第128話
『かまうな! ッスー……』
1つ目の風晶石が尽きた。
『追って来る気配が無ければ、放って置け!』
予備分も含め、3つ備えている。残すところは後2つだ。ポーチから取り出した風晶石と、すっからかんになった風晶石を取り替え、口に咥え直す。
『ッスー……、それよりも先を急ぐぞ!』
声を発する度に風晶石を口から取り外すことが煩わしく思う。右手には魔槍、左手に黒牢の鍵、そんな状態で左手の三つ指だけを使って、風晶石で空気を取り込んでは、取り外してから声を出し、そしてまた吸ってを繰り返しているからだろう。
【ファスト】のお陰で人よりも素早く動けるのだが、しかし、その分、空気の正気量も多くなり、この状況下ではそれが災いとなってしまっている。
それに、湯気立つ液体が染み出ているからか温度も熱く、空気が停滞しているからか湿度も高い。だからだろうか、些細な事でも鬱陶しく感じ、更には苛立ち易くなってしまっているようにも思える。
まるでサウナ室に閉じ込められているような気分だ。新鮮で冷たい空気を身体中に浴びながら深呼吸したい。そういった欲が沸いて出て来てしまっている。いっそ頭から水を被ろうかとも考えたが、そうしたところで焼け石に水。
試したところで、今以上に負担になるだろう。身体が重くなるだけでこの憂いよりも重い物が圧し掛かることになりそうだ。そうは思えど、この苦しい状況なのは俺だけでなく、皆も同じはずだ。
一刻も早く抜けたいし、抜けるべきだろう。だとすれば、速度を求めるのならば、このまま駆け続ける仲間を前へと送り、そして追い抜き、また送るを繰り返した方が良いだろう。なればこそ、俺も我慢するしかない。
『ッスー……瘴気だ! 風魔法を頼むッ!』
魔槍で先を指し示すと、その方へ突風が、俺の脇を抜けて行った。その風が瘴気を、巻き上げるというよりは、くり抜くといった様子で貫いた。その部分だけ押し込んだと言った方が近いのだろうが、雲のように漂っていた瘴気に、ぽっかりと穴が空いた。
俺はその風が通り抜けた道を【ポーズ】で固める。【ズーム】を用いて先の方まで覗いて見たが、どうやら見える範囲にしか瘴気はないようだった。
『先に行く! 後方警戒しつつ、着いて来てくれ! ッスー……』
返事が無い代わりに、光晶石の放つ光が幾たびも、ちらついて見えた。その合図を確認した後に、瘴気のトンネルを抜ける。抜けてすぐに、モンスターの姿が見えぬことを確認し、そして後から続いた前衛部隊に警戒を任せ、俺は後続部隊に合図を送る。
『問題ない! 抜けてきてくれ! ッスー……』
そうして後続部隊含め、全員が抜けたのを確認してから。
『風魔法で瘴気を後方へ送ってくれ!』
そう指示を出す。それと同時、俺は【ポーズ】を解除した。すると、溶けるように瘴気が崩れ落ちていく最中にも、鳥の鳴き声にも似た音が聞こえ、風が吹いた。そして、瘴気は風と連れ遊ぶように後方へと飛んでいった。
これで後ろからの瘴気にも気を取られる心配も、それ自体が邪魔してモンスターの姿が見えぬということもなくなった。あまりにも気に掛けることが多い現状、少しだけでも減らせて良かったと思う。
『……もう半分は、越えている! ッスー……、このままの調子で進むぞ!』
地下道を行くこと、かれこれ、1時間近くは経っている。
今のところは過度な接敵も無く、危険地帯に阻まれることも無く、順調に進めている。あわよくばこのまま、進行を止める事無く、抜けきってしまいたい。駆け足程度に走り続けている状態であるが、誰一人として息が上がっている様子もない。皆のポテンシャルならば休憩を挟む必要もないだろう。
そう考えながら俺は部隊の先を行っていた。すると、突然、カノンの鞭の音が打ち鳴らされた。次いで、再び、空気の張り裂ける音が響いた方向を見れば、右斜め前の道から、モンスターの群れがこちら側の道へと迫って来ているのが見えた。
『……多いぞ。……ッスー、奥からも来ている』
フロア原生モンスターの死体が歩いていた。その皮膚は、腐り落ちたのか、爛れているのか、どちらともなのか、良く燃えそうな見た目をしている。照らす明かりさえも通り過ぎる張りぼての、伽藍洞の、その身体が粘着質な音と共に揺れていた。
『……アンデットタイプ! 絶対に火は使うな!』
まだ少し、部隊との距離は離れている。その姿を確認できているのは俺だけだろう。その見た目から、火炎魔法による放射が出来れば何と楽な事なのだろうかと思うが、そう思えたのならばこそ、再三の忠告を繰り返す。
『前衛で受ける! 中衛は奥に向かって、魔法を放ってくれ!』
その道から溢れ出んとするアンデットモンスターを引きつけながら打ち払う。最前線で押し留めている間にも前衛組が寄り、そして中衛組の魔法が解き放たれる。道の奥から押し退け、飛び出そうとしたモンスターさえも押し返し、更に道の奥の方のモンスターがなぎ倒されていく。
『ッスー……壁! 塞いでしまおう!』
まだ奥の方には、モンスターが居るだろう。そう判断した。しかしながらルートを逸れてまで打ち滅ぼす必要性も、いつどこで終わるかも分からぬモンスターの群れを待つ必要性も無いとの考えから、そう指示を飛ばした。
