第180話


「……そう、いう、……ことなら、……“仕方ない”わね」


 右目だけを開け、薄めがちにカノンを見れば、既に掲げられていた掌を収め、ベットに腰掛けていた。


『……うん。……そういうことだから、ごめんね』

「もういいわよ。でも、“取り消さない”から……」

『う、うん、ありがとう。……良かった。本当に』


 俺がカノンの隣に腰掛けると、カノンは気が抜けてしまったと言わんばかりに仰向けに寝転がった。


「……私達には、もう沢山の子供達がいるわ。……だから、気にしないで。……ぁー、でも、皆、“驚くでしょうね”。……まさか、自分達よりも早く、私達が夫婦になるだなんて、思いもしてなかったはずだわ……」


 何の気なしに呟いたカノンの言葉に、俺は簡単な言葉と共に相槌を打った。


 だがしかし、相槌を打ってから、その違和感に気付いた。自分達よりも早くとは、どういう意味なのだろう。俺はその一点が引っ掛かった。だから、振り返り、どういうことかを聞いてみることにした。


『ねぇカノン。……自分達よりも早くって、どういう意味?』


 すると、カノンは目をぱちくりとさせていた。


「……エン、まさか、……もしかして、本当に“気付いて”なかったの?」


 そして、俺がとぼけているのではないかと訝しむような表情を見せる。


『えっ? ……俺って、何に、気付いてなかったの?』


 また何かやってしまっているのではないかと自らを疑ったが、しかし、カノンは呆れた表情を見せるだけで、俺のことを責めている訳では無さそうだった。


「“嘘”でしょ? ……はぁーぁ……」


 俺が首を傾げると、カノンは半身を起こし、やれやれと言うように首を振った。そして、


「……レオンとヨウ、それと、グインツとココは、“付き合ってる”のよ」

『――ッえええええええええッ?! ……ええぇッ?! いつから?!』


 予想だにしていないことを口走った。まさに寝耳に水だ。


「もう“ずっと前”よ。色々とペアで動くようになってから少しした位?」

『……え、ギィの訓練とか、魔法の研究とかを、やり始めてから……?』


 開いた口が塞がらなかった。全然知らなかったし、全く気付かなかった。


 だが、そう言われて見れば、ペアで動くことになってから、その必要がない状況であってもペアで動くことが多かった気がする。今思い返せば、休日はペアで良く一緒にいた。それに、ダンジョンの中でも、そうだった。


 俺は、てっきり、向上心が高いのだと思っていた。


 自然とペアでどこかに行くのなら、ギィの訓練だとか、魔法の研究だとかをしているものだと思っていた。それを見ていた俺は、負けじと研鑽を積まなければならないと対抗心を燃やしていた。


 そう、言えば、朝帰りする日もあった。


 朝になるまで帰ってこないだなんて、それはそれは熱心なことだと感心していたが、まさか、つまり、それっていうのは、そういうことなのだろうか。下世話な言葉を用いるのならば、逢引していたと言うことなのだろうか。


『……え、じゃ、ウィ、ウィーツは?』

「“決まった相手”は、いないみたいね」

『あっ、……そう、なんだ。……へぇ』


 二組のことがあったから、気になって聞いてしまったが、あまり聞かないでも良い様な事まで、聞いてしまった気がする。


 いつも一緒にいる仲間でも、知らないこともあるようだ。なんでも知っているつもりでも、実際のところなんでもは知らなかった。なんでも気さくに話せると思っていたが、秘め事というものは誰にだってあるのだろう。


