第9話 2度目の8月の旅

「この車どうしたんですか?」


旅行に旅立つ朝、いつもの駐車場にあった車に立夏は驚く。そこにあったのは見慣れた箱バンではなく、スタイリッシュな原色のスポーツカーだった。


まさか買い換えたわけではないと思うが、ここにそんな車がある理由がわからなかった。


「藍理に借りたの。たまにはちょっとお洒落な旅も気分が変わっていいかなって」


「全然維花さんには似合いませんけどね」


外見はともかく、中身はお洒落とは縁遠いことを知っているから言える台詞だった。ただし、外見だけで言えば似合い過ぎで格好良すぎるが、そんなことを朝から言えば出発が遅れるにしかならないことを立夏は十分学んでいる。


「そうだよね。でも、いつもあの車にしか乗せてあげられていないことへの罪の意識は一応あるんだから」


ごつい車だなと思うだけで維花の拘りが立夏にはよく分からなかったが、維花なりの思いはあるらしい。


「もう慣れましたけどね。でも、すごいですね藍理さん。外車ですよね? これ、すごく高そう」


「藍理はアホほど仕事してて稼いでるからいいんじゃない。この車ね、なつきちゃんに自分を迎えに来て貰うためだけに買ったって、ほんっとバカよね。免許も持っていないくせに」


藍理の恋人には立夏はまだ会ったことはなかったが、確かに藍理はこの車の助手席に乗っているのがぴったりな女性だ。


「でも、よく貸してくれましたね」


「まあね」


少しその返答までに間があったように立夏は感じたが、勝手に借りてきたでは流石にないだろう。


そのまま車に乗り込んで、いつものように維花の運転で旅先に向かい、少し観光地巡りのようなことをして夕方前にはホテルに到着していた。


今日宿泊するホテルは建物は地味に見えたが、空間使いが贅沢でいいお値段がするのではないかと思いながら維花と手を繋いで案内された部屋に向かう。


館内の説明を聞いて二人きりになると、広々としたリビングのソファーにまずは腰を下ろした。


「維花さん」


維花は入り口とは逆側の窓際で、その先にある海を見ていたが、立夏の声に向き直る。


「維花さんの誕生日なんだから、このホテル私に出させてください」


「わたしが好きで取った場所なんだから気にしなくていいよ。それに立夏ちゃんは誕生日プレゼントにテントくれたでしょう?」


「そうですけど、維花さんはそもそも何でもすぐに買ったり散財しすぎです。時々心配になるんです」


「いきなり怒られた」


立夏の隣に維花も腰を下ろし、額に人差し指を置いて唸りを上げる。


「自業自得です」


「立夏ちゃんと暮らし始めてから、これでもだいぶ抑える ようになったんだけど。キャンプ用品もかなり処分したし」


「貯金はちゃんとしてますか?」


同棲を始めて家賃や生活費の部分は金額を決めて折半しているが、給料自体は各自で管理している。前から少し気になっていたことをここぞとばかりに立夏は口に出す。


「多少は。3ケタはちゃんとあるよ」


それには少し立夏も安心する。


「気になるならお財布ごと預けようか? お小遣い制でもいいよ」


その言葉に立夏は一気に首まで真っ赤に染まるのを感じた。


それではまるで夫婦のようだ。


「さすがに維花さんの給料を私が知っていいものでもないと思うので遠慮させていただきます」


その言葉にさらっと金額を言う存在は全く隠す気はないらしい。立夏のそれよりも二倍まではいかないにしても、それなりに差はある。


「そういうの軽く言っちゃ駄目です」


「でも、うち給料テーブル公開してるから、私のランク当てはめればだいたいわかるよ? 見たことなかった?」


「自分のか、自分の一つ上くらいしか見てません」


「そっかぁ。でも、まあ滅茶苦茶稼いでるわけでもないけど、一人だし、そこそこ余裕はあると思ってるよ。無駄遣いはできるだけ抑えるようにしてるし、お金使うなら今日みたいな立夏ちゃんと何かするために使いたいと思ってるしね」


あっさりと男前なことを言われてしまい、分が悪そうだと立夏はそれ以上の追求は止めることにした。





夕食の時間までは部屋のソファーで身を寄せ合ってのんびり過ごし、夕食の時間になると指定された食事場所移動し、横並びで和会席の夕食に舌鼓を打つ。


「今日はビールいいんですか?」


「今日は酔いたくないから」


そうだった、とそこで立夏は維花の宣言を思い出す。


「維花さんってほんと、やりたいことには真っ直ぐですよね?」


「立夏もわたしのこと良くわかって来たよね」


珍しくちゃんづけがない呼び方に、立夏の体温は少しだけ上昇した気がしていた。時々呼び捨てのことがあるのは今までにも気づいていたが、そういう時の維花には大抵二倍増しで胸がときめく。


「一年半前はそんな人だなんて全然知りませんでしたけどね」


「わたしも一年半前は立夏ちゃんがこんなに飛び込んで来てくれるタイプだとは思わなかったな」


褒められた気がせずに、もうっと膝を叩くと一瞬で維花に距離を縮められ頬に触れるだけのキスをされる。


仕切りはあるものの人通りがある中での大胆な行動に、立夏は再度維花の膝を叩く。


「大丈夫、大丈夫誰も見てないから」


キャンプでも旅行でも何でもいい。


こうやって維花と他愛なく触れ合っている時間が立夏は好きだった。体を重ねることだけではなく、手を繋いで触れ合うそれだけで立夏を幸せにしてくれるのは維花だけだと今では感じている。


不安定な関係でも、この関係を続けていく。


それだけが今の立夏の願いだった。

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