死相の原因
翌朝になった。
今は何時だろうか。昨日は結局、三時間以上は悶々とした時間を過ごした気がする。
桜咲が寝返りを打って俺から離れてくれたことで、どうにか眠ることができたが、苦労した。俺の理性、よく頑張った。自分で自分を褒めたいと思う。のだが。
「おはようございます風下くん」
「お、おはよう」
「離れてもらってもいいですか?」
「……っ! ご、ごめん!?」
睡眠中の俺は、今すぐにでもぶん殴ってやりたいと思う。
昨日あれだけ、平常心を保って何事もなく終えたというのに、今朝の俺は抱き枕よろしく桜咲に密着していた。
やけに寝心地がいいとは思ったが、一生の不覚だった。俺は慌てて桜咲から距離を取る。勢い余って、ベッドから滑り落ちてしまった。
「いてて……っ」
腰を強打し、苦悶に表情を歪める。
と、俺に向かって差し出してくる
桜咲、結構男らしい手をしているんだなと驚いたのも束の間、見上げた先にいた人物を見て、俺は唖然としていた。ポカンと口を開けて、痛みも忘れて放心状態になる。
無精ひげを蓄えたおじさんが、ぎこちない笑みを浮かべながら、俺を睨み付けていたのだ。
「随分と、気持ちよさそうに寝ていたね。風下くん」
「あ、え、えっと……理事長……??」
どうして理事長がここに居るんだ?
俺が桜咲に監禁されていることを知って、助けに来てくれたのか?
いや、だがそれにしては様子が変だった。
俺が当惑していると、桜咲が理事長に向けて声を上げる。
「お父様。ここには立ち入らないようお願いしたはずですが」
は? お父様!?
いや、そういえば理事長の名字って……。
俺が衝撃を受ける中、理事長は桜咲に弁解をする。
「
「何もありません。風下くんが気持ちよさそうに寝ていたので、起こすのが憚られてしまいましたが。特にお父様に言えないようなことは起きていないので大丈夫です」
「どこも大丈夫ではない、一緒に寝ている時点でアウトだ! そもそも、ここには風下くんが一人で泊まるという話ではなかったか!?」
「状況は常に変わるものです。臨機応変な対応が必要です」
「だがな……」
理事長は俺に視線を配ると、爪が食い込むくらい右手を握りしめる。やばい、殴られる奴だ、これ。
「り、理事長。落ち着いてください。俺、桜咲には何もしてませんから! 本当です! 本当ですから!」
「麗奈に抱きついて寝息を立てておきながらよく言うな。私の麗奈が……麗奈が……くっ」
理事長は、膝から崩れ落ちると、額を押さえて血涙を流す。
と、桜咲が、何食わぬ顔で理事長に質問した。
「それで、例の件は?」
「ん、あぁ。それなら滞りなく終わったよ」
「……例の件?」
俺が疑問符を立てると、桜咲が俺の顔をじっと見つめる。
「風下くんには関係のないことです」
そう言ってベッドから立ち上がると、洗面台の方へと向かっていく。髪の毛がボサボサだった。寝癖を直しにいくのだろう。
関係のないことと言われても、伏せられていると気になるものだ。俺がモヤモヤしていると、理事長はため息をひとつこぼした。
「‥‥‥もう聞いているかもしれないが、麗奈には死相が見えるんだ」
「いや、でもそれ嘘ですよね?」
「違う事実だ。今は信じられなくてもいいが、一旦はそれで理解してくれ」
「わ、わかりました」
「一ヶ月前、麗奈の目に、風下くんの顔に死相が見え始めた」
「一ヶ月前?」
死相が見えると告げられたのは、昨日のことだが。
「私は見えないからよく分からないのだが、初めはうっすらと見え始めて徐々に濃くなっていくのだそうだ」
「そう、ですか」
「それで死相が出た風下くんのために、麗奈は色々と奮闘していたよ。死因となる原因を特定するためにね。その結果、一つの結論をつけた」
「結論?」
「風下くん。キミのお父さん、多額の借金をこさえて蒸発しているだろう?」
「……っ」
心臓を矢で射抜かれたような衝撃が走る。俺は目を見開き、黒目を左右に泳がした。
高校に入ってすぐの頃、母さんが急死した。それで自暴自棄になった親父は、ギャンブルに墜ちていった。元々金銭面にだらしなく、家庭に迷惑ばかり持ち込んでくる人だったが、それが加速した形だった。
母さんが残した遺産もすぐに消え、残ったのは持ち家くらい。多額の借金を作ってきた親父を家から追い出して、俺は今、一人暮らしをしている。だから、正確には親父は蒸発とは少し違うが、意味合い的にはほとんど変わらなかった。
「キミのお父さん、かなり危険なところからお金を借りていたみたいでね。昨日の夜、風下くんの家に取り立て屋が来ていたんだ」
「そう……なんですか」