「何その顔……ちなみに“二組とも言ってた”わよ?」

『えっ? ……それって付き合ってるって、こと?』

「“それとなく”ね。だから、知ってると思ってたわ」

『え、全然、心当たりがないし、思い出せもしない』


 その報告があったのは、恐らく食事の席でのことだろう。俺はその時に、訓練の話か何かと勘違いしてしまって、気にも留めなかったのだろう。


「エンは、二回とも、私を見て“俺も頑張る”って言ってたわよ」

『……多分、てっきり訓練のことだと勘違いしてたんだと思う』

「ほんっとに……“期待させられる身にもなって欲しい”わね?」


 カノンは鋭い視線で睨んでいた。だけど、少し照れているように見えた。


『なんか、ゴメン。……でも、そうだったんだなぁ……』

「もっと早くに知ってたら、“どうなってた”かしらね?」

『んー……ダンジョン内でのこととか話し合ってたかな』

「……まぁ、いいわ。……二組とも、“心掛けてる”わよ」


 湿った視線を向けられた気がした。でも、すぐに掌を振って何でもないと言うように言っていた。と、思えば、何かしら考え直したのか、


「やっぱり、“うと過ぎる”わね……」


 そう言うと、カノンは頭を悩ませるような仕草を取った。そして、言うべきか言うまいかを悩むように唸り、何度か頷いてから俺の方へと向き直った。


「……この際だから言っとくけど、“ヴァイスのこと”は、どう思ってるの?」

『え? ヴァイスさん? あー……分かんないよね。色々と。クランのことも本気なのかどうかも聞きそびれたしな。でも、ずっと行動は共にするみたいだしなぁ……』


 ちらりと横目でカノンの顔を見たが、どうやらこの答えは不正解らしい。


『ええーと、……あ、あぁ! そりゃ、カノンとは違うよ? そんな感情はないよ。ヴァイスさんもきっとそうだと思う。……なんか、神子だからってので、一緒にいるだけだし、さ?』


 今度は、それなりの答えを出せたようだった。カノンは長い方の髪の毛を手繰り寄せ、口元を隠しながらも小刻みに頷いていた。俺は、上向き、もう一度考え直して見るが、やはりそれ以上の答えは出てこなかった。


「……ふ、ふーん? でも、いつか“好き”って言われたら、……どうするのよ?」


 恋愛については、正直、未だに良く分からない。多分、前世でも同じような感覚だったんだと思う。だから、皆が言うそれと合っているのか分からない。けれど、自分なりの答えとするならば……


『……俺さ、カノンが初恋なんだと思う。だから、それ以外知らない。それに、この感情が二つ生まれるとも思えないし、別の感情が生まれるにしても、俺にはなんだか難しいかな。……ひとつだけで十分だ……』


 そう言い終え、自ら納得した。それが今の俺が思ったことだった。しかし、何の反応も返ってこない。だから、何気なくカノンの方を見ると、膝を抱え、顔を伏せたカノンの耳が真っ赤だったことに気付いた。


『あっ、……――っ!!!』

「い、今、無理だからっ。……“見ないで”」

『い、いや、ヤッバい。……お、俺も、見れないかも……』


 顔どころか全身が熱くなっているのが分かった。素直に思ったことを口にしたが、思い返せば、とても恥ずかしいことを口走っていた。


「……もう“寝ましょ”、……明日も早いわ」

『あ、うん、……えっ、ここで、寝るの?』

「……“夫婦”なんだから、……いいでしょ」

『そ、そう、だね。……じゃ、じゃあ……』


 明かりを消して振り返ると、カノンは壁側を向いて掛け布団に包まっていた。俺は、恐る恐る掛け布団の中へと滑り込むようにして、二人で寝るには不十分な広さのベットの上に寝っ転がった。


『……あ、ごめん、……ちょっと、狭いね』

「……こっち来て。……して、……“早く”」

『う、うん。……うるさかったらゴメンね』

「……大丈夫。……“うるさくなんかない”」


 そうは言うが、俺の腕から伝わった鼓動が、カノンへと届いているはずだ。


 俺自身、目を閉じれば余計に意識してしまう。俺の鼓動と腕の重み、甘い匂いと温もりが、ありありと感じられる。それによって齎される興奮と緊張がまた、俺の鼓動を早くさせる。


「……“眠れそうにない”?」

『ち、ちょっと緊張してる』

「じゃあ、“お話しましょ”」

『……うん。……そうだね』


 何から話そうか。


 そう考えれば、これまでずっと一緒にいたのに、二人だけの会話が随分と久しぶりのように思えた。そういえば、聞きたいこと、話したいことが沢山あった。眠るまでの僅かな間では、きっと語りきれないだろうから、話題には事欠かないだろう。


 あの時どう思ったか。いつからだったのか。これからどうなりたいか。


 そんな話をしようか……


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