第132話
空か降って来た謎の物体は昆虫型モンスターが押し固められたものだった。
馬は群れを成す。そう聞いたことがあったが、それは元居た世界の話で、この時まではそんなことを考えることもしていなかった。
『……ッ』
俺の視界に捉えた葦毛馬の数は、上空の濃霧に隠れたものも合わせて10近い。もしかしたら、霧や雲の中にまだ潜んでいるかも知れない。それが目指す進行方向の上空から、俺たちを見下ろしていた。
俺は咄嗟に、隊列を、行動を、指示を、と考えた。しかし、このままの状態では怪我人どころか死人が出てしまうのだろうとも思ってしまっていた。
後ろからはベヒモスが来ている。葦毛馬を手早くやれたとしても、間に合わないだろう。前と後ろから挟まれること必至だ。せめて挟撃は避けたい。だが、突破しようにも頭を抑えられている現状では、それも難しいだろう。
――冷静になって考えろ。
そう自らに言い聞かせども、犠牲の数が多いか少ないかの勘定が思考の邪魔をする。葦毛馬が動き出すまでの間、緩慢とした感覚の中で、いつ誰の息遣いが、途端に聞こえなくなってしまうのかということばかりを気にしてしまう。
――だけど、やらなくちゃ全滅する。
恐れて、怖がって、怯えていても、何にもならない。悲劇はいつでも起こり得る。そうして願い、動かずに居たとしても起こってしまう。今さら、今だけは、今ならば起こり得ないと思っている時こそ、起こるんだ。
――それに目を瞑ってはいけない。
忘れてしまおうとしてもだ。ダメかも知れない、無茶かも知れない、そう思っていても挑戦を求められれば、挑戦をするしかないんだ。この場所でも、これからもそれは同じだ。流れに身を任せずに、選ぶしかないんだ。
「前衛を前にッ、鎖帷子の陣ッ! 近接は鎖でもロープでも繋げ! 片側は範囲外からサポートしろ! 降りてきたやつから各個撃破だ! 後はッ手当たり次第に放て!」
俺は前方へと駆け出すと共に、指示を飛ばした。
鎖帷子の陣。これを展開させたということは、皆も理解しているだろう。塊を作らぬこの陣形は、どうにもならぬ事態の時に用いられる陣形だ。点を散りばめた形であるがゆえに、個人の裁量が大きく左右される。つまり、抜かれやすいが最小限の犠牲で済む陣形を取った。
――俺が一番、嫌いな陣形だ。
どこから攻撃が降り注いだとしても、幅を空けて個人が展開しているから、まとめて部隊が壊滅する危険性も少なく、また被害が出たとしても少人数で済む。修得必須陣形とも呼ばれるこの陣形を選んだ俺の覚悟を皆も感じ取ってくれているはずだ。
「続けーッ!」
ウェリントンの声を皮切りに、皆一成に飛び出したらしい。それに合わせて、上空に浮かぶ葦毛馬の群れが動き出した。
『そのまま走り抜けろぉおおーッ!』
【ポーズ】で作り出した透明の足場を上る最中、俺は後方へと向かって叫んだ。
これは何も、俺が全部を請け負って、犠牲になるための指示ではない。これさえ成せば、まだどうにかなる可能性が残されていたから、そう俺は指示することにした。
『ヤツらの魔法にッ! 跳ね返された魔法にッ! 警戒して進めぇええ!』
一歩一歩、優雅に浮かぶ葦毛馬に近づく合間にも、指示を飛ばす。そうしてから、俺は目の前の葦毛馬の一体に向かって飛んだ。
『――ぅォらッぁあああああああ!』
しかし、気合の声と共に、魔槍を突き出した瞬間、前の視界が歪んだ。
『――頼ッ、む!』
迫る重力の刃。そこへと魔槍を突き入れる。すると、手首諸共、腕が押し下げられる感覚が伝った。
『――【ネクストッ】!!』
一か八かの賭けだ。そう思いながらも俺は、相棒に全てを託すことにした。
『……ッ、――よしッ!』
腕の重みも、視界のブレも、何もかも消え去った。葦毛馬の周囲の魔力でさえも、俺の魔槍が吸い取った。
『ッ、いッけぇえええええッ!!』
押し下げられた腕を返し、その場に足場を作り、左手を付きながら、俺は葦毛馬の胴体へと魔槍を突き入れる。すると、驚き跳ねあがったのかと思いきや、葦毛馬の身体に突き刺さった魔槍の衝撃のせいで、後ろへと遠のいていく。
『くッ、もう一撃ッ!』
今度は足場を作り、跳ね飛ばされる葦毛馬の背後にも壁を作り出す。そして、渾身跳躍から、溜めた追撃を突き入れる。
『ッシ! 一匹倒――ッ?!』
倒せた。そう思った瞬間だった。俺の身体の自由が効かなくなって、いや、無重力にとらわれてしまっていた。
「無茶すんなや! ほれ掴まれッ!」
俺が咄嗟に壁を蹴ってその場から離脱しようとした時、おそらく俺の作り出した足場を上って来ただろうレオンが、襟足から束ねられた自らの髪を投げて寄越してきた。
『悪いッ、助かった!』
「サポートは任せぇ!」
俺が礼をする間にも、レオンは自らの髪を旋刃の柄で手繰り寄せたながら、そう言った。そして、俺が次の目標へ向かおうとすると、
「任せぇって……」
『ま、じ、かッ、ヨッ?!』
「言うたや、――ろッ!」
