第129話


「……スー……、フー……、……スー……、フー……」


 数秒間の沈黙、呼吸音だけが聞こえる。正直、俺はかなり迷っていた。安全を取ってここから引き返すにしても、風晶石の残量は十分とは言えないからだ。それは俺だけに限ったことではない。


 皆の予備残量も、満タンの風晶石が1ずつくらいだろう。前衛組の幾人かは既に取り換えてしまっている者も居る。黒牢の中に入れば、その問題も解決するにはするが、しかし、何人が入ることになるのか、それにそうしてしまえば戻ってからまた別の道を行くことも出来ないだろう。


 足踏みになってしまう可能性は良いとしても、戻ったが故に不測の事態に見舞われる可能性も大いにある。俺達の戦いによって残された血肉の匂い、それに釣られて来た別のモンスターが溜まっているかもしれない。


 何事も無いのが一番であるが、何も分からないからこその悩んでしまう。不測の事態はやり過ごすが利巧。耐え堪え我慢する位の気の持ちようが長生きの秘訣とも言うが、どちらをの選択肢を取るべきなのだろうか。


 情報が欲しい。後少しだけでも、何か知れれば良いのだが。依然、確証足り得る情報も根拠も無い。左側の今来た道か、右側の出口への道か、首振り確認しても見えるものも無い。カノンの方を見たとて、同じこと。


 そう思った。しかし、カノンが左側を見た。そして、


「“後ろ”――……」


 カノンが何かを知らせようとした瞬間、その声が掻き消された。それは余りに大きな鳴き声だった。まるで咆哮が身体を突き抜けていったかのように思えた。その獰猛だろう生物の荒々しい声に驚いていると、


「……“ベヒモス”だわ」


 カノンは、聞き覚えのあるモンスターの名を囁いた。ベヒモスは、このエリアの中では上位種として位置付けられている。部隊を率いる者としては、出来れば戦いたくはない相手。十分に戦える広さではあるが左右に展開模しずらい一本道では尚更だ。


『――ッ前へ進む!』


 奇しくも、その咆哮によって悩みは吹き飛ばされてしまった。考えによってもたらされた選択では無いが、それが決め手になった。


 指示を出すや否や、皆一斉に出口の方へ向かって駆けた。もしかすると今にも後ろから迫ってくるのではないか、という憶測が足を速くさせているようだった。


「……スー、まだ遠い、けど、こっちに“向かって来ている”わ」


 予想通りと言えば予想通りなのだが、嫌な予感が当たってしまったようだ。しかし、出口まではそれほど遠くは無いはず。この速度なら、もう数分もしない内に出口まで辿り着けるだろう。


 出口が見える頃には、風が肌を撫で、光が出迎えてくれる。前に何度か通った時にはそうだった。その景色を想像し、流れ込んでくる景色と照らし合わせれば、見覚えのある目印も見つかった。


 間違いない。もうすぐそこだ。この曲がりくねった一本道を抜けた先に、出口までの坂が見えて来るはず。そしたら、前からそよ風が流れ込んでくるはず。滞留した空気の隙間を縫うように、ささやかに、そっと、静かに。


「……風だっ」

「出口が近い」

「やっと……」


 部隊の皆が囁く通り、風が抜けていった。肌に残る汗のお陰か、僅かな空気の流れを感じ取れた。しかし、心地良い風は首筋を撫でて行った。前からではなく、後ろから。


『ッ――止まれ! カノンッ!?』


 その異変の真相を知る為にカノンの方を見るが、小刻みに首を振るうばかりで音からは何も情報を得られていないようだった。


「後ろから、吹いたぞ……」

「あぁ、俺も感じたよ……」

「フェンネル、後方警戒よ」

「分かってる。まだ大丈夫」


 風魔法を得意とする者等は既に身体を反転させている。後ろのヘビモスか、それ以外のモンスターかが、何らかの魔法を放った可能性、その影響によるものだと考えての防御態勢だった。


「……後ろの“ベヒモスじゃない”はずよ」


 後方の警戒を解くに足る情報だ。しかし、何故だろう。カノンの眉間に皴が寄ったままだ。かなり意識を研ぎ澄ませている様子だった。


「スー……ねぇ、エン。……この先、“行き止まり”じゃない?」

『……ハ? え、まさか、そんなはず……スーッ、崩落でもあったのか?』

「いえ、違うの。……スー……何故だか、この道の先だけ“音が通らない”の」

『……どういう、……スッー……ことだ……じゃあ、この先へ行けないのか?』

「分からないわ。……スー……でも、“さっきまで”音は通っていたの……」

『ンン? え、……スッー……、なんでだ……スッー……、それって……』


 考えてみても理解しえないことが起こっていた。今の今になって何故だ。あのカノンがバツの悪そうな顔をするだなんて。いつも的確に、必要な情報を探ってくれて、信頼の確度も高くて、それにミスすることも殆どないカノンがお手上げ状態に陥っている。


「……“今は聞こえない”、……けど、確か、風が吹いた時は、音が聞こえたわ。」


 カノンは、しどろもどろになってでも、情報を落としてくれようとしていた。だが、その情報を得られたところで分かることも少ない。この先がどうなっているかは、ここまで来たのだから進んで見るしかないだろう。そう俺は考えた。


