第133話


――もうダメだ。


 そう思った。今、この戦場にベヒモスが加われば、壊滅的な被害が齎されるだろうことが、俺の頭の中では簡単に想像できてしまっていた。


――やるしかない。


 逃げ切るだけの時間を稼ぐだけでも、葦毛馬の群れを打ち倒せるだけの時間を稼ぐだけでも、どうにかする手立てが見つかるのならば、この後どうなろうとも知ったことか。


――一か八かの賭けに出るしかない。


 部隊が曲がり角に差し掛かったところ。最悪の場合でも被害は少ないはず。そう思ってやるしかない。いけるはずだ。後は、俺は兎も角、殿を務めてくれているレオン達が間に合うかどうかだ。


『トンネルに火を放つッ! 準備しろッ!』


 俺が指揮を飛ばした瞬間、部隊にどよめきが起こった。しかし、これが俺の選択だ。この窮地を脱するために、御法度、掟破り、タブー、このエリアでのルールを破ることに決めた。


『殿ッ! 曲がり角まで急げッ! 時間がない! なりふり構うな!』


 殿を務めてくれていた者達が一斉に前方へと駆け出した。曲がり角付近で援護体制を取りつつ、後退を続けていた者らも、戸惑いながらも発火系魔法の発動体勢に移る。その頭上近くでは、一度は数を減らしたはずの葦毛馬の群れがまた数を増やしていた。


『奴等は引き付ける! だからッ、ベヒモスが出てくる前に放てッ!』


 未だ角まで到達していない部隊者等が葦毛馬の群れの足元を掻い潜りやすくなるように、俺は部隊を追いかけるようにしつつ、空中に作り出した足場を渡り、葦毛馬の群れの注意を引いた。すると、


「時間がないわ! ――“打って”!」


 カノンの焦りを孕ませた声が聞こえた。その声から察するにベヒモスが、もうそこまで来てしまっているらしい。しかし、まだ間に合うのだろう。カノンがそう指示を出したということは、そういうことだ。


