第9話 祭りの夜

 ひまわり畑にいた写真家の人に写真を撮ってもらった。

 背後には集合写真のように、同じ方向を向いたひまわりたちが真剣な顔で、カメラを見つめていた。


 写真一枚だけ撮るだけなのに、結構なお金がいったけどまぁ、燈ちゃんが笑顔になってくれたんなら……安いものだ……。

 ひまわり畑で一時間ほど何もしないでボーっとしていると、帰りのバスがやって来た。


 そのバスに乗って、僕たちはまた駅前に戻って来たのだった。

 後は僕たちの町に戻るバスを待つだけ。

 だけど、バスは十分ほど前に出たばかりで、時間が合わなかった。

 

 ここはそれほど都会ではないから、数分おきのペースでバスが出ている訳ではなかった。

 時刻表を見てみると次のバスが来るまで一時間以上ある……。


 今は五時、バスが来るのは六時過ぎ、その時点で六時までに帰れないことが確定した。

 家に帰ったころには七時半くらいだ。

 

 門限と言うかはわからないけれど、六時には家に帰ってこいと昔から言われていたから、一時間半以上もオーバーしてしまう。

 まあ仕方ない。

 怒られよう、潔く。

 だけど問題は燈ちゃんの方だった。


「バス間に合わなかったね。ごめん、もう少し早かったら」


「蓮くんが謝ることじゃないよ。どっちにしても、バスの都合上間に合わなかったんだから」


「うん……。だけど無言で出て来ちゃったから、燈ちゃんのお父さん心配しないかな?」


「お父さんは別に私がいなくても心配しないと思う……。それより、蓮くんのお母さんとお父さんが心配しているでしょ」


 父親の話をするとき燈ちゃんはいつも暗い顔をする。

 僕は四年前にお母さんから聞いた話を思い出した。

 お父さんと仲が良くないことは薄々気が付いているけれど、僕は訊けずにいた。

 訊いた方が良いのか、訊かない方が良いのかわからない。


「そ、そんなことないよ。僕の親が僕のことを心配しているように、絶対燈ちゃんのお父さんも、燈ちゃんのことを心配しているよ……。親は子供のことを一番に考えているもんだろ」


 燈ちゃんは虚ろに微笑んだ。


「そうだね……。そうよね……」


 重くなってしまった空気をどうにかしなければ。

 明るいことを言わなければ……。

 だけど僕には場の空気を一瞬で明るくするようなギャグのセンスとか、話題とかがない。


 薄っすらと暗くなり始めている町並みを眺めていると、浴衣を着た人々が行きかっているのが目に入った。

 そうか。

 そうだ!


「燈ちゃん、祭り見に行こうよ」


「祭り……?」


「ほら、観光案内所のお姉さんが言っていたじゃん。今日は祭りだよ。祭りがあるんだよ。ほら見て、浴衣を着た人たちが沢山いるじゃないか」


 僕は浴衣を着た人々を指さした。


「だけど、バスを待たなきゃ……」


「まだ一時間以上あるじゃん。十分前くらいに戻ってきたらいいんだよ」


 燈ちゃんの心は待つべきか、行くべきかの間で揺れ動いているのだろう。

 そこに僕は最後の一押しをする。


「きっと沢山の屋台があるよ。綿あめとか、りんご飴とか、チョコバナナ、チョコフルーツ、クレープ、たい焼き、たこ焼き、お好み焼き、焼きそば、イカ焼き、金魚すくいにスーパーボールすくい、射的にお面!」


 僕は祭りで思いつく単語を言える限り一息で言い切った。

 待つべきか、行くべきかの中間で揺れ動いていた燈ちゃんの心は、そのひと押しで『行くべき』に傾いた。


「わかった……。十分前には戻りましょうね」


「そうこなくちゃね」


 僕たちは浴衣を着た人々の後ろをついて行った。

 人だかりを道を抜けると、色とりどりの提灯や飾りが吊るされた通りに出た。


 薄暗くなった町並みに提灯の灯りと、どこからともなく漂ってくる色々な香りが僕の心を掻き立てる。

 祭りの空気、祭りの匂い。

 

 どうして祭りと言うだけで、これほどワクワクするのだろうか。

 ワクワクしているのは僕だけではない。

 子供も大人もみんな浮足立っているのがわかる。

 

 提灯の灯りを頼りに進んで行くと、屋台が立ち並ぶ通りに出た。

 ガチャガチャ、ガヤガヤ、出店の店主たちが鉄板料理を作りながら、大きな声でお客を呼んでいた。

 すべての空気がいつもとどこか違う感じ。


 まるでファンタジーの世界。

 世界が薄っすらとぼやけていて、キラキラして見える。

 あの世とこの世の境目がぼやけてしまうようで。


 喧騒しているけれど、どこか寂し気で、今にも消えてしまいそうで、怖いような、悲しいような儚い気持ちになる。

 お祭りって不思議だ。

 

