第8話 帰宅

自社への報告もあるからと夕方自社に戻った維花が帰宅したのは22時を過ぎた時間だった。


「お帰りなさい」


迎えの為に立ち上がった立夏は、リビングの入り口で維花を出迎える。


「ただいま」


笑顔で立夏に抱きついてきた存在をそのままぎゅっと抱き締め返す。


「お疲れさま」


「ありがとう、立夏ちゃん」


維花の突然の礼の意味が分からずに、何かしましたっけ?と尋ね返す。


「佐納さんに聞いた。わたしのこと心配して、佐納さんに相談してくれていたんでしょう?」


「……話しましたけど、リリースに向けて再確認だけするかってなっただけで、大したことできてないですよ」


維花が過去に客先の部長代理に、セクハラまがいの嫌がらせを受けてトラウマになっているらしい。できる限り部長代理と接触するような事態にならないようにしたいと、1月ほど前に確かに佐納に相談はし、できる限りのフォローはしてみると言ってくれたものの、そこまでの効果は期待はできないと思っていた。


「そんなことない。お詫びに行くのに佐納さんと交野かたのさんもつき合ってくれたの知ってる? PMのわたしと営業だけでいいって言ったんだけど、自分たちにも責任はあるから行くって。おまけに佐納さんここの現場が長いから部長にも裏で調整してくれてたみたいで、最終報告会も変に拗れずにすんだんだ。報告会終わった後で佐納さんに聞いて、わたしは立夏ちゃんに守られてたんだなって知って、嬉しかった」


顧客への最終報告会で維花と共に帰ってきたのは確かに、佐納と別のサブシステムのPLだった交野だった。

同じ会社のメンバーだが、今回問題を起こしたサブシステムの担当でもなく、何を基準に選択された人選かは説明がつかなかったが、意図的に同行してくれたのだとわかる。


「それ頑張ってくれたの佐納さんですよ」


「そんなことないよ。立夏ちゃんに言われなかったら、そんなこと全然思いもしなかったし、叶野なら大丈夫だろうとしか思わなかったって佐納さん言ってたよ」


「……すみません。佐納さんに過去のこと勝手にしゃべって」


「臆病なわたしの為を考えてしてくれたことでしょう?」


「そのくらいしかできなかったので……」


「差し入れしてくれて落ち着かせてくれたり、佐納さんに相談してくれたり、そのくらいじゃないよ。ありがとう立夏ちゃん」


「維花さんがまた嫌なことをされてなかったのなら、良かったです」


何もなくて良かったと、立夏もこれで緊張を解いてもいいのだと安堵はあった。


「強くなくてごめんね」


不意に維花の表情が崩れる。か細い声は震えていて、目を瞑りながら維花は涙を流していた。


頑張って表情を出さないようにしてきた維花の限界だったのかもしれないと、立夏はぎゅっと維花を抱き締める腕に力を込める。


「強くない維花さんが私は好きです。自分一人で強くあれる人なんて限られているから、負けそうになったら手を繋いで一緒に戦ってあげたかったんです」


「戦ってくれたよ、立夏ちゃんは。ありがとう。大好き」


声を上げて泣く人を立夏は落ち着くまで抱き締めて、何度も愛の言葉を囁いた。



その日維花は立夏と離れていたくないと、結局風呂にも一緒に入り、手を繋いで眠りについた。


傍にいて触れ合っているだけで誰よりも繋がっている。立夏はそんな気がした。



その後は、小さなバグ対応や性能対応が多少発生したものの大きなトラブルはなくプロジェクトの方は落ち着き、8月に入るとプロジェクトの解散の話がちらほら話題に上がっていることは立夏も知っていた。


これから先は主要メンバーは散り散りになり、保守を担当するメンバーだけが残ることになるだろう。若手は少ないため、立夏は自分が保守メンバーとして残るのではないかとも感じていた。


維花と現場は別れることになるだろうが、仕事なのだからそれは仕方がないことだ。同じ社内にいれば今後また一緒に仕事をする機会がやってくると信じて待つしかないだろうと。




リリース対応も落ち着いたため8月のキャンプを計画しようと維花に提案したものの、8月は誕生日だから立夏を抱き潰したいという本音しかない維花のリクエストで今年もキャンプにはならなかった。


そんなことを言えるくらいには維花も立ち直っていることに立夏は表情には出さないとしても安堵はあった。


人には見た目には見えない傷がある。それに素手で触れれば相手を傷つけるだけだ。癒そうと思っても、本当に癒えたかどうかなんて本人次第だ。維花の前向きな欲求はそれが現れた形だと思うと嬉しさはあった。


維花への誕生日プレゼントは、前々から欲しいと言っていた新しいテントをこっそり手配し、旅行前に到着したテントを見て維花は大喜びで、家の中で組み立てるとまで言い出す程だった。


呆れはしたもののその様は憎めず、自分の部屋でならと多めに見ることにして、今もまだ維花のキャンプ用品置き場兼仕事部屋にはそのテントが張られている。


何だかんだと維花には甘すぎることを立夏は自覚しているが、見た目は十分大人なのに少年のような純粋さがあるその人が堪らなく愛おしかった。

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