第174話


 俺だけが世界から取り残されたかのようだった。


 呼吸が止まり、鼓動が止まり、時が止まったと思うほどに、その一瞬は長かった。


 自分が、いつ、皆と同じ世界へと戻ったのか分からなかったが、気が付けば甲高い耳鳴りの音を聞いていた。身体は抑えように無いほどに震え、迫り来る寒気の波に耐えようと固くなっていた。


『ッ……』


 視線を外せなかった。


 ダンジョンコアの中に浮かんでいる、女性と、俺と瓜二つのその人から。


「……慈愛の女神エイル様と……」


 その女性は、あまりにも美しかった。銀髪、瞑った目、微笑む口元、何処をどう見ても、完成されていた。神であることの証明さえも必要としない相貌をしていた。


「……エイル様がお創りになされた……」


 その人は、白い布を衣服のように身に纏った女性に抱かれていた。まるで赤子のように手足を折りたたみ、目を瞑ったまま眠っているかのようだった。


「……空の器、に、ございます……」


 隣に立つヴァイスさんの、その言葉を聞いて、俺は理解してしまった。


『……神、さま……と、……器……』


 俺は、己が直感が囁くままに理解したものの、しかしながら、未だ信じられないといった驚きから、自然と事実を認めるためにその言葉を繰り返していた。


 すると、くすりと笑う、声が聞こえた。


 そちらに視線を向ければ、こちらを見て笑うビビと目が合った。ビビは面白いものが見れた、期待していた通りの反応だ、と言わんばかりの、なんとも嬉しそうな表情をしていた。


 そのビビの反応を見れば、一目瞭然だった。その表情は、俺が想像した通りだ、ということを物語る、含みあるものだった。こちら側の皆から、説明を求める声を聞いても尚、黙ったまま俺の反応を楽しんでいるのが、その証拠だろう。


 綺麗、美しいといった女神様に対する声と、俺に似ている、だが少し若いといったその人に対する声、さらにはダンジョンコアの中にいる理由などのことを問う声が、少しの間、この場に重なり合うように響いていた。


「……新たな器を見るまでは、私共も恩赦がための妄言だと思っておりました」


 勿体ぶるビビを見兼ねたのか、隣にいたヴァイスさんが、そう切り出した。


「しかし、新たな器が生まれ、成長した姿を見て、信ずるに至りました」


 そして、俺を抑えていた力を弱め、震える腕を解きながら前へ出ると、


「貴方様が、御使いであり、エイル様の御子であるということを……」


 こちらの方へと向き直り、跪きながら、そう言った。


 すると、一瞬の静寂の後、またしても皆の驚きの声が上がった。


 祭壇の間を二つに割った向こう側と、こちら側の反応は見事に両極端だった。その間に立つ俺だけが、どちらとも言えない反応を見せていたように思う。


 これから一体、どうすれば良いのか。


 そう、ふと思った時には、ホームと家族の光景を思い浮かべていた。俺の頭の中には、これまでの疑問よりも何よりも、これまでの日常が崩れ去ってしまうのではないかという考えが過り、不安になってしまっていた。


 あの中に浮かぶ、空の器の正体に、気づいてしまったからだろうか。


 いや、違う。きっと何かの間違いだ。そう繰り返し、ビビやヴァイスさんの口からまるで俺が予想していないこと、ただの勘違いや見当違いの考えであったということの説明を待っていたのだが、しかし、やはりどうやら間違いではなかったらしい。


 俺は、人として、生まれて来なかったようだ。


 悪い感は良く当たるとは言うが、せめて、この時ばかりは外れていて欲しかった。まさか俺が人間でなく、女神様がダンジョンを利用して造りだした生物であるだなんて、そう聞かされたところで、今の俺は、どう捉えれば良いのか分からなかった。


 しかし、これは、以前の俺が望んだことのようだ。


 以前の俺が人非ざることを望んだのは、決してそれが趣味趣向から望んだものではなかった。苦肉の策の、その内の一つでしかない。聞けば納得せざるを得ない理由があっての決断だったのだろうことは容易に想像できた。


 それは犠牲とも違う、終わるまで共にするという覚悟の上の決断だった。


 そのためにダンジョンと共にあることを選んだ両者の決断だったのだろう。勝つか負けるかの時が来るまで、諦めずに抗い続けるつもりの策なのだろう。それが、薄っすらと、しかし、確かに交わしたような気がする女神様との約束なのだろう。


