第186話
91階層からの空と島エリアのドラゴンと比べれば、この霧と谷の迷路エリアの上空を飛ぶ羽虫なんてものは、宙へと放り投げたレジ袋やティッシュペーパーを目で追うのと同じように容易いことだ。
『――もっとッ、寄ってこいッ!』
それが夏の夕暮れ時の、蚊柱みたく群れ成していたとしてもだ。
すれ違い様に甲殻を割り、背を蹴って足場とし、縦横無尽に跳ね回る。【スロウ】による緩慢とした感覚の中にさえいれば、上下左右反転しようがしていまいが、方向感覚が狂うこともない。
ごうと響き、ぐぬりと裂く、この腕に伝わる感覚が教えてくれる。
殻が散り、羽が舞い、血飛沫が跳ねる。【ファスト】による加速をもってすれば、そう切り捨てようとも虫の羽音が止むことはない。死を自覚することもなく羽ばたき続ける。そうして、死と共に途絶えるに至る。
霧中に堕ちた虫は、地上へ向けて雨と成る。
地上には夥しい数の魔石が、
『……これだけやっても、あっという間に感じるなぁ……』
狩りモードを3時間近く続けていただけあって、ふと帰ることを考えだした瞬間、自分でも集中力が落ちたように感じた。疲れもそれなりに溜まっている。夕暮れ時も近い。回収やらの時間も考えれば丁度良い頃合いだろう。
『……噂の、巨大虫も現れなかったなぁ……』
魔槍のフルバーストも使うことがなかったし、魔槍と【ネクスト】の連携技を使うこともなかったし、消化不良と言えば消化不良だ。やっていたのは【ポーズ】の足場を飛び回ったりして、魔槍を振るうだけだったもんな。
やっぱり最後は、フルバーストぶっ放して、派手に終わりたい願望がある。
しかし、雑魚相手に易々と使っていいほど、コスパの良い技でもない。【ネクスト】なら使いどころもあるが、わざわざ放つ必要もない。後の、魔槍の食事やら、担当業務のことを考えれば、魔力の無駄使いは控えなくちゃならない。
『……まぁ、だから、ぶっ放せる理由をー、探してたん、だけどッ、そう上手くはいかないよなぁーっと。……あぁ、……もう終わっちゃった』
もし誰かに腹一杯食べたかと聞かれれば、俺は量だけ見ればそうだろうと答える。しかし、消化不良と言う訳では無いが、少しばかり物足りなさを感じていた。夕暮れ前の日の光がそう思わせるのではないだろう。幾つ歳を重ねても、俺は同じだ。
『……ッ、ダメダメ! 俺は帰るぞッ。今から帰るんだ!』
後少しだけ。そう思い始めれば、歯止めが効かなくなる。今から延長すれば、終わりが見えなくなってしまう。だから、俺は意思が変わってしまわぬうちに、霧中に向かって飛び降りることに決めた。
『――――ッ!!』
身体を傾けた時だった。うっすらとだが確かに、笛の音が聞こえた。それはモンスターを呼び寄せる音とはまるで違う、けたたましい音だ。ゼルズが危険を知らせるために吹き鳴らした警報笛の音だった。
その音が聞こえた瞬間、俺は咄嗟に膝を曲げていた。
地上へ傾いた身体を真下へと向け、【ポーズ】によって作り出した足場を蹴り、風を貫くほどの高速落下で笛の音が聞こえた方へと飛ぶ。視界が霧に覆われた瞬間、すぐに身体を反転させ、幾重もの脆い足場を作り出して速度を殺す。
そして、霧のない広場へと降り立たんとした時だった。
大きな岩場が眼下に見えた。笛の音が発せられたのは、ゼルズが狩りをしていた場所と同じだったはずだ。だが、その場所とは地形が変わってしまっていた。俺が知らぬうちに移動でもしたのかと思いながら、手近にあったその足場へと着地した。
すると――
「――エン兄ぃいい! それ! タイラントロックだゼェエエッ!?」
突然、ゼルが、俺の降り立った足場を指さして叫び声を上げた。
『……なるほど』
どうりで揺れる訳だ。周辺状況を確認してみても、危険なモンスターの姿なんて一切見えなかった理由に納得した。俺は知らぬうちに崖の一部から産まれるとも、迷路を変化させるだとも言われる超大型のモンスターの上に乗っていたようだった。
『フル……いや、……ゼルズに任せよう』
俺は魔槍を突き立てんと矛先を下へ向けたが、ふと過った考えによって制止した。
このタイラントロックは、強敵と言えば強敵だ。しかし、この階層の中での話だ。例え、レアモンスターと位置付けられる強敵と言えども、魔槍のフルバーストなら簡単に倒せてしまう。
だから、ゼルズの成長の機会を、奪うことは避けようと思った。
