第8話 ひまわり畑と思い出を

 来年、中学生になる。

 中学になっても別に生活が変ることはない。

 変わらない町。

 変わらない生活。

 

 この町は昔も今も何も変わらない。

 悲観的に言っているんじゃなくて、僕は変わらないこの町が好きだ。

 瞬く間に変わりゆく世界の中で、変わらないこういう町があってもいいと僕は思う。


 だけど僕はごくたまに考える。

 ずっとこの町に僕はいられるのだろうか、と。

 もし何らかの理由、大学進学とか、就職とかでこの町を離れることになったら今、仲の良い友達との関係はどうなるのだろう。


 燈ちゃんとの関係は?

 そんなことを考えるたびに、僕は頭を振って「まだ先のことさ」と考えないようにしている。 


 以前読んだ本に、悲観的より楽観的な方が何事も上手くいくと書いていた。

 脳は可塑性かそせいがあって、良いように物事を考えれば、良いように世界を捉えることができるようになるのだと。

 

 そんなことや、色々なことを本から学んだ。

 これもすべて燈ちゃんのおかげだった。

 燈ちゃんがいなければ一生本なんて読まなかったと思う。

 言い過ぎではない。


 僕は外で走り回って遊ぶことが好きだったから、じっと本を読むなんて体の血がムズムズする。

 だけど燈ちゃんと話す話題が欲しくて、そのためなら読むのも苦にならないし、それどころか楽しい。


 今では読書が好きだ。

 燈ちゃんに感謝しなければ。

 そんなわけで、本好きな僕たちは夏休みの間、ほとんどを図書館で過ごしていた。

 

 クーラーが利いていて涼しいし、ここなら燈ちゃんと一緒に過ごすことができるから。

 暑すぎると燈ちゃんは体調を崩してしまう。

 寒すぎても駄目なんだけど、温度の変化に弱いらしい。

 

 本は好きだけど、ずっと図書館にいるのも面白くなかった。

 せっかくの夏休みなんだから、ちょっとした思い出を作りたい、なんて考える今日この頃。

 一人では駄目だ、燈ちゃんと一緒の思い出を作りたい!


「ねえ、これからどっか遊びに行かない?」


「え……?」


 辛いことは楽しい思い出を作ることで緩和されると聞いたことがある。

 だから燈ちゃんに楽しい思い出をいっぱい作ってもらって、辛い気持ちを楽しい気持ちに変えてもらいたいと僕は考えた。


「今から……?」


「そう、今から」


「どこに……?」


「となり町にあるっていうひまわり畑に行ってみようよ。きっと今綺麗に咲いているよ」


「ひまわり畑……?」

 

 周り一面ひまわりの花が咲き誇る畑があると以前聞いたことがある。

 丁度今の季節、ひまわりが咲き誇っているはずだ。

 燦々と照る太陽に照らされて、すくすくと背を伸ばすひまわりを僕は想像する。

 

 きっと綺麗なんだろうな、僕より背が高いんだろうな。

 それを見ればいい思い出になるはずだ。

 まるで、ルーベンスのようなものだ。


 死ぬまでに一度は見て置きたい。

 そう、四年前僕たちが仲良くなるきっかけになった冒険をまたしたい。

 

「だけど、となり町なんてどうやって行くの……」


「バスに乗って行けばいいよ」


「お金もって来てない……」


「僕が急いで家から取って来る」


「だけど……二人だけで出かけて大丈夫……」


「暗くなるまでに帰ってくれば大丈夫さ。ね、行こうよ、一緒に、今、すぐ」


 僕の強引な押しに負けたのか、断るのが可哀想に思ったのか、それとも断る理由がこれ以上思いつかなかったのかはわからないけれど、燈ちゃんは渋々了承した。

 そんなわけで、僕たちはひまわり畑を見る冒険に出かけた。




 


 僕たちはバスに乗ってとなり町にあるというひまわり畑に向かっていた。

 二人だけでバスを利用するのは初めての経験だった。

 だいたい近所の商店街で必要な物は買えるし、遊びがてら遠出をするときは自家用車だからだ。


 バスは各停車駅に停まりながら、となり町に通じる山を登った。

 僕たちの暮らす町は三方を山に囲まれて、残る一方が海に面した町だから、どこに行くにも山を越えなければならなかった。


 色々と不便な町だけど、住んでいるとこの不便さを含めて、この町の良いところだと思う。

 僕は少しの不安と大きな興奮を、小さな胸に抱えて、窓の外を見ていた。


 バスの座高から見る景色は自家用車よりも高くて、いつもの景色が違って見えた。

 道中通行止めの標識や三角コーンが立っている場所が度々あって、その度にバスは道を変えた。

 

