第13話 一歩を踏み出す

 追い風や色々な要因が重なった奇跡だとしても、全国大会で五位に入ったことにより、僕は以前よりもみんなから期待されるようになってしまった。

 

 このまま続ければもっと記録が伸びる。

 期待に答えなければ。

 みんなの期待とは裏腹に、良い記録を出そうと努力すればするほど、僕の記録は伸びなくなった。


 中学最後の一年間は自己ベストを更新することもできず、現状をキープするだけがやっと。

 これがスランプというものだろうか。

 練習しても練習しても結果が出ず、それどころか悪くなるのは僕を精神的に追い詰めた。


 ただ楽しむために始めた部活なのに、いつの間にか全然楽しくなくなった。

 楽しいからこそ、自分の思い通りにいかないと腹が立つし、努力が報われないと辛くなる。

 それだけ、自分が自分に期待していることの裏返し。

 

 そのまま中学三年間は終わり、高校に進学するに至った。

 小中学までは町にあって家から通えたけれど、高校は一番近いところでも電車で一時間かかる。


 先生や友達は陸上の名門に行くことをすすめたけれど、僕は渋った。

 僕程度の実力の人は日本中に数え切れないほどいるのだと、この一年で現実を痛いほど見せつけられたのだ。

 

 あの日出した自己ベストは奇跡だった。

 追い風や、コンディション、色々な外的要因が僕に味方してくれたから。

 だから、もう陸上は辞めて、家から一番近い高校を選ぼうと思っていた。


 このまま陸上を続けていく決意もない……。

 家から一番近い高校を選んだのはそれだけではない、この町を離れたくなかったのもあるし、何より燈ちゃんと離れるのが……。

 

 その頃には僕は自分の燈ちゃんに対する、この気持ちの正体を理解していた。

 だけどこの気持ちを伝える度胸なんてない……。

 

 そんなある日だった。

 練習終わり、グラウンドの端に燈ちゃんがいて久しぶりに話をすることができた。

 燈ちゃんは僕に伝えに来たのだ。


「高校はどこに行くの?」


 と燈ちゃんに訊かれた。

 僕はここから電車で一番近い高校を答えた。

 

「どうして?」


「どうしてって……どうもしないけど。家から近いし」


「推薦してくれているんでしょ。なのにどうして受けないの?」


「別に深い意味はないよ……。ただこの町を離れたくないし、それに……」


 駄目だ……伝えることができない。


「違うでしょっ……。蓮くんは逃げているんだよ。練習しても練習しても結果が出なくて、自分よりも速い人がいて、これ以上辛い思いをすることから逃げているんだよっ」


「だって僕より速い人は沢山いるんだよ。どれだけ頑張っても、人間には生まれ持った才能ってものがあるんだ。練習すれば一定ラインまではみんな行けるけど、そこから先、伸びるかどうかは生まれ持った才能なんだよ……」


「確かに努力は必ず報われる、なんていう綺麗ごとを言うつもりはない。どれだけ努力しても、結果が出ないことの方が多い。成功した人の陰には、失敗した人が星の数ほどいるよ。だけど挑戦しなきゃ失敗するか、成功するかわからないじゃない。成功している人は、それだけ挑戦しているんだよ。確率の問題なんだよ」


「そうかもしれないけど……。成果も出ないのに続けていくのが怖いんだよ……。一つのことに全てを捧げ続けても、鳴かず飛ばずのまま終わってしまったら、後に何が残るっていうんだよっ」


 僕は声を荒らげてしまった。

 

「それで本当にいいの……? 挑戦して駄目だったら納得がいくけど、挑戦しなければ一生、挑戦していた人生を引きずることになるんだよ。『あのときあっちの道を選んでいれば後悔しなかったのに』って。後悔する方が苦しいよ……」


「そうかもしれない。そうかもしれないけれど……、後悔するかもしれないけど……、そんなふうに割り切れないよ……。その道を進む勇気は僕にはない……」


 僕は階段に腰かけて俯いた。

 僕みたいな人は沢山いたと思う。

 それで後悔した人は沢山いたと思う。

 

 後悔するかもしれないとわかっていても、踏み切れなくて後悔する人は今までも、これからも沢山いると思う。

 みんな安定を選ぶ。

 一歩を踏み出すということは、死ぬこと以上に難しくて恐ろしいことなのだ。 


「私が背中を押してあげる。一人じゃ踏ん切りがつかなくても、誰かの後押しがあったら人間頑張れるんだよ。失敗したって人生終わるわけじゃない。失敗したって何も残らないわけじゃない。経験と思い出は絶対に残る。それだけはお金で買うこともできないし、本で得ることもできない。形あるものはいつかなくなっても、経験したという記憶と歴史は永久に消えないんだから」


 駄々をこねる子供をあやすような優しい声で燈ちゃんは言った。


「だから諦めずに挑戦してみよう。応援するから。私は一緒に走れないけれど、蓮くんの走っている姿を見ると、まるで自分が走っているような気持ちになるの。だから私のために走って。私も、私も勇気を出して頑張るから」


「実際に頑張るのは僕だよ……」


「そういう意味じゃない。心臓の手術をすることを決めたの。今まで私の体力が持たないかもしれないから、渋っていたんだけど……蓮くんが戦うなら、私も勇気を出して戦う」


「本当なの……」


「うん」


 そんなこと言われたら、僕だけ逃げるわけにいかないじゃないか。

 僕だけ逃げることはできないじゃないか。

 わかったよ、わかったよ、頑張ればいいんだろ。

 

 僕は決意を決めた。 

 自分だけならもう陸上を辞めていただろうけれど、燈ちゃんの言葉で頑張ってみようと思えた。

 だから僕は推薦してもらった高校に行く――。

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