第5話 仲直り
プリントを持って、ぼくはいつも帰る道とは反対側の道を進んだ。
いつもなら海方面の道に行くけど、今日はある目的のために山方面に向かう。
あかりちゃんのお見舞いに行くんだ。
よく遊んでいたけれど、一度もあかりちゃんの家には行ったことがなかった。
先生に描いてもらった地図を頼りに、あかりちゃんの家を探す。
白い外壁に三角の屋根で、ヨーロッパの田舎にあるような雰囲気のいい小さな洋風の家を見つけた。
白いペンキで外壁が塗られていて、潮風にさらされる片側だけが傷んで剥がれ、地肌が見えていた。
小さな庭もあって、白い柵が家の周りを囲んでいる。
小さいけれど、とても暖かそうな家。
この家だ。
ここまで来たんだ。
立ち止まればすぐに固まってしまう脚を叩いて、気合を入れる。
外開きの玄関扉の横に付いていたカメラ付きのチャイムを押して待つ。
どうやって話そうとか、謝っても許してもらえるかな、とかいろいろなことが頭を過ったけれど、ぼくは頭を犬みたいにブルブル振って弾き飛ばした。
考えても始まらないじゃないか……。
だけど、しばらく待ってど暮らせど、家の人は出てこなかった。
聴こえなかったのかもしれないと思って、もう一度チャイムを鳴らす。
やはり出てこない。
留守なのかな……。
ぼくはプリントを両手で抱きしめるようにして、庭の方にある窓に視線をやった。
すると閉められたカーテンが揺れた気がした。
間違いない、あかりちゃんはいるんだ。
きっと怒っているから、出て来てくれないんだ……。
謝らなければ。
傷つけてしまったことを謝らなければ。
ぼくはもう一度チャイムを押して、カメラに向かって話しかけた。
「あかりちゃん……。その……プ、プリント届けに来たよ……」
カメラのレンズがぼくに焦点を絞った。
きっとカメラの向こう側でぼくを見ている。
「少し話さない……。話したいことがあるんだ。出てきてくれるかな」
出て来てくれるだろうか……。
出て来てくれなかったら……。
いや、出て来てくれる絶対に。
ドキドキしながら、待っていると人の気配が、扉の向こうから近づいてきているのがわかった。
扉を挟んだ向こう側に人が立った気配がすると、鍵の開く金属音がカチャとした。
わずかに開かれた扉の隙間にぼくは言った。
「本当にごめん……。ぼく、酷いことして……」
今にも泣き出してしまいそうな、震えた声だった。
「女子と遊んでるって……みんなに馬鹿にされるのが嫌で、あかりちゃんのことを避けていたんだ……。傷つけるようなことをして、本当にごめんなさい……」
「入って……」
ぼくは顔を上げた。
そこには水色の水たまり模様のパジャマ姿をした、あかりちゃんが立っていた。
「はい」
「え?」
リビングの中に入るとあかりちゃんからティッシュを手渡された。
「涙……」
「ああ……」
指摘されてぼくは自分が泣いていることに気が付いた。
恥ずかしさでぼくは慌てて涙を拭って、ついでに鼻をかんだ。
落ち着くとぼくは改めて、謝った。
「避けてて、本当にごめんね」
もう許してくれたのだとぼくは安心しきっていた。
謝ったら無条件に許されると、ぼくは子供心に思っていたから。
謝っても簡単に許されないこともあるのだと、ぼくは初めて知った。
「許さない……」
「え……」
聞き間違いではない。
間違いなく「許さない」とあかりちゃんは言った。
あかりちゃんは声を震わせながら続ける。
「何で避けられてるのかわからなかった……。何か悪いことしたのかな……って……。嫌われるようなことしちゃったのかなって……。ずっとずっと考えて……。だけど、何を怒っているのかわからなくて……謝ろうと思っても、避けられて、無視されて……」
パジャマのスウェットを握りしめて、あかりちゃんは涙を流しながら、だけど力強い眼つきでぼくを睨む。
ぼくもつられて、治まっていた涙がまた出始めた。
許されなかったからでも、睨まれたからでもなく、あかりちゃんの辛かった心を思うと涙が出た。
「ごめん……ごめんよ……。あかりちゃんは何も悪くないよ……。悪いのはぼくだったんだんよ……。みんなから馬鹿にされるのが嫌で……。傷つけちゃって本当にごめんなさい……」
