間接キス

 結局、約束を破った罰として、また両手両足を拘束された。

 抵抗することもできたが、先ほどの痛みによる恐怖が先行して、抵抗する気は起きなかった。また、痛い思いをするのは嫌だ。


 単純な力だけなら俺に分があるだろうけど、テクニックの部分で差がありすぎる。


 実力行使で出たとしても、返り討ちに遭うだけだろう。


 そして、現在、どうやってこの監禁状態から抜け出すかに全思考を注力しているわけだが……。


「なに、してんだよ?」


「ラーメンを風下くんの口元に運んでいます」


 お湯を沸かして三分で出来上がる人類の英知の結晶──カップラーメン。

 調理器具や火を沸かす装置がない以上、食べ物となるとそういう話になってくるだろう。冷蔵庫には水があるし、電気ケトルに入れればお湯が作れる。


 しかし問題なのは、その作ったカップラーメンを、桜咲が俺に食べさせようとしていることだ。


「その状態では、食事ができませんから」


「それわかってるなら、拘束解いてくれないかな。手が自由になれば、俺一人で食べれるし」


「先ほどの件があるので信用なりません。はい、あーん」


「あーんって……」


 普通に恥ずかしいから、やめてほしいんだけど……。


 とはいえ、目の前にラーメンがあったら食べるのが自然の摂理だ。

 ずっと醤油ベースのいい香りが、鼻腔をくすぐっている。もう耐えられそうにない。


 俺は覚悟を決めると、ぎゅっと目をつむって、麺をすする。


「美味しいですか?」


「あ、あぁそりゃな。カップラーメンが不味いわけがない」


「それはよかったです」


「……え、ちょ、なんで桜咲が食べてるの?」


 桜咲は俺にラーメンを食べさせた後、今度はその箸で自分の口にラーメンを入れていた。


「安心してください。風下くんにもちゃんとあげます」


 俺が唖然とする中、桜咲は再び俺の口元へとラーメンを運んでくる。俺は仄かに頬を赤らめると、首をあさってに背けた。


「食べないんですか?」


「だ、だってこれ、か、間接キスだろ……桜咲は気にしないのかよ?」


「直接粘膜と粘膜が接触していないのに、そんなに気にすることですか?」


「そりゃ普通気にするだろ……特に今、ハラスメントとか何かとうるさい時代だし」


「私は気にしないので、大丈夫です」


「だから俺が気にするって!」


「そうですか。では、風下くんにはもうあげません」


「……っ」


 ずるずると、自分一人でカップラーメンを楽しみ始める桜咲。

 目の前でその光景を見せられるのは、ある種の拷問だった。


 今は何時だろうか。俺の体内時計が正しければ、19時は過ぎている頃だろう。

 ぐるる、と情けない腹の音が小さく響く。


「あ、あの」


「なんですか?」


「俺にもください」


「間接キスですけど」


「俺も、気にしないタイプなので大丈夫です」


 結局、人間の食欲には勝てないのだと悟る俺だった。



 桜咲にカップラーメンを食べさせてもらったことで、空腹は解消された。二人で一つのカップラーメンを分け合ったくらいじゃ、男子高校生の胃袋は満足しないだろと思っているだろうが、それは誤解だ。カップラーメンのほかにも、菓子パンやらカロリーメ〇トやらを食べたので、胃袋的には問題ない。


 それ以上に問題なのは、なぜか毎回食べるものを交互に食べあうシステムを導入していることだ。


 たとえば、俺が菓子パン、桜咲がカップラーメンをひとりで食べれば、間接キスもせずに済んだはず。なのに桜咲は積極的に間接キスをするような、食べ方をしていた。


 ホント、何考えているんだろうな。感情の起伏もほとんどないし、よくわからない。


 ともあれ、夜ご飯タイムも終了し、現在。


「俺、トイレ行きたいんだけど」


 俺は絶賛尿意に襲われていた。

 ずっと座っているせいか、食事による影響かは定かではないが、そろそろ膀胱が限界だと告げいている。


 しかし桜咲は、あごに手をやると、難しい表情を浮かべた。


「困りましたね」


「いや、拘束解いてくれればそれで解決なんだけど」


「ですが、また逃げ出そうとするかもしれません」


「しないから。てかもう限界に近いんだよ!」


 正直、今の俺に逃げる気持ちは一ミリもない。というか、半ば諦めつつある。

 時間帯的に、本来もう学校に居残っていてはダメな時間だしな。


 幸いにも、俺は一人暮らしで、俺のことを心配してくれる親もいない。警備の人とかに見つからない限りは、大ごとにならずに済むだろう。


 そんな俺の意思を汲み取ってくれたのか、桜咲は俺の拘束を解き始める。


「次、また逃げ出そうとしたら、今度は手加減しませんからね」


「え、あれで、手加減されてたの……?」


 結構容赦なく床に叩きつけられた気がするけど、あれが本気ではなかったのか……。


 俺が、ぞぞぞと背筋に寒いものを走らせる中、拘束が解かれ手足の自由が許される。


 そそくさとトイレに向かうと、用を足すことにした。

 個室を一通り眺めてみるが、綺麗な空間だった。綺麗すぎるくらいだ。

 よほど、丁寧に手入れしているのか、それとも最近できたのだろうか。


 思えば、部室の中も綺麗なものだった。多少私物はあったが、壁や床に傷もないし、目立った汚れもない。てか、やっぱりここが部室っておかしいよな。


 風呂トイレ付で、部屋が二つある。そんな部室、普通じゃない。


 俺はトイレを済ませながら、考察してみるが、それらしい回答は思いつかなかった。


 トイレから出ると、すぐ目の前に桜咲が立っていた。


「うおっ、ビビった! ……逃げないって。そんな心配しなくても」


「違います。これからお風呂に行きましょう」


 桜咲は俺の手を取ると、そんな提案をしてきたのだった。

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