俺は、タイラントロックから飛び降りると、応戦中であるゼルズの最後尾へと回った。そして、【ファスト】の魔力供給量を加減して速度を緩め、魔槍を肩に担いで手を出す気はないというポーズを取った。そして、
『これくらい。ゼルズだけで余裕でしょ?』
と、自らの体躯の何十倍もの巨岩を前にしたままの、ゼルズを焚きつけた。すると、シンのまさかというような驚きの声や、泣き言の様なことをいうソナの声が続いた。しかし、負けず嫌いのリナが発破を掛けると、途端にゼルズが纏まった。
「ッく、……わあったよ! やってやるよッ! やんぞゼルズッ!」
そして、リーダーのゼルが、皆を鼓舞する声をあげながら立ち向かいに行った。
「ゴーゼルズ!! 全員でやるぞっ!! ぅうぉおおおおおお!!」
「幸いッ、動きは遅いわ! 拘束して、ん゛んん、早くヤってよ!」
「インッ――パクトォオ! 固てぇ! 割れるだけで効かないゼ!」
「ウッサイわよ! 見たら分かるっての! シンン! 手伝って!」
「私の水でもッ、……ソナッ水流に乗りなさい! 関節を狙って!」
「ウンッ、分かった! ィィイ……ャヤァッアアッ!! あぁ……」
ゼルズの連携は上手くいっているが、固く大きい岸壁の身体に阻まれ、有効打になりそうな攻撃が通らず、苦戦しているようだった。
タイラントロックは屈んでいても相当大きい。攻撃を察知しようと見上げるだけでも、視界の全てで捉えられるわけでもなく、死角が生まれてしまうほどだ。
それだけに、一振り腕を払うだけでも、広範囲高威力の一撃が迫り来る。まともに受けようものなら、軽々と弾き飛ばされてしまう。
ゼルズは攻撃を避けられてはいるが有効打が与えられず、タイラントロックは拘束を振り解くほどの一撃で応戦しているが、避けられている状態だ。
「足だゼ足! 足を狙え! 足からぶっ潰していくゼ!」
「だからやってんでしょーが! バカゼルゥウウウウ!」
「……吹き飛ばすってことだゼ! 充填、充填、充填ッ」
「なら! はやぐ! ヤってよ! ぶっ放して!!!!」
「充填ッ、完ッ了‼ ――レールガァアアアアン!!!」
ゼルが声を上げると同時、手甲から赤白い閃光が迸った。
レールガン。それはグインツの趣味嗜好によって魔改造を施された杭を打ち付ける手甲の、第二のギミックだ。ゼルの雷魔法を活かした攻撃の一つであり、亜音速で杭が放たれるゼルの必殺技でもある。
「――っくしょおッ! これでも駄目だゼ!」
白煙を上げる手甲に、杭を再装填しているゼルは苦い顔をしていた。
勢いよく放たれた杭は、タイラントロックの膝に突き刺さりはしたものの、動きを阻害するまでには破壊しきれなかった。しかし、内部に届いた。雷魔法の補助を目的として意図したものではないが、あれならば避雷針代わりにはなるだろう。
内部に電流を通して動きを阻害する位には、利用できるはずだ。
しかし、どうやら、その選択はしないようだ。ゼルズが次の手に選んだのは、俺とレオンとグインツが寄ってたかって、好き勝手にああでもないこうでもないと言いながら、皆で編み出した必殺技、もとい、超浪漫技の選択だった。
これ以外に打つ手がないと判断したのだろう。
このまま消耗戦になっても、分が悪いのはゼルズの方だからだ。既にレベリングによる疲労と消耗が積み重なっている。幾らか回復しながらレベリングしていても、能力半減状態にはなっているはず。だからこそ、短期決着を選んだのだろう。
「――ぐワッ、ァアアアアアア゛!!」
「ソナ!? ねぇ! 大丈夫なの!?」
「大、丈夫ッ。……受け切れないけど」
「無理しないの! まだ、立てる!?」
「大丈夫ッ! 姉さんは準備をッ!!」
竜の顎が閉じられれば、盾の役割を成す。とは言え、大きな一撃を殺しきるほどの体重も筋力もないソナは、受け流す程度の引き受け方しかできない。それでも身体ごと、崖壁に打ち付けられるほどだ。
必殺技の準備が遅れれば、負ける可能性も見えて来た。
勝負は必殺技に掛かっている。そう感じたからこそソナはシンに準備を急がせたのだろう。もし、万が一があっても、自らが倒れていても、発動できる必殺技だからこそ、引き受け役を買って出たんだろう。
「……見ていてね兄さん。……僕達が、強くなったところをっ!!」
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