「許さない。許さない。許さない……」
お互い真っ赤に泣きはらしたおたふくのような顔をしている。
「どうしたら許してくれる。許してもらえるならぼく何でもするよ……」
あかりちゃんは真っ赤な目で、しばらくぼくを見て、声を絞り出すようにして言った。
「わたしのことをもう避けないで……! れんくんには他にも友達がいるけど、わたしにはれんくんしかいないもん……。れんくんに避けられたら、またわたし一人になるもん……。一人はいや……。一人でも大丈夫って、自分に言い聞かせていたけど、やっぱり一人はいやっ……。もう一人はいやなの……。だから……わたしと仲良くしてよっ……!」
あかりちゃんの魂の叫びに、ぞわぞわと血が体を駆け巡る感覚を感じた。
「も、もちろん! ぼ、ぼくの方こそ、また仲良くしてくれる……! もうどんなことがあろうと、あんなことはしないから。また仲良くしてくれる!」
あかりちゃんは恥ずかしそうに顔を背けて小さくうなずいた。
興奮が冷めてしまうと、ぼくも急激に恥ずかしくなった。
泣きはらしていたおかげで、顔が真っ赤になっているのを誤魔化せてよかった。
ぼくはずっと握りしめていたプリントのことをやっと思い出して、あかりちゃんに渡した。
「あ、これ、今日のプリント」
「あ、ありがとう……。ジュースあるから飲む」
「うん。ありがとう」
泣いたせいで喉がカラカラになっていた。
あかりちゃんはオレンジジュースを紙パックごと、お盆に載せてやってきた。
見るからに重そうで、震度二とか三の地震みたいにプルプル震えていた。
「ありがとう」
ぼくは片側を持って二人で、テーブルまで運んだ。
オレンジジュースを飲みながら、チラチラとリビングを見回していると、小さな仏壇に飾られた写真を見つけた。
誰だろう……。
少し目を凝らして見たけど、写真に写っている人物は見えなかった。
「どうしたの?」
「いや、何でもないよ。それより、せっかくだから一緒に宿題やらない。わからないところはぼくが教えるから」
リビングテーブルの上でぼくたちは宿題をした。
あかりちゃんが学校を休んでいた間の勉強を教えて、かっこいいところを見せようと思っていたけれど、予想に反してぼくが逆に教えられる側になってしまった。
それもそのはず、あかりちゃんはすでに小学三年生レベルの勉強ができるのだから。
ぼくの知らない漢字や、九九とかそういうまだぼくが習っていないところをもうやっている。
ちょっと恥ずかしい想いはしたけど、教えられることがいっぱいで勉強になった。
いつの間にか時刻は五時半くらいになっていて、曇り空色に外が暗くなり出している。
最近は七時くらいまでは明るいけれど、親から六時までには家に帰るようにきつく言われているから、もうそろそろ帰らなくてはならない。
「じゃあ、ぼくはそろそろ帰るね」
あかりちゃんはちょっと寂しそうにうなずいた。
「うん……。今日はありがとう」
「あかりちゃんのお父さんとお母さんは何時くらいに帰ってくるの?」
「七時くらいには帰ってくるよ」
「いつも、七時まで一人で待っているの?」
「うん……」
「偉いね」
「偉くないよ……。全然……偉くない」
「いや、偉いよ。ぼくの家、食堂やっているから帰ると両親二人ともいるんだ。だからたまに帰っても誰もいないときとか、一人で留守番するときとか寂しくなっちゃうもん。あかりちゃんは偉いよ」
ぼくはランドセルの中に終わらせた宿題を詰め込んで玄関に出た。
「明日は学校に来れるよね?」
「うん」
ぼくは胸をなで下ろす。
「じゃあ、また明日遊ぼうね」
「また明日」
あかりちゃんはぼくの姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。
ぼくもあかりちゃんの姿が見えなくなるまで手を振った。
こうしてぼくたちは仲直りすることができたのだった――。
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