自らの中心にして、髪を振り回し、まるでハンマー投げのようにして、近くの目標に、俺を放り投げた。
『ぅぁッ、ぶねぇ?! ……けど、――速い!!』
その距離、約10メートル。飛ぶ行く時に、下の部隊からの魔法が当たりそうにはなったものの、髪を手放す頃には葦毛馬に魔槍が届く距離まで一瞬にして迫れた。
『くッらぇええッ!!』
先ほどと同様、俺は針と消しゴムでピアスを開けるようにして葦毛馬を貫き、濡れた魔槍の血を払い、今作り出したばかりの足場へと着地する。
そして、振り返ってみれば、レオンが今まさにこちらへと飛んで向かって来ているところだった。見れば、レオンの髪がまたこちらへ放たれていた。
『なるッ、ほどッ』
髪を掴むと、レオンは自らの髪をロープ代わりにした。そして、
「――足場ッ!」
『はいよッ――』
「――飛べッ!」
作り出した足場に乗るや否や、レオンはまたその勢いを利用して、俺の身体を引っ張った。
これはいわゆる高速の空中ブランコだ。以前、訓練で試したことのある連携。【ファスト】のオンオフの感覚に惑わされることもないレオンとだからこそ出来る連携だ。危険はあるかもしれないが、これなら効率的に各個撃破が出来る。
このままの調子なら、もしかすると犠牲を出さずして妥当し得るのではないかと、そう思いながら、俺は飛んだ。しかし、そう思った矢先のことだった。
「……ぐぁッ」
眼下で声が聞こえた。しかも、その声だけじゃなかった。崖の岩が崩れ落ちる音や、部隊の仲間の名を呼ぶ声が、連続して聞こえた。
そちらの方を見たくとも、すぐそこに次の目標が迫っていた。気は完全に逸れてしまっている。しかし、見ることすらかなわない。だから、俺は、今はコンマ1秒でも早く、目の前の標的を打ち倒すしかなかった。
『クソッ、――がぁッ!』
何の効果があるのかさえも分からぬ魔法諸共、魔槍を振りぬいた。もはや慎重さも何もなく、それ以上に、冷静さを欠いていた。それだから、魔力消費も厭わずに【ネクスト】と魔槍のコンボを用いた。
『――報告!』
大穴が空いたのを見ると同時、そう叫びながら俺は眼下を見下ろした。すると、そこには赤色が見えた。
両側の崖の岩が崩れ落ち、元々バラバラだった陣形がさらに乱れていた。そして、ところどころに葦毛馬の死体、さらに倒れこんでいる部隊メンバーの近くには、赤黒い水溜まりが出来ていた。
俺は、その光景に唖然としてしまっていた。壊滅状態ではないものの、明らかに混乱状態へと陥っている部隊の姿が見えたからだ。
「……怪我7名、……死者、……今のところ、……なし」
怪我。死者無し。俺は、そのカノンの言葉に耳を疑った。おそらくは怪我人自体は、黒牢の鍵で退避させたのだろうが、その血溜まりからを見れば、そうは思えなかった。
しかし、信じるしかないのだろう。カノンの言った、今のところ、という言葉を。
『早く先へと抜けろッ! 優先していい! ここは俺たちに任せていけ!』
次いで出た言葉は、願いと同じだった。俺はこれ以上の被害を出さぬためにも必死だった。
『――レオンッ!』
「わかっとるッ!」
意思疎通さえも省いてしまった。しかし、レオンであればその意図が伝わるだろうと信じている。その俺の考え通り、レオンは部隊へと向けて攻撃を仕掛けている葦毛馬の群れの方へと、俺の身体だけを投げ飛ばしてくれた。
『ぅうう゛ッ、ォらあああああああ゛ッ!』
錐揉み回転する身体。そんなものの制御なんて必要もなかった。ただ勢い任せに魔槍を振り抜けさえすれば、それでよかった。
――【ネクスト】【ネクスト】【ネクスト】【ネクスト】【ネクスト】ッ!!
魔槍に触れるもの全てを、吸い尽くす。それだけでよかった。着地も後で考えれば良い。ただ次へ、次へ、と、疲労が嵩む身体を投げ続けるだけでいい。魔力が足りなくなるのなら、回復の為の魔晶石を口に咥えればいい。今は何よりも、一体でも多く倒し、一体でも多く引き付けさえすればよかった。
『フェン! ――風をよこせッ! あそこへ向けて飛ばせぇえええッ!』
ぶっきら棒に叫び散らし、
『アン! ――風ッ! 何でも良い! 向こうに飛ばせッ!』
頭ごなしに上から命令し、
『ヴァイス! ――上にッ!』
指揮さえ忘れて、飛んだ。
俺は何が何でも、と、そういう思いだった。そうして、一体、一体、討ち取っていった。だけど、そうしても。
「数が、まだ、増えてやがるゾッ……」
まだ終わりは見えなかった。もはや地面に落ちている死体の数は10を超えていた。俺だけでも8体は打ち落としたというのに。グインツからの魔力供給が無ければ、俺の方が先に落ちてしまうだろう数がまだ上空に漂っていた。
だが、救いはあった。
「……角に、……差し掛かったわ」
部隊がトンネルの方から前進した。
「……だけど、……ベヒモスが、……来るわ」
しかし、また絶望の足音が近づいて来てしまったようだ。
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