第179話
「……“明日”ね」
カノンが俺の自室へと入るなり、そう言った。
俺が頷き返し、奥へと招き入れると、いつものように殺風景な部屋の、ベットの上に腰掛けた。カノンも、不安なのだろう。普段なら、後ろに手をやって身体を支えるようにするはずなのに、片方の腕を引き寄せるように腕を組んだままだった。
「……出会った時は、“こんなこと”になるなんて想像もしてなかったな……」
ぽつりと呟いたカノンは、記憶を辿るように窓の外を眺めていた。
夜空も月も見えない窓の外、そこに見える景色は変わっていない。だけど、俺達が偶然出会ってから、まだ数年しか経っていないと言うのに、見ている風景は大きく変わってしまっていた。
本来なら、ダンジョン踏破の大願が叶ったことを受け入れ、一息つくまでに時間を要するだろう。普段なら、祝勝会を開いて、家族に加え、友人や知人を呼び寄せて、最低でも三日三晩は、飲み明かしていたはずだ。
それだというのに、常識では考えられないほどの驚きの連続、まるで息つく間もないほど、慌しく過ごすことになってしまうとは、この数日間だけ見ても、想像どころか、予想も出来なかっただろう。
俺自身も、そうだったから、その気持ちは良く分かる。
「……その、話、……“あの時の”、話ー……なん、だけど、……その……」
言い澱むカノンは俯いていた。そんなカノンを見た俺は、自然と喉を鳴らしていた。
話があると言われ、どの話のことか、想像が出来るものが幾つか思い浮かんだが、可能性の高いものから並べていき、最悪の事態のことを想定し、覚悟を決めてカノンを部屋へと招き入れた。
だが、今の今になってもまだ、どの話のことか、検討が付いていなかった。しかし、これだけは分かっていた。カノンがこれからする話というのが、今後のことであることだけは理解していた。
だから、喉が鳴った。それだけじゃない。緊張から胸の鼓動がうるさいくらいに高鳴っている。【スロウ】を使っていないはずなのにも関わらず、流れる時間が緩やかで、気付いていない内に【スロウ】を発動させてしまっているような感覚だった。
「……私って、エンから見たら、“まだ子供に”……見える?」
『えっ、いや、ううん。そんなことないよ。……思ったこともー、ないよ?』
突然の問いかけに、驚きを隠せなかったが、返答はそれなりに出来たように思う。カノンは、そんなことを気にしていたのだろうか。余所余所しくなってしまっていたのも、そのせいだったのだろうか。
確かに前世の分を合わせれば、俺の方が遥かに年上だ。しかし、カノンよりも長く生きた記憶があるはずなのに、俺の方が精神年齢的に見ても子供だと思う位には、カノンは大人だと思える。だから、そんなことを気にする必要なんてないはずだ。
俺は、俯くカノンが次に何を言い出すかを待ちながら、そんなことを考えていた。
「――“好き”よ」
何て言ったんだ。
カノンは、今、何を言ったんだ。小さく呟いた気がしたが、まさか、本当に、いや、聞き間違いかも知れない。あれ、俺は、何を、あれ、どうしたら、おかしい、本当に、今度は、時間が止まってしまったのだろうか。
「き、“気付いてた”でしょ? 私が……ってこと……」
間違いじゃない。夢でもない。確かにカノンは、そう言っていた。
『……――ッ』
そうと気付いた瞬間、足の先から頭の天辺に向けて、何かが突き抜けた。
全身が粟立っているのが分かった。感極まるとは、こう言うことを言うのだろう。思い出の数々が思い浮かんだ。しかし、何故だろう。まるで言葉が出てこない。返答すべきだと分かっていても、喉が開かず、唇が開いては閉めてを繰り返していた。
「……ねぇ、……どうなの? エンは、私のこと――」
『――す、すす、スキですっ! おっ、俺も、カノンのコト!』
無理矢理に喉をこじ開けたせいか、声は見事に裏返っていた。
何故かは知らないが、身体は気を付けのポーズを取っているし、目線もカノンから外れて天井付近を見ていた。我ながら、本当に、色々と、情けない。恥ずかし過ぎて、身体が熱くて今にも爆発してしまいそうだった。
「……ふふっ、……とっても、……“嬉しい”わ」
カノンは鼻をすすり、涙を拭いながらも、笑っているようだった。
そんなカノンへ、ぎこちない笑い顔を向けた俺は、これからのことを考え、立派に、堂々と、一人の男としてやっていくと意気込み、明日を迎えようとしていたはずなのに、すぐには変わることなんて出来なかったみたいだと後悔していた。