 ならば、憂う必要は無いのかも知れない。


 侵略を受けたこの星と命を守るために、己が身を賭してダンジョンと融合した女神様の想いを汲んだのかも知れない。いつの日か、いずれ打開するその時まで、その瞬間を迎えることを信じて、ただひたすらに耐えている女神様との約束。


 きっと、この世に生を受けた時の、あの声が、そうなのだろう。


 母さんの声だと思っていたあの声は、女神様の声だったのだろう。だから、ダンジョンに引き寄せられた。だから、地上へ出る時にも思い出した。だから、あの時、居ても立っても居られずに、地上へと飛び出したいという衝動に駆られたんだ。


 これまでも、全てが、そうだった。


 俺自身、何かしらの意味や理由があると気付いていたはずだった。その通り、決められた理由、いや、決めた理由だと知らずとも、こうなるように仕掛けたのだろう。これは長い長い年月を掛け、諦めず信じ続けた女神様の生存戦略なのだろう。


 このダンジョンも、その内の一つ。


 深層に居住地があるのも、地上へ向かうほどにモンスターが強くなるのも、段階を経て成長を遂げられる仕組みも、俺達の知るダンジョンとは違う構造なのも、アイテムから何から何まで都合が良過ぎるダンジョンの全てが、生存のためにあった。


 犠牲の上の、生存戦略。


 女神様は、この星の生物を守るためにダンジョンと融合することを選んだ。そして、ダンジョンへと誘った生物を守り匿いながら、いつの日か、この星を取り返すために育み続けている。それが、このダンジョンが産まれた理由だった。


 退避の後の立て直し。


 生命の循環が産むエネルギーが星を維持するために必要だ。しかし、地上世界は地獄であり、ダンジョン内も豊かとは言えない状態だった。そんな世界を覗き見た生命、いわゆる魂が、この世に産まれることを望まない。


 だから、俺達転生者が、この星に呼ばれた。


 端的に言えば、生命を根付かせるための呼び水だ。魂からしてみれば、一目見ただけで生命エネルギーに乏しい星だと分かるからこそ、滅びる前に何かしらの手立てとして用いることにしたのだろう。


 ビビは、その仕組みを配信と言い、俺達のことを配信者と言い表した。


 その例えは、まさに言い得て妙だと思った。それだからだろうか、俺達に与えられたユニークアビリティ自体が配信などに関わる機能に類似しており、ゲーム配信や視聴者参加型配信のような仕組みをしていると、思い出せたのは。


 俺達は、それが何とは分からずとも、知っていた。


 まるで何かのようだと、そう思ってはいたが、これまで記憶が呼び覚まされることはなかった。しかし、ビビの配信という言葉を聞いてからは、転生者の皆が皆、己の特性をより深く理解しなおす切っ掛けとなった。


 使用したことのない俺だけの魔法、【▶】と【■】のことも、含めて。


 空の器と呼ばれたあの肉体は、俺の替えの身体だ。念のために空の器の首の後ろの痣が【■】であることを確かめてもらったから、それで間違いないだろう。今の身体が停止すれば、再生することが可能になるという確信を得てしまった。


 それは、まるで、ギィ達のようだと思えた。


 俺の能力は、そう、配信者とは言えぬものだ。それに気付けたのも、配信者と言われ、俺だけが違和感を覚えたせいもあるだろう。画面の内というよりは、外側の力だと思えば、納得も早かった。


 俺が皆を呼び寄せた理由も、何となく分かった気がした。


 ビビは前世の記憶を覗き見れば、俺が何故呼ばれ、そして何故、俺が皆を呼んだのか、という謎の全てが分かると言った。そこまで知るのならば、前世の記憶を完全に取り戻すというリスクを覚悟した上で、向き合う必要があるとも言った。


 どうするべきか。


 俺の答えは決まっていた。俺は、過去の俺が何を思い、何を感じ、何故そうしたのかを、ただ何となく察してはいたが、そうしなければならない、という責任があるように感じていた。


 過去を知ることの恐怖と、過去を知られてしまうことの恐怖。


 そのどちらの恐怖とも、向き合う必要がある。少なくとも俺だけはそうしなければならない。皆がどうするかは個人の問題だが、一先ずは俺の過去を覗き見てもらう必要がある。


 皆には、それから判断してもらえばいい。


 もし、忘れてしまいたい過去だったとしても、思い出してしまってから取り消すことなど出来やしないのだから、まずは俺から過去を見る。そして、どうするべきか、を決めれば良い。


 それで、いいだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る