほぐれた。


「また余計なことをしてしまったんじゃないかって、私が蓮くんの人生を決めてしまって、本当に良かったのかなってずっと気になってた……」


 燈ちゃんは今にも泣き出しそうなほど声を震わせながら、それでも最後まで想いを伝えてくれた。

 僕もちゃんと感謝を伝えなければ。


「全然余計なことなんかじゃなかったよ。始めは遊びのつもりで始めた陸上だったけれど、いつの間にか本気になっていて、全然楽しくなくなっていた。練習きつくて、苦しくて、どれだけやめようと思ったかわからない。一時はみんなから注目されたけど、それからまったく結果がでなくて、中学三年のあのときもう辞めようと思っていた」


 あのときの気持ちは今でも昨日のことのように憶えている。


「だけど、みんなが、燈ちゃんが背中を押してくれたから、今でも続けていられるんだ。どれだけ頑張れるか、努力できるかは個人の力だけではないんだとわかった。どれだけ頑張れるかは、周りがどれだけ支えてくれるか、応援してくれるかに大きく関わっている。みんなの応援がなかったらもうとっくに僕は折れていたから。これもすべて、うじうじ踏み出せないでいた僕を引っ張ってくれた燈ちゃんのおかげだ」

 

 燈ちゃんは恥ずかしそうに顔を赤らめて、「そ、そう……。なら良かった」と素っ気なく答えた。

 

 恥ずかしそうに顔を背ける燈ちゃんの横顔を見て、僕まで恥ずかしくなって少し熱くなった顔をそらす。

 そらした先には、僕を見てひまわりのような笑顔で笑っている、燈ちゃんのお母さんの写真が飾られた仏壇があった。

 

「線香あげさせてもらっていい?」


「え、ああ、うん」


 仏壇の前で一礼してから、僕はマッチで蝋燭に火を灯し、線香立てに入っている線香を一本取った。

 以前両親から教えてもらった作法を思い出しながら行う。

 ややこしいことに宗派によっていろいろ作法が違うらしい。

 

 天台宗、真言宗では三本の線香を逆三角形の形に供えるというし、臨済宗、曹洞宗、浄土宗では、一本の線香を香炉に立てて供えするという。

 僕のところは浄土真宗らしいから、一本の線香を真ん中で半分に折り寝かせてお供えする、らしい。

 

 たしかそうだったと思うけど、うろ覚えだ。

 燈ちゃんの家が浄土真宗とは限らないのだが……、作法が違っても罰は当たらないよね。

 

 お経を知らないので僕は手を合わせて、燈ちゃんの思い出を伝えて、最後天国でも安らかにお過ごしくださいと締めくくった。

 天国でも安らかに、というのは表現がおかしいだろうか?

  

「ねえ、外を散歩しない?」


 お参りを終えて、僕は外を指さした。


「散歩?」


「そう、ちょっと歩くけど調子悪い?」


「大丈夫だけど。どこ行くの?」


「行けばわかるさ」


 僕は答えず、燈ちゃんを外に連れ出した。

 ウミネコの声を聞きながら、僕たちは海を左手にして、ある場所に向かっていた。


 今思ったのだが、二人で海辺を並んで歩いているなんて恋人のように見えないか?

 冗談だよ。

 この時間がもう少し続けばいいのに、と思っていたけれど、そういう時間に限ってすぐに過ぎ去るもの。


 思っているよりも早く目的地付近に到着した。

 昔はかなりの距離があるように思えたけれど、今では目と鼻の先ほどの感覚だ。

 それだけ僕たちが成長した証拠なんだな。


「憶えてる?」


「うん」


 そこは昔、僕たちが仲良くなるきっかけになった場所だった。

 子供のころはここに来るだけで小さな冒険のような気分になったけれど、今では散歩気分ですぐに来ることができる。

 

 今でも樹の幹には穴が開いていた。

 昔は見上げるほど高く見えた樹も、今ではそれほど高いとは思えない。

 そう、リスの巣だ。


「もういないのかな?」


「出かけてるだけかも」


 僕は道中で拾ったどんぐりをリスの巣がある樹の周辺に、まきびしのようにして撒いた。

 またはヘンゼルとグレーテルが道しるべとしたパンか。


「少し隠れて様子を見ようか」


 僕たちは巣から少し離れた木陰に座ることにした。

 五分十分と過ぎてもリスは現れない。

 僕が誘い出したのだから、黙っているのも申し訳ないかなと思って何か話そうと思ったとき、先に燈ちゃんが口を開いた。


「あのね」


 僕は驚いて間の抜けた「へっ」という声が出た。


「あのね。さっき蓮くんが言ってくれたこと」


「さっき?」


「私が蓮くんを引っ張ってくれたって……」


「ああ、そうだよ。燈ちゃんが僕を引っ張ってくれたから――」


「違うよ……」


 そういって燈ちゃんは首を振った――。

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