『……ぅ、ぉおおおおおおおおおおッ!!』


 俺は必死に駆けた。葦毛馬を無視し、真っ直ぐに伸ばした足場の上を。そうしたのも、カノンの合図よって放たれた幾筋の炎魔法が足元を抜けていくのが見えたからだ。


――あとどれくらい。いつ。まだか。


 今か今かと、背後から迫るはずの衝撃を待った。ぐっと歯を食いしばってその衝撃に堪えようと、歯の間から空気を取り込みながら全力疾走した。


 その時、ふと、爆発があった時に口を塞いでいると鼓膜が破れてしまうということを、どこかで聞いた覚えがあるのを思い出した俺は、慌てて口を大きく開けた。


 するとその時、俺の身体が、――光に包まれた。


 その瞬間、抗うことも難しいほどの衝撃波に身体を押されるのを感じた。身体が、海老反りになって、足場から浮かされ――……


「……エンッ、エン! “しっかりして”! エン!」


 薄目の向こうに、カノンの顔があった。頭や首元に冷たい感覚があった。濡れている。でも、なんで、俺は地面に寝そべっているんだ。


「“起きて”エンッ……こんなことなら、……魔力を全部使ってでも守るべきだった」


 必死になって、悔しそうにしている。起き上がろうと力を入れると身体の節々が痛んだ。


「エン! エン! まだ終わってないわ! ベヒモスが出て来たの――」


 その言葉が耳に入った瞬間、記憶が呼び戻された。そうだ。確かベヒモスを。そう思い、起き上がりつつ振り返り見れば、そこに、


『……やれて、無かったのか。……【スロウ】』


 大きな黒い岩、炭の塊と思わせるようなモンスターの姿があった。


 ベヒモスの姿は初めて見るが、間違いなくあれがベヒモスと言える見た目をしていた。大きな二つの角と牙が特徴的な、サイとゴリラを掛け合わせたような見た目だ。


 しかし、その姿をよく見れば、四つ足で立つベヒモスの外郭は欠けて折れ、その体からは蒸気があがっていた。


 ベヒモスの背後には、あのトンネルがあった付近に大きな瓦礫の山があった。周囲の崖の壁も大きく崩れていた。


 俺はその崩れ方から見て、恐らくはトンネル内のガスに火が触れて爆発した影響による損傷だろう、と推測したのだが、


「あの爆発も、グインツの新しい魔導書との連携でも、“倒せなかった”わ」


 ならば、と思い付いた矢先、もう試してこれだ、と言われてしまった。それを聞いた俺はいったいれほどの間、気絶してしまっていたのだろうかと、そう思った。


 思い出して上空を見てみれば、どこにも葦毛馬の群れの姿は見えなかった。爆風でやられたか、逃げてくれたのだろうか。


 しかし、そう考えている間にもベヒモスと部隊との距離が縮まっていた。


 何故そうなっているのかすら理解できないが、ベヒモスと部隊とは未だ拮抗状態だった。防衛陣を引いた状態の部隊がじりじりと部隊が下がっている状況で睨み合っている。


 俺はカノンに支えられながら立ちあがった。


 いつ集中砲火が始まってもおかしくない状況だ。ベヒモスが駆け出すと同時、全力が一斉に魔法を放ち、そして、近接組までもが飛び込む算段なのだろうことが伺える。


 俺は流れに逆らうように部隊の間を歩いて抜けた。


『……目くらましの魔法を、撃ってくれ、……頼む』


 そう、そこに居たグインツに伝えてから、一番前に出た。


 身体はボロボロ、魔力もあまり残っていない。だけど、魔槍だけは手放していなかった。ならば、俺がやれることが一つだけある。


 そう思い、ふと左右を見れば、レオンとウィーツが立ってくれていた。グインツも、俺のその意図を察してくれたのか、余所に飛ばしていた結晶を呼び集め、魔力供給を始めてくれた。


 そうして俺が【ネクスト】を発動させ、駆け出そうとした時だった。


 突然、俺の前に風のトンネルが作り出された。


『……助かる』


 本当は、立ってるのも、やっとだった。全力を振り絞ろうとしていた。


 だけど、皆が力を貸してくれるようだ。フェンネル、アンゼリカさん、ヴァイスさんに加え、風魔法を得意とする者らが、俺に道を作ってくれた。だから、俺はそれに頼ろうと思った。


「――ッてぇ!」


 グインツの号令によって放たれた魔法は、ベヒモスと俺たちとの間で爆炎を巻き上げた。咆哮を上げたベヒモスが駆け出す音が聞こえたと同時、レオンとウィーツが駆け出した。


「こっち向けッ、おらぁ! ウィーツッ、いけぇ!」

「【再現】……やっぱダメだッ、魔法が効かない!」

「ならッ、やっぱ、気ぃ引くしかないようやなぁ!」

「じゃあー大変だろうけどッ、任せるよオーエン!」


 土煙から顔を覗かせたベヒモスに、両サイドからの挟撃を仕掛けた二人は、二度目の魔法攻撃を避けつつ、そう言ってから離れた。


 どうやらあの分厚い外殻は、かなり固いらしい。またレオンとウィーツは、刃の通らぬ相手に肉薄せんと飛び掛かって、気を引いてくれてはいるが苦戦していた。


『……いくよ』


 後は、目の前の風に導かれるだけでいい。


 低く腰を落とし、そして、一歩前へと踏み込めばいい。


 すると、風が身体を前へと押し出してくれる。


『……ぅう゛ッ、ぉおおああああ゛あ゛アア゛ッ!!』


 視界の先の土煙が晴れた。


 大きな図体の、横っ腹が見えた。


 後は、手を伸ばして、支えるだけだ。


 進み行く勢いに任せて、そこへと魔槍を突き入れると、硬い手応えを感じた瞬間、【ネクスト】を発動させた。すると、ごっ、という鈍い音が聞こえた。


『――ぐぶッ……、あ、が……』

「オーエン!? 大丈夫かい?!」

『ごっ、がは、……い、いぎてる』


 あの音は、俺の身体がベヒモスの横っ腹にぶつかった音だったらしい。風の勢いに負けた俺は、どうやら魔槍を手放してしまい、それで体をぶつけながら跳ね飛ばされてしまったようだ。


 霞む目で状況を見ていれば、誰かが俺を引きずるようにして、ベヒモスのから遠くへと俺の身体を離してくれようとしていた。レオンにウィーツ、ギィ達、近接組が気を引いてくれたようだ。


 そのまま引きずられるままベヒモスを見れば、衰えることも無く二本脚で立って暴れまわっていた。しかし、その足元には少量の血が滴っているのが見えた。


 朦朧とする中で、魔槍の在り処を探して見れば、ベヒモスの脇腹にまだ刺さっているのも見えた。だから、俺は【ネクスト】を唱えようと、魔槍へと掌を向けた。


 あの様子じゃ高々【ネクスト】一発程度じゃ倒せないだろうとも思うが、しかし、切っ掛けになりさえすればよかった。


 魔法も効かず、刃も通らない相手に対抗するためにはこうするしかない。後は少しでも可能性を上げる為に、残り僅かな魔力全部を使うだけでいい。


 そうしたら、後は、皆が、きっと、やっつけてくれるはずだ。


『……【ネク、ス……ト】』


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