第6話 燈ちゃんのお父さん

 ここ最近晴れなかった重い気持ちが晴れてぼくは、「行ってきます」と言うときのようにテーションマックスで「ただいま」と言った。


「おかえり、と言う前にぃー、また寄り道してぇー。一度家に帰って来てから、遊びに行けっていつも言ってるでしょ。どこに寄り道してたの?」


 お母さんは眉を吊り上げて、玄関で仁王立ちしていた。


「あかりちゃんの家に行っていたんだ……」


「あかりちゃん? 女の子」


 今までの仁王はどこへやら、お母さんは驚いたような顔になった。


「うん。それがどうしたの?」


「もしかして、吉良きらあかりちゃん? 吉に良って名字」


「たぶんその漢字だと思うけど。だから、それがどうしたの?」


「いや、昔からちょっと知っている子だから。どう? 燈ちゃん元気にしてる」


「元気だけど」


「仲いいの?」


 ぼくはちょっと恥ずかしい気持ちになったけれど、恥じることではないともう知っているからはっきりと答えた。


「うん」


 すると今まで怒っていたお母さんは、ニコニコ顔になった。

 訳がわからない……。


「そうか~、仲良くしてあげなさいよ。からかったり、いじわるしちゃいけないんだから。女の子には優しくね」


「もう、いじわるなんてしないよ。いじわるなんてもう、絶対にしない」


「ならいいけど。せっかくだから今度家に連れて来なさいよ。お菓子とかケーキいっぱい用意しとくから」


「お菓子とかあげるって言う人には、付いて行っちゃいけないって教えられるよ」


「親の揚げ足を取るんじゃないの。わかったわね。連れてきてよ」


「わかった。また今度訊いてみる」


「よろしい。じゃあ手を洗ってきなさい。ごはん食べるから」


 ぼくの家は夜七時半くらいには必ず晩ごはんを食べる。

 家が食堂をしてると殆どが余り物だけれど、味は絶品。

 まるでプロの料理人が作ったような料理だった。


 それもそのはず、端くれでも一応ぼくの両親はプロの料理人なのだから、美味しいに決まっている。

 だけど今日は、あまり味がわからなかった。

 ご飯を食べながら、あかりちゃんのことを考えたから。

 

 もう両親は帰って来たのだろうか。

 ぼくが家族で楽しくやっている時間、あかりちゃんはあの家で一人なのだ。

 なんだか申し訳ない気分になる。







  

 あの日以来、男子友達からからかわれたって、ぼくは気にしなくなった。

 どうなることか不安だったけれど、堂々と仲良くしていれば誰もからかってくることはなかった。 

 あかりちゃんは以前より笑顔も増えて、明るくなった気がする。


 だからなのかわからないけれど、女子たちも自然とあかりちゃんに話かけるようになっていた。

 調子の良いときは保健室で過ごす時間より、教室で過ごす時間も長くなっている。


「ねえ、今日ぼくの家に遊びに来ない?」


 休み時間に訊いてみた。


「れんくんの家に……?」


「お母さんがあかりちゃんに会いたいって言っているんだ……。嫌だったら無理にとは言わないよ」


「いいよ」


「いいの?」


 期待していなかった訳ではなかったけれど、本当にいいと言われるとは思っていなくてぼくは少し驚いていた。

 あかりちゃんは家に帰らず、そのままぼくの家にやって来た。


「表は食堂の入り口だから、裏から入るんだ」


 裏に回って家の中に入ると、お母さんはぼくが今日あかりちゃんを連れて来るのを、あらかじめ予期していたように出迎えた。


「あかりちゃん、はじめまして。蓮の母の弥紗みさです。弥紗おばさんでも、弥紗さん、弥紗ちゃん、何ならお母さんでも好きに呼んでね」


 あかりちゃんはソワソワしながらぺこりと頭を下げた。


「は、はじめまして……。れ、れんくんと仲良くさせてもらっている……、あかりでしゅ……じゃなくて……です……」


「そんなに、かしこまらなくていいのよ。自分の家のようにくつろいでね。燈ちゃん甘い物好き?」


「はい……」


「よかった。クッキーとかケーキとかいっぱい用意してあるから、まあ上がって」


「おじゃま……します……」


 あかりちゃんは脱いだ靴を丁寧にそろえて中に上がった。

 台所のテーブル一面にテレビや映画とかでしか見たことがない、沢山のクッキーだとかケーキが置かれていた。


「これどうしたの……?」


「作っちゃった」


「こんなに食べきれるわけないだろ……」


「食べられなかったぶんは、持って帰ってもらったらいいし。それでも多ければ、店に来たお客さんにサービスするわ。ささ、あかりちゃん食べて食べて」


 男子の友達を連れてきたときは、こんなこと一度もしてくれたことないのに……。

 