 そんなこともあり、普通の車なら信号に途中足止めされても、時速五十キロほどで三十分もあればつく距離だけど、倍の一時間くらいかけてやっととなり町に到着した。

 となり町の駅前で降りて、ひまわり畑探しを開始する。


「どっちに行くの?」


 言われて、僕は辺りを見回す。

 どうやって探せばいいのだろう。

 よくよく考えてみたら、となり町にあるということ以外何も知らないのだ。


 今までの勢いはどこへやら、僕は急激に心細くなってしまった。

 だけど不安がっているのを燈ちゃんに気付かれるわけにはいかない……。


 考えろ、考えろ……。

 そうだ、大抵の町には観光案内所というところがあるはず、だ……。

 そこに行けば道順がわかるはず。


 運のいいことに下りた場所は駅前で、駅の近くには観光案内所があるのは相場が決まっているはずだ。


「まずは観光案内所を探そう」


「場所知らないの」


「う、うん……」


 燈ちゃんはあきれ顔で僕をじーっと睨んだ。


「まあ、来てしまったからにはもう仕方がないわね。探そう」


 駅の周辺を探して見ると、観光案内所は予想以上にすぐに見つかった。

 駅のとなりにあった。

 案内所の中は涼しくて、額に浮かんでいた汗がいっせいに引いていく。

 

 案内所の女性スタッフが元気のいい声で僕たちを出迎えたけれど、入って来たのが子供二人だけだと気が付くと、困惑した様子になった。

 大人に話しかけるのは緊張するけれど、燈ちゃんに良いところを見せるために僕は勇気を出す。


「あ、あの……。この町にひまわり畑があるって聞いたんですけど……。どうしたら、そこに行けますか……?」


「ひまわり畑? ああ、町はずれにある。毎年見に来る人結構いるのよね。歩いて行けなくもないけれど、歩いてだと結構時間かかるし、暑いからバスを待った方がいいと思う」


「そのバスはいつ来ますか?」


「一番早いので」


 受付の女性は壁に張られているバスの時刻表を見て、「三十分後だね」と答えた。


「この前のバス停から出るから、それまでここで待っているといいよ。ジュース出してあげる」


 僕たちはお言葉に甘えて、案内所の中で待たせてもらうことにした。

 気温が三十度以上ある外で、じっと三十分待つのは苦行以外の何物でもない。


「きみたちどこから来たの?」


 ぼくはとなり町の名前を答えた。


「若いのにすごいね。兄妹?」


「友達です」


「そう、仲いいのね」


「はい」


 その後も女性から色々な質問をされた。

 もしかしたら、家出でもしていると勘違いされていたのかもしれないし、ただ好奇心から質問をしてきただけなのかもしれない。


「そういえば、さっきから浴衣を着ている人が多いですけど、何かあるんですか?」


 バスから外を見ているときも、浴衣を着ている人をちらほら見かけていた。


「花火大会があるのよ、今夜。小さいけど。私も仕事終わったら行くつもり」


「ああ、それで」


 となり町だというのにまったく知らなかった。

 

「あ、そろそろ待っていた方がいいよ。あと数分で来るから」


 そう言って女性は降りる停車駅の名前と、帰りのバスの行き先を教えてくれた。


「帰りのバスも少し待っていたら来るから」


「色々ありがとうございました」


「いいのいいの、暇しているから」


 人好きする笑顔を女性は浮かべた。

 僕たちはバスに乗って、女性から教えてもらった停車駅で降りた。

 町はずれで周囲は山々と田畑が広がっている場所だった。


 田畑の向こう側に黄色い花の地平線が見えた。

 黄色の海が波を打っている。

 あそこだ。


「あれだよ、燈ちゃん! 行こ!」

 

 あぜ道を進んで行くと、沢山の田んぼ一面にひまわりが咲いていた。

 すべて花が向いている方角が同じで、背が高い。

 ひまわりで迷路のような道が作られていて、僕たちはその中に入った。

 

 僕たち以外にも観光客がいて写真を撮ったり、迷路で遊んだりしている。

 ひまわり畑の中には、木製の二人かけベンチが至る所に置かれていて、ひまわりを見ながら休むこともできる。


 僕たちはベンチに座って、僕たちよりも背が高いひまわりたちを見上げた。

 周辺を黄金色のひまわりに取り囲まれて、まるでファンタジーの中に迷い込んでしまったよう。

 ひょっとしたら、時計を持ったうさぎが慌てて通り過ぎるかもしれないな、なんて。

 

「すごく綺麗」


 となりで燈ちゃんがぼそりと言った。

 僕は振り向いて、麦わら帽子の下から覗く燈ちゃんの顔を見た。

 燈ちゃんはこのひまわり畑に咲く、どのひまわりよりも明るく笑っていた。

 

 つられても僕も笑った。

 心の底からの笑顔を久しぶりに見て、僕は一緒に来てよかったな、としみじみ思った。

 本当によかった――。

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