第183話
『……どう、でしょうか……』
たった数秒間の静けさに、怖気づいてしまった俺は、耐えきれずに声を振り絞った。そして、怯えながらに民衆からの反応を待っていた。
『…………ッ』
しかし、歓声が上がることはなかった。ただ戸惑っているように顔を見合わせている者が殆どだった。だが、一方で、その様子を見た祭壇広間の内数人が、両手を広げながらに声を上げ出した。
「――ぉ、おおぉおおおおおおおおおおッ!!」
「素晴らしいッ!! 素晴らしいことですッ!」
「女神様の! 神子様の! 思し召しである!」
民衆の扇動だ。前もって民衆の真意を確認する為に、そのような行為は慎んでもらうようにと頼んでいたはずが、俺のスピーチが民衆に届かないという不甲斐ない結果に焦りを感じたのか、広間だけに声が響き渡った。
『――静かにッ! お願いしますッ! お願いですから……』
俺が慌てて制止するも、司教らが抑えるまでの間、信徒らの声が反響した。
俺は民衆との乖離を生まぬようにしたかった。だが、この扇動行為が起こったことによって不信感を募らせることになってしまわないかと、冷や汗が額を伝った。
民衆の気持ちからすれば、理解するのにも、納得するのにも、時間が掛かるはずだ。それなのに緊張感の漂う状態で、突飛な話ばかりすれば、こうなることは予想できていたはずだった。
にも、関わらず、勢いのまま話を続けてしまった俺の落ち度だろう。俺という個人がどう見えているか。それさえも分かってもらっていない状態だ。それに民衆は、突如現れた神子である俺を良く知らない。ならば、そりゃ当然の結果だろう。
不安にも思っているはずだ。
俺は神様じゃない。ただ一人の人間だ。これまでもこれからも。しかし、民衆には神子として振舞わなければならない。民衆も、そう思っているはずだろう。だけど、違うんだ。それを分かってもらわなければ、いけなかったんだ。
子供達には、挨拶と自己紹介が大事だって、いつも言っている側なのに。
まずは俺という人間のことを、そして探検者オーエン・スディのことを分かってもらおう。神格化されて崇め奉られるよりも、親しみやすい方がいいに決まってる。そうと決まれば、これまでのことを話して見ることにしよう。
『……私は、神子として産まれました。……ですが、その記憶を取り戻したのはつい最近のことなのです。……それまでは、皆さんと同じように、いえ、どちらかと言えば、アンダー貧困層で過ごし、決して裕福ない暮らしをしていました』
懐かしいあの頃が、今でも鮮明に思い出せる。
『空腹の辛さも、育ての母に無理をさせている辛さも、……上水路のフジツボの不味さも知ってます。……ははっ。……だけど、貧しくとも、この世に産まれ、母と共に過ごした日々を、ずっと幸せだと感じていました』
思い出すだけで笑顔になれる。目にするのも、手にするのも、新鮮で面白かった。
『12歳になるまでは、探検者になることが夢で、探検者になったら母を楽にさせてあげたいと思っていました。……そして、探検者となってからは、ダンジョン攻略、更には踏破を目指し、強い男になることを目標にしてました』
探検者になる前も、なってからも、どんな冒険があるのかと毎日が楽しみで、居ても立っても居られなかったっけ。
『ダンジョンに通う内に、強くなっていることを自覚できるのが嬉しかった。……それから、仲間と出会い、共にダンジョンに明け暮れ、嬉しいことも、悲しいことも……沢山、ありました』
全てはダンジョンが、きっかけだ。沢山のことを経験し、学ばせてもらった。
『……そして、ついに踏破できるとなった時、俺の夢は本当の夢でなかったことに気付いたんです。……探検者としての夢を叶えることが出来たのと時をほぼ同じくして、思い出したんです。……女神様との約束を。この世界を救うという約束を』
全ては計画の上に成り立っていた。そうなるように仕向けた結果だった。
『……だから、私は戦います。それが、私がこの世に生を受けた理由だから……だけど、それだけじゃないんですッ。……俺は、子供達の将来を守りたい。将来、結婚して、子供を授かる、なんてことも自由に想像出来ない未来を残したくはないんです』
夢や希望を語れぬ未来が、待ち構えているなんて絶望を取り払いたい。
『……それに、地上で耐え続けている同胞らを救いたい。自由な暮らしが出来るように。……強制されるものでなく、望んで育める環境を取り戻したい。未来に怯えることのなく、それが明るいものだと信じられる世界を再建したいんです』