「一緒に祭りに来るなんて、いつぶりかな」


「毎年じゃない」


 僕たちの町にも小さいけれど夏になると祭りがあった。

 打ち上げ花火は上がらない、ただ市販の花火を買って町の子供たちが遊ぶという小規模なものだけど、屋台ならそれなりにあった。

 僕の両親は食堂をしているということで、屋台を毎年出している。


 お父さんとお母さんが屋台でたこ焼きとか、お好み焼きとか、焼きそばとか、イカ焼きとか、ようは色々作っている間、僕は男子友達や燈ちゃんたちと祭りを楽しんでいた。


 屋台の立ち並ぶ通りを歩いていると、綿あめの屋台を見つけた。

 綿あめ屋のおっちゃんに綿あめ二つ作ってもらって、一つ燈ちゃんに渡す。


「あ、ありがとう……」


 綿あめを歩き食いしながら、屋台通りを回る。

 僕たちの顔と同じくらいの大きさの綿あめで、口に含むとすぐに溶けてなくなる。

 口の周りがべたつくのも、一つの醍醐味。

 

 食べてしまうと新たな誘惑に駆られて、りんご飴も買った。

 お祭りのときくらいしかりんご飴は食べられないし……。

 財布の紐が緩くなるとはこのことか。


 りんご飴を食べないとお祭りに来たとはいえない、という独自の哲学があった。

 屋台以外にも紙で作られた人形や、ジオラマなどの展示も沢山こしらえられている。


 藁で作った鬼や、近くの小学生たちが描いた絵。

 写真や彫刻、パッチワークとか色々な展示があった。

 通りを歩いていると金魚すくいの屋台を発見した。


 金魚すくいしたいのはやまやまだけど、家で飼うことができないから渋々、他の屋台を探す。

 

 探しているとくじ引きがあった。

 屋台の後ろには色々なおもちゃやゲーム機が展示されている。

 くじをみると例えどんなくじだろうと、何故か引きたくなってしまうのが人間の性というものだろう。


「ちょっと……辞めといた方がいいよ。くじなんて絶対に当たらないから……。こういうのはアタリが入っていないのよ……」

 

「確かに昔からお祭りのくじ引きで当たったことないけれど、今日は何だか当たる気がするんだ!」


「その自信はどこからくるの……」


「だってあれ見てよ。四等が出たとか、三等が出たという張り紙がされているんだ」

 

「あんなの嘘に決まってるじゃない……」


 燈ちゃんの止めるのも聞かずに、僕はくじを一回だけ引くことにした。

 顔に切り傷がある強面お兄さんが当たるコツなるものを伝授してくれた。


 何でも下の方に当たりのくじは固まっているそうだ。

 僕のとなりで燈ちゃんが疑わしそうな顔をしている。

 このお兄さんが信用できないらしい。

 

 人は見かけで判断しちゃいけない。

 僕は強面お兄さんの言葉を信じて、箱の中にたくさん入っている三角形のくじの中の下側を選び取る。


「ああ、坊主、残念だったな……。この中から好きなやつ一つを選びな」


 やはり当たらないのか……。

 残念賞はおもちゃの指輪だった。

 プラスチックのリングに、宝石に見立てたビーズが付いている。


 僕は男だし、正直言っていらなかったけれど、受け取らない訳にもいかないので適当なやつを一つ選んだ。

 ルビーのような赤いビーズの付いた指輪だった。


「これ、あげる」


 僕は燈ちゃんにその指輪を差し出した。


「……」


「僕男だしね。これは燈ちゃんの方が似合うよ」


 燈ちゃんはあわあわしながら、指輪を受け取った。


「ありがとう……。だ、大事にするね……」


 くじでいいところが見せられなかったけれど、スーパーボールすくいなら得意だった。

 大きなたらいに色とりどりのスーパーボールが流れるプールみたいに、ぐるぐる回っている。


 僕がスーパーボールを沢山取っているのをとなりで見て、燈ちゃんはあきれていた。

 僕は昔からスーパーボールすくいや、金魚すくいが上手いのだ。

 

 いつも紙を破ることなく、カップ一杯とっている。

 そして付けられた二つ名は、すくいの蓮。

 と言われたり、言われなかったり。


「そんなにとってどうするの……?」


「どうするって……」


 僕は何でこんなカップ一杯に、スーパーボールをとっているのだろう?

 そんなの決まっている。

 楽しいからだ。


 カップにこれ以上はいらないくらいまで取ったけれど、持って帰れるのは五つだけだった。

 一通り遊び回って、一時間が過ぎようとしていたころ、異変に気付く。

 

 そろそろバス停に戻ろうとしたところで、燈ちゃんがいないことに気が付いた。

 辺りは人、人、人で燈ちゃんの姿はどこにもなかった。

 ベッドりと汗ばんだ肌が、氷でも押し当てられたみたいに急激に冷えた。

 

「燈ちゃん、燈ちゃん……、燈ちゃん!」


 僕の叫びはお祭りの喧騒けんそうにかき消されてしまう。

 間違いない、はぐれてしまった……。

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