「ああ、もしあのまま風下くんが家にいたらと思うと、ぞっとするよ。借金を帳消しにするために、キミの臓器が売りさばかれていただろうから」
「は? いや、それはさすがに……日本ですよここ」
「だが、キミのお父さんはそのつもりだったみたいだよ」
「……っ、……あのクズ親父……」
俺は下唇を噛みしめると、血が出るくらい強く拳を握った。目の前に居たら、殴っていたかもしれない。この憤りをぶつける場所がないのが、歯がゆい。
「でももう心配はいらない。借金は私の方で肩代わりしておいた」
「……っ、え、そ、そんな──何してるんですか! 肩代わりなんて……!」
いくらの借金があるのかわからないが、学生の俺には目が回るような大金だったはず。親族でもない俺のために、借金の肩代わりなんて……そんな……。
「風下くんはウチの生徒だろ。生徒を守るのは当たり前のことだよ」
「で、でも……」
「と、自信をもって言えればいいのだが、実際は麗奈のためだ。麗奈が珍しく私を頼ってきたものだから、どうにかしてあげたくなってね。わざわざ旧校舎を改装して、この部屋を作るくらいだ。一応占い研究部の部室として通しているが、職権乱用もいいところ。‥‥‥親バカだろう?」
「改装……」
ああ、そういうことか。今、腑に落ちた。この部屋は部室にしては設備が整いすぎているし、綺麗すぎた。旧校舎を改装して作ったのか。
そういえば、冬休みの内に改装工事をしていたな。まさかこのためだったとは。
理事長はひとしきり俺の疑問点を解消すると、柔和な笑みから一転して口角を下げる。と、ポキポキと指を鳴らし始める。
「とはいえ、麗奈に手を出したことを許す気はないがね。ちょうど麗奈もいないことだ。悪いが一発──」
「え、ちょ、理事長!? だから手を出したわけでは……一緒に寝てたのもなし崩し的に寝てただけで」
「はんッ、言い訳など無用だ」
再び、右手を握りしめる理事長。
殴られるのを覚悟した──と、そのときだった。
「お父様。電話が鳴っていますよ。出なくていいのですか?」
「む、そうか、ありがとう麗奈。……命拾いしたな風下くん」
理事長は悔しそうに俺を一瞥すると、スマホを手に取って部屋を後にしていった。
俺は肩の力を抜いて脱力する。
九死に一生を得たことに安堵すると、桜咲に目を向けた。
「え、えっと何から話したらいいのかわからないけど、あ、ありがとな。俺のために色々してくれたみたいで」
「……お父様から聞いたのですか?」
「まぁ端的にだけど」
「そうですか。口止めしたのですが、困った人ですね」
桜咲は、小さくため息を吐く。表情の変化が乏しくて分かりづらいが、呆れているのだろうか。
「その、借金はいつか必ず返すから。どれだけ時間かかるかわからないけど」
「気にしないでください。元々、風下くんが背負うものではありませんし」
「でも、ちゃんと返すよ」
「……強情ですね」
親父が作った借金とはいえ、それを桜咲家が肩代わりする義理はどこにもない。
何年かかるか分からないが、キチンと返すの筋だ。
「ところでさ。俺を学校に閉じ込めておきたかった訳はわかったけど、それならどうして事情を話してくれなかったんだ? 借金の取り立てがくると教えてくれれば、俺が変に抵抗することもなかったと思うけど」
「そうですか? 風下くんが素直に聞き入れてくれるとは思いませんが」
いや、まぁ確かにそうか。
もし、事前に借金の件を聞かされ、その肩代わりをすると提案されても俺は苦い顔をしていただろう。迷惑を掛けるくらいならと、自分を犠牲にする考えをしていたかもしれない。
そもそも、そんな話を信じなかったかもしれない。
しかし、だからといって用意が周到すぎる気がする。わざわざ旧校舎を改装して、風呂トイレ付きの部屋を作るなんて馬鹿げている。
と、桜咲はジィッと俺の目を見つめてきた。
「死相は消えていますね。ひとまずは安心です。不足の事態に備えて大量に食料を買い込んでいましたが、必要なかったみたいですね」
俺の死相が消えるまで、桜咲は本気でこの部屋で生活するつもりだったのか。
ふと、昨日の夜
──私、嘘はつかない主義ですから。風下くんの顔には死相が見えます。消えるまではこの部屋で私と一緒に居てください
と、言っていたことを思い出す。
死相の件も本当みたいだし、桜咲は最初からずっと嘘をついてはいなかったんだな。
「ごめん桜咲。俺、桜咲のことずっと疑ってた。桜咲、嘘なんて一つもついてなかったのにな」
「……いえ、私の方こそ謝らないといけません。私、一つだけ風下くんに嘘をつきました」
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