「やっぱり女の子はいいわね。蓮じゃこうはいかないわよ。もう一人頑張ろうかしら」


 頑張るって何をだよ……。

 手作りのスポンジに生クリームと、色々なフルーツを挟んだフルーツたっぷりケーキや、クッキー生地のタルトケーキを食べるあかりちゃんを見て、お母さんはニコニコ満足そうに笑っていた。


「美味しいです。こんな美味しいケーキ食べたことありません」


「本当。よかったー。今朝から腕に寄りをかけて作ったかいがあった」


 お世辞というものを知らないのか……とぼくは心の中でツッコミを入れたが、確かに美味しいのは間違いない。

 

「ついでだから夕食も食べて帰ったらどうかな」


「え……?」


「お父さんまだ帰って来ないでしょ。せっかくだから、食べて帰ってよ。私からお父さんに連絡するから。帰りはちゃんと家まで送ってあげる。ね」


「でも……」


「そうだよ。ついでだから食べて帰っていきなよ」


 ぼくも今回ばかりはお母さんに協力することにした。


「ね」


「じゃあ……お言葉に甘えて……」


 ちょっと、いやかなり強引になったけれど、今家に帰っても七時まであかりちゃんの両親は帰って来ないのだ。

 今日くらい、いいだろう。


 それから晩ごはんまでの間、一緒に宿題を終わらせて、家族みんなで夕食を食べた。

 いつもは食堂の余り物を食べるのだけれど、今回は余り物ではなく新たに作った料理、手巻き寿司だった。

 どうしたんだ……今日は……。

 

 イクラとかマグロ、ブリとかサーモン、いくら、後はキュウリとかレタスその他もろもろの野菜が大皿に並べられていた。

 みんなでワイワイしながら手巻き寿司を巻いた。


 あかりちゃんも緊張がほぐれた様子で、気軽に話すようになった。

 食事を終えて、七時ちょっと過ぎくらいにぼくとお母さんは、あかりちゃんを送るために家を出た。


「今日はありがとうございました。あんな楽しい食事をしたのは初めてでした」


 空は紫色で、海は微かに残る夕日の橙色が点々と波打っていた。

 この町では、カラスの代わりにカモメやウミネコが鳴く。


「うん。またいつでも食べに来てね」


 お母さんはあかりちゃんの手を繋いだ状態で微笑んだ。

 こうしてみると、あかりちゃんとお母さんは本当の家族みたいに見える。


 そんな家族のような団らんな時間も終わりを迎えた。

 あかりちゃんの家に明かりがついている。

 もう両親が帰ってきているのだろう。

 

 チャイムを鳴らして出てきた人は、三十代後半くらいの男の人だった。

 ちょっと怖い感じがして、ぼくはお母さんの背中に隠れるように後下がりした。

 あかりちゃんのお父さんだろうか。

 

「吉良くん、久しぶりだね」


 久しぶり?

 お母さんとあかりちゃんのお父さんは知り合いだったのか?

 あかりちゃんのお父さんは、あかりちゃんの顔とお母さんの顔、そして僕の顔をゆっくりと見回した。


「何年ぶりかな」


「そうとうになるな」


「あかりちゃん大きくなったね。同じ町に住んでいるのに全然会わないから」


「ああ。子供の成長は本当に早いな」


陽花里ひかりに似ているね。笑ったときなんてそっくり」


「性格は俺に似ているかもな」


「そんなことないわよ。陽花里もこれくらいの歳のころは内気だったんだから」


「そういえば陽花里もそう言っていたな……」


 燈ちゃんのお父さんは悲しそうに顔を歪めた。


「あのときは済まなかったな……。おまえたちだって辛かったのは同じなのに……。あのときはすごくイラ立っていたんだ……。言い訳にしかならないが」


「全然気にしてないから。だけどごめんね……。一番辛いときに、私たち何もしてあげられなくて……」


「いや……俺が避けていたんだ。おまえたちと一緒にいると、色々と思い出して心の整理がつかなかったんだ。だからおまえたちは悪くない」


「うん……。また店に来てよ。サービスするから。それと、たまに燈ちゃんをご飯に呼んでいいでしょ」


「ああ」


 そういって燈ちゃんのお父さんは僕を見た。

 僕は怯んで、隠れ場所を探すようにきょろきょろと周囲を見回した。 


「君が蓮くんだね」


「え、あ、はい……」


「いつも燈と仲良くしてくれてありがとう。これからもこの子と仲良くしてやってくれるか」


 怖い人だと思っていたけれど、意外とそうでもないのかもしれない。

 どうして燈ちゃんは、お父さんのことを怖がっているふうなんだろう……?


「はい」

 

 僕はハッキリと返事を返した。

 燈ちゃんのお父さんは微かに微笑んで、家の中に消えた。

 燈ちゃんは扉が閉まる最後の瞬間まで、笑顔で手を振ってくれた――。

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