ただの蓋で、モンスターがこちらを見失えばそれで良いと思い、そう伝えながらも前衛と中衛組を先に進むよう魔槍で指し示して後衛組に壁を立ててもらったのだが、俺の言葉足らずのせいで少し堅牢過ぎる位の壁が出来てしまった。
更には、その上から氷魔法を掛けようとまでしていた。俺は慌てて、その必要は無いと手で制してから、後衛組も先に続くようにと指示を出し直した。
それからまたも部隊を追い越し、先頭へと出るまでの間、頭の片隅では指示の難しさを考え、空気の節約を優先したことやら、言わずとも分かるだろうといった甘えの部分があったことを自省した。
『……ッスー、今が、辛い時期だと思う! でもっ、この道を抜ければ、すぐ坂道が見えて来る! ッスー……坂道が見えれば、新鮮な空気が、風が、流れ込んでくる! ッスー……そうすれば、息も吸えるし、火も焚ける! ッスー……拓けた場所を見付けたら、しばらくは、ゆっくり休憩を取ろう!』
反省の結果、それを活かそうとした。自らの失態を取り返そうとしたってのもあった。励まし、鼓舞したのは、その為だ。
『……ッスー、ゴフッ、ゴホッ、……ッスー、大丈夫、強く吸い過ぎただけ』
十分な空気を取ろうとして咽てしまっただけなのだが、心配そうな表情を向けられてしまった。あまり突然に、頑張り過ぎても、上手くはいかないものだな。要らぬ心配を掛けても仕方ない。少しずつで良いから今度は張り切り過ぎないようにしよう。
『ッスーゥ……、でも、無理し過ぎも良くないから辛くなったら言ってね。……ッスー……黒牢なら、安全に休めるからさ? ……ッスー、隣り合った仲間の様子も確認し合ってね。……ッスー、それでー、え、俺? ……うん、ありがとう』
頑張り過ぎるなってことだろうな。皆からして見ても、そう見えてしまったんだろうな。でも、無理し過ぎない程度には、やっぱり、俺は頑張りたいし、頑張らなくちゃって思う。それが元で、部隊の皆に迷惑を掛けることにならないように、しないとな。
『レオンっ、前衛組と一緒に前をお願い! ッスー……俺はその後ろに付くから』
俺は前衛組の後ろ側へと下がり、少しの間だけ、休ませてもらうことにした。呼吸と気持ちを落ち着けて、水分補給をしっかりして、皆との歩幅に合わせて走った。モンスターがわらわらと湧き出して来ても、皆に任せておけば何の問題も無かった。
姿を真似るドッペルゲンガーが表れても、天井にへばりついていたヘドロみたいなモンスターが降って来ても、眩く発光する身体を持つモンスターが突然輝いても、ミノタウルスの上位種みたいなモンスターでも、何でもだ。
一人一人が群の一部となり、そして脅威を皆で払い除けた。一度下がって、後ろで見ていればこそ、学ぶことも多く、為になった。考え行動する力を目の当たりにしたように思う。
『……ッスー、ありがとう。十分休ませてもらったから前に戻――止まれッ!』
前へ身体を傾けた時だった。踏み込んだ足の先から大きな振動が伝わった。その瞬間、俺の頭の中に過ったのは活性化の文字だった。しかし、すぐに違うと気付いた。その振動は衝撃と言っていい程のものだ。
『……警戒態勢!』
俺はこの事態の状況把握をすぐさま行うべく、首を左右に振って異変が無いかを確かめた。しかし、目に見える異変は確かめられなかった。いや、後方のカノンが訝し気な表情をしていた。
カノンは耳に手を当てて、遠くの音を拾おうとしていた。そんなことをする必要が無いほどの聞こえの良さを持っているカノンがだ。部隊が立ち止まり、警戒態勢を取り始めた今も尚、その仕草を続けている。
そう思えば、この足先から太もも、下っ腹にまで響くような振動はおかしかった。幾度と無く伝わってくるのにも拘らず、原因であるだろう音が聞こえて来ないのだ。頭上からは砂が落ち、壁の小岩が崩れ、足元の小石が跳ねているというのに。
「……“聞こえない”、……スー、先の、出口の方、から、……スー、振動だけが伝わって来て居るけど、聞こえない。……スー、音の正体が何か“分からない”わ」
やはり俺の見立ては間違いでは無かったようだ。しかし、そうであったからと言って事態の把握が出来ていないことには変わりない。
『……ッスー、これが、収まるまで待機だ』
分からないのならば、下手に動かない方がいい。このままこの振動が続けば、もしかすると生き埋めになる可能性もあるにはあるが、土魔法を得意とする仲間が魔法で何とかしてくれるはずだ。
それよりも何よりも、部隊をどう動かすべきかを考え、答えを出す必要がある。行く通りかの選択肢が見えて来ているが、出口からそう遠くないこの位置、引き返すにはかなり戻らねばならぬ状況が頭を悩ませる。
俺はそう考えながらも、カノンと顔を見合わせ、新たな情報を得られたかどうかを探っていた。
そうしていると、しばらくの続いていた振動が、ふと消えた。
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