「――おい、前ッ!」


 前に進むと指示を出そうとした矢先の事だった。前方からの声が聞こえた。何事かと思い、振り返り見た視界の先にはおぞましい一頭のモンスターの姿があった。それに気付いた瞬間、魔力温存の為に切っておいた【スロウ】と【ファスト】を再発動させた。


「――なんッだよ!? 音も無しに現れやがったのか?!」


 そのモンスターは、天井に脚を付けて立っていた。白灰色の身体の、馬に似た四つ足のモンスター、波打つ黒のたてがみの隙間から、いくつもの真っ黒な瞳を覗かせていた。見たことも聞いた事もない姿だ。


 しかし、一目見ただけで、そこに立つモンスターが、強者だということが分かってしまった。馬体から波立つ魔力からもそうだが、それは強者だけが持つ圧と言えば良いのだろうか、それが犇々ひしひしと伝わってくる。


「ええから落ち着けや! 文句言ってんと早よぉ前ぇ出るで!」


 いつから、その場所にいたのだろうか。まるで気配を感じられなかった。ただ、じっと、こちらを眺めていたのだろうか。姿はそこにあるというのに、カノンが声を上げなかったことが不可解だった。


 ちらりと様子を伺ってみれば、未だにカノンは事実を受け入れられていないのか、状況を飲み込めずにいるのか、耳に手を当てたまま動かずに止まっていた。


『ちッ、やるぞ! ――弓矢きゅうやの陣!』


 突然の事態に面を食らってしまったものの、部隊を戦闘体制へと移行せねばならないと思い直し、選択した陣形は弓と矢を模した形のものにした。


 やじりは前衛組、ふしと羽根は中衛組、横に寝かせた弓は後衛組。槍の陣形よりも、前と後ろに密度を集中させたもの。接敵した状態で隊を下手に動かしたくない場合にも有効だ。この狭いトンネルの中では機能すると判断した。


 やじりである前衛組が風を割いて飛ぶように受け流すことも、そのまま接近して攻撃することもできる。中衛組を細く配置することで、部隊が狭い通路で動き回りやすく、また押すことも引くことも、前中後の入れ替えもし易い。


 この状況で、一番避けたいのは前中後が入り乱れてしまうことだ。しかし、天井にぶら下がったモンスター相手には、そうも上手くはいかないだろう。ヤツからして見れば360度が足場だ。対して、こちらは180度だ。


 一時的に壁を駆けあがったり、蹴って飛び交うことなど、立体的な動きも出来はするが、それも常にという訳でも無く限界もある。後衛組の方へと駆け抜けられれば、陣が瓦解する可能性が高まる。


 だからこそ、前中組でヘイトを引きつけれられるように弓矢きゅうやの陣を選択した。弓から放たれる矢の如く、後衛組を残し、前中衛組が飛んで行くように、あの未知のモンスターを迎え討つ。


 この大規模な魔法の使用が制限されている環境下、後衛組を前に出すのもはばかられる状況下でも、スペースを空けられれば空けるだけ後衛組が上手く機能してくれるはずだ。


 そう思い、後ろは任せて、前衛組の間を縫って駆け抜けた。そして、最前を走るレオンを追い越し、佇むモンスターの前方まで詰め寄った。その瞬間、


『――――ッ!?』


 身体が浮いた。まだ飛び込もうと踏ん張りもしていなかったはずなのに。


『――止ッ、まれぇええッ!!』


 俺は後ろを走っていた筈のレオンと向き合っていた。上下逆さまになって。


『――重力魔法だッ!』


 そうと気付いた時には、俺の身体は推進力のままに回転していた。その回転を止める為に咄嗟に【ポーズ】の壁を作り出した。そして透明の壁に身体を打ち付けながら無理矢理に止めた。


 しかし、止まりはしたものの、モンスターの攻撃に対処が遅れてしまっていた。振り返った時には、既に放たれていた。俺の頭ほどのサイズの岩が無数に飛んで来ていた。咄嗟に岩塊を【ポーズ】で止めようとした。その時、


「――オー……エンッ!」

『つッ!? ぅぉあ!?』


 目の前で岩塊が弾けた。視界の端を掠めるように飛んだ光が次々と岩塊を打ち砕いていく。目を細めて見れば、どうやら、レオンの旋刃から放たれた魔弾が岩礫を破砕してくれたようだ。


「だぁらぁらららぁッ!」


 俺が危険だと判断した瞬間、行動を起こしてくれたのだろう。この合間にも俺は体勢を立て直す必要がある。そう思い、前衛組の方へと透明の壁を蹴って戻ることにした。


『スッー……レオンッ、助かった!』


 俺は戻ると同時、体勢を立て直した。そして礼を言いつつ、反省した。


 俺は強者と分かっていながらも、出来ることならば、一突きで討ち取ってしまう位の心構えだった。後ろからはベヒモスが迫って来ているだろうから時間も余り掛けたくない一心だった。


 もし決着が長引いてしまった場合、最悪の事態に巻き込まれてしまうからだ。しかし、その焦りと考えの甘さが一瞬の隙を生んでしまった。そのせいで危うく攻撃をもらってしまいそうになった。反省せねばならないだろう。


 それと同時に、俺で良かったとも思った。もし前衛組がこの上方向に吸い上げられるような重力空間に入っていたとすれば、目も当てられない事態になっていた可能性があった。


 それに、対処方法をよくよく知っていたから、そう、思ったのかも知れない。


『――聞けッ! アイツは、ウエストさんと同じだッ!』

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