そう思えば思うほどに、あれやこれやと考えたり、身体年齢的な年の差を気にしたり、状況が状況だと先延ばしにしている内に、カノンの方から言わせてしまったのだから、意気地のない自分を引っ叩いてやりたいとも思った。
『ああ゛ーっ! ごめんカノン! 俺の方から言うべきだった!』
「良いわよ別に。……だってエンは“恥ずかしがり屋さん”だもの」
『そ、そうだけど……いやっ、でも、男としてちゃんとしないと』
「気にし過ぎ。私は、“気持ちを確かめ合えただけでも十分”よ?」
『嫌ッ、駄目だ! ちゃんと言う。……だから、聞いて、欲しい』
俺は、ベットに腰掛けたままのカノンと真正面から向き合える位置に移動した。
そして、震える膝を折り、その場に跪いて――……
『……カノンさんッ! ……俺、俺とッ、けっ、結婚ッ、してくださいッ!』
勢いよく頭を下げたと同時、手を差し伸ばし、声を張り上げた。
このプロポーズは、ケジメを付けるためだとか、納得できないからの理由でしたものなんかじゃない。まだ俺達がどうなるかを、確かめ合っていなかったから、俺の意思を伝えることにしたまでだ。
いつの頃からか、俺がカノンとそうなりたいと思っていたことだ。
床を眺める間、カノンがどんな表情をして、どう返答するかを怯えながら待った。またしても、ほんの僅か数秒間が、とても長く感じた。脈打つ鼓動がうるさく、もしかすると返答を聞き逃してしまったのではないかと思えた。
「ッ……、ゥウ、ゥ、……はいっ。……ぅ、こちらこそ、“よろしく”ね」
今度は、俺の方から差し伸ばした手を、カノンが握ってくれた。
手の感触が伝わり、顔を上げた瞬間、あの時の光景が重なるように、鮮明に思い浮かんだ。まさか、こんなふうになるだなんて、あの時は思いもしていなかった。それは、今の今でも、信じられないくらいだ。
だけど、今回は、勘違いや間違いでもない。
気が付けば、カノンを抱きしめていた。互いに言葉を介さずに、ただ互いの身を引き寄せ合った。そして、震える身体を支え、涙目で霞む視界で見つめ合い、互いの唇を重ねた。
それから、どれくらいの間、そうしていただろう。
視線が合うだけで、目を背け合い、赤らむ顔を隠すように抱き合った。そうしている内に、気付けば俺達は、ベットの上で互いの気持ちを確かめ合うように、視線を重ね合っていた。
「……っ」
ベットの上に寝そべったカノンが、静かに頷いた。
俺は覆いかぶさるようになっていた。知らず知らずのうちとは言え、俺はカノンを押し倒していた。つまり、そのカノンの頷きとは、そういうことなのだろう。それを理解した瞬間、強く早く鼓動していた心臓が、もう一段と高鳴った。
だが、しかし、思い出してしまった。
俺がカノンに重要なことを、伝え忘れていたことに気づいてしまった。途端、血の気が引くような冷たい感覚に襲われた。そして、こんなことになるのならば、もっと早くにいっておくべきだったと後悔した。
「……っ、……? ……“どうしたの”?」
『あ、いや……っ、どうも出来ないんだ』
「え? それって……“どういうこと”?」
『……たっ、たたないん――ブべッ?!』
とてつもなく痛い。鋭い衝撃が頬を貫いた。俺の身体はベットから投げ出され、床に転がっていた。
「“最ッ低ッ”!!」
カノンの声が部屋中に響いた。
俺は、やってしまったのだ、と、この時、気付いた。
『ち、違うチガウチガウッ! ゴメン! そういうことじゃないですッ!!』
緊急事態だ。荒い息と共に涙ぐむカノンへと両掌を向けて、誤解があることを伝えようと必死になった。
『ふっ、不完全なんですッ! 身体がッ! そういう機能が無いんですッ!』
これはつい先日、映像を見た際に、思い出したことだ。
思えば、17歳にして、未だ子供の身体のままだということを疑問に思っていたが、つい先日ようやくその疑問が解き明かされた。しかし、それを打ち明けるにも、男女の関係では難しく、伝えないままでいた。そのせいでこうなってしまった。
髭が生えないのも、その内の一つだ。
男性特有のアレも、いずれ来るものだろうと目を瞑っていた生理現象が、これまで一度も無かったのは、そう造られたことが原因だった。種族特性の欠損が異世界転生仲間の皆にもあるように、俺の場合は元より性機能が備わっていなかった。
俺が口早に説明する間も、カノンの掌は掲げられたままだった。
事情はどうあれ、完全に俺に非があるだろう。俺は身体の事情をカノンへと伝えるだけ伝えると、再び振り下ろされんとするカノンの掌を受け入れるように、ぎゅっと目を瞑った。
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