明日の不安ではなく、明日への希望を抱かせたい。
『……我が名は、オーエン・スディ。慈愛の女神の子であり、育ての親であるニーテ・スディの子です。この世を救うために産まれました。……だけど、一人では何も出来ません。だからッ、俺の仲間と共にッ、皆さんの力を貸して欲しいんですッ!』
まだだ。まだ頭を下げる訳にはいかない。
『……だけど、そう言われても、まだ信じきれないと思います。……だから、最後に見ていただきたい。……俺自身の証明と覚悟を。……俺が、真に神の子であることの証明とッ、皆さんと同様ッ、一つだけの命を抱えて戦う覚悟をッ!』
勢いよく魔槍を掲げながらに啖呵を切った。
そんな俺を、振り返る見た皆の顔は、何事かといったような表情だった。それもそのはず、当初の予定にはなかったことだからだ。一度死んでもやり直せるという俺だけのメリットを、戦闘以外で手放すなんて考えは普通しないだろう。
それが旗頭であれば尚の事だ。
しかし、俺はそれが必要なプロセスだと思った。証明と覚悟、それに誠実さを見せなければならないと考えた。いや、そうするべきだと俺自身が感じたから、その直感に従うことにしたまでだ。
今こそ、あの魔法の使い時だ。
また勝手に決めてしまったことを、カノンは許してくれるだろうか。いや、大丈夫だろう。神妙な面持ちでこちらへと来るや否や、何も言わずに横へ立ち、魔槍を預かってくれた。だから、納得してくれているはずだ。
最初で最後の魔法を使う。
『これよりッ、女神様より賜りし転生の魔法を用いますッ! 皆さん、しかと、その目で見届けてくださいッ! そして願わくば、これまでの訴えが、俺の誠心誠意の訴えであると信じて欲しいッ! ……ではッ、いきますッ――』
――【ストップ】
・
・
*;+%<...
・
・
【スタート】――
寒い。冷たい。
あぁ、そうだ。俺は生まれ変わったんだ。
ここは、白の祭壇か。なら、早く、立ち上がらないと。
『……ゴホッゴホッ、……我が名はッ、オーエン・スディッ!! 慈愛の女神の子であり、育ての親であるニーテ・スディの子だッ!! この世を救うためにッ、今再びッ、ただ一つの身体とッ、一つの魂を携えッ、ここに生まれ落ちたッ!!!』
上手く開かない喉をこじ開け、口内に残った液体と空気が混ざり合って、むせ返りそうになりながらも声を押し出し張り上げた。
視界が朧気だ。まだ光にも慣れいないせいか、ヤケに眩しく感じる。身体を伝う液体が冷えて体温を奪っていく。身に纏っていた白布を口元へ手繰り寄せ、鼻から滴り落ちる鼻水を拭った。
耳の穴には、まだ液体が詰まっている。聞こえて来る音はくぐもっている。しかし、水入りの耳であれ、音の聞こえが悪くとも、歓声が上がっていることだけは、聞き取れていた。
この歓声は、信徒らによる扇動行為のものではないだろう。壁面の方から聞こえて来ている。瞬きを繰り返し、ぼやける視界でその様子を確かめたが間違いなかった。信徒らは奇跡を目の当りにしたように跪いていた。
「……“魔槍を”」
俺の元の身体、抜け殻の横に立つカノンが、魔槍を差し出していた。
俺は思うように動かない身体を無理に押して、カノンの元まで行くと魔槍を受け取った。そして、空っぽになった身体へと魔槍の穂先をあて、【ネクスト】の魔法で身体だけを消しさった。
床に残されたのは、身に着けていた装備だけになった。その様子を間近で見ていたカノンも、魔槍による照明が成されたことで、胸をなでおろしたようだった。俺が微笑みかけると、カノンは片側の口角だけを上げて微笑み返してくれた。
そうして、二人ともに前方へと向き直った。
『我ら≪アルゴナビス≫がッ、この世界の安寧をッ、必ず取り戻すッ!!』
そう、大声を上げた時、身体が震えだした。
『今日という日をッ! 忘れるなッ!!』
叫ぶ度に、膝が笑う。足にも腰にも力が入らない。
『我ら人類にとって、良き門出の日となるッ!!』
限界だ。こうして立っているのも、やっとだ。
『そうッ、俺がッ!! 約束するッ!!!』
眩暈がする。視界が窄まってきた。
『だからッ!! 認めて欲しいッ!!』
もう魔槍を掲げる力も残ってない。
『俺達が、成そうと、する、ことを……』
……あぁカノン。ありがとう。助かった。
そう、伝えたくても、もう声もでないや。
もう大丈夫かな。そう。なら、良かった。
最後まで、立たせてくれて、ありがとう。
もう限界、だから、少し、眠らせて……
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