第91話
『行ってきます』
その言葉を残した後は、振り返らないと決めている。
いつの時からか、朝も早くから大勢に見送られるようになった。大人達は、その表情の裏に不安や心配を見え隠れさせながらも笑顔を向けてくれる。
子供達は寝ていてもいいと言っても、一生懸命に起きてきてくれる。眠気眼を擦ったり、欠伸を我慢してたり、泣きそうな顔を隠していたりと様々ではあるが、いつも見送ってくれるんだ。
何度、経験しても慣れやしない。やはり今日もまた後ろ髪を引かれる想いに駆られる。だから、必ず帰ってくるという決意と共に笑顔を残す。それを最後に、決して振り返らず、先を急ぐように駆け出す。
これが出立の恒例行事だ。
そうして、俺達≪オーエンズパーティ≫は、ダンジョンへと向かう。
『一気に行く!』
街の景色が後ろへと流れていく。ここ数年でアンダーの街並みも随分と変わった。人々も生き生きとして見える。
この階層に出回らなかった物も、今では手に入るようになったからだろうか。物資が行き届き始めているのを感じる。それに伴って活力も沸いているようにも見える。
「今回は、ミドルの街で補給部隊、調査部隊と合流、それからオーバー駐留地まで上る予定ね。着くまでは“いつもと同じ”よ」
『はいよっ!』
過去に思いを馳せていると、手帳を広げたカノンが改めての確認事項を共有してくれた。
そう。今回はいつもと違うはずだ。まだ何がどう変わるのかは分からないが、お前たちに大事な話がある、とお声が掛かったのだ。
3年前、遠征部隊の試験に受かってから、1年間は補給部隊の中の1パーティとして下積みをしていた。それまでは荷物運びとして名を連ねていたが、1年間の功績が認められてからは、ダンジョン滞在期間中、オーバー駐留地での拠点防衛任務への参加を許可されるようになった。
今遠征の要であるオーバー駐留地は、攻略、調査を進める為の拠点として設けられた。土魔法を主とした急ごしらえの拠点ではあるが、部隊の休息はもとより、上手く事が運べば新たな街となる可能性を秘めている。そんな大事な場所の防衛任務に参加できるとなった時は、皆で大喜びしたっけか。
そうして、行って帰ってだけの日々から、少しメリハリが出だしたと感じ始めた頃、階層探索と調査にも連れて行ってもらえるようにもなった。当時の俺達はチャンスが重なったと思っていたが、ただ単純に運搬効率が上がったお陰だったと、後になってから知ったっけ。
ともあれ、オーバー駐留地での滞在期間が増えたことで、得られるものも多くなった。思い返せば、本当に色んなことがあったな。部隊の交代や補充があったり、狂暴とされる魔獣が襲って来たり、意思疎通の取り辛い精霊が怒って魔法を打ち放って来たり、物資を盗もうとしていた人達を捕らえたりしたこともあったっけ。
紆余曲折あったものの、攻略も、調査も、俺達も順調だ。
上手く事が進んでいると言える。2年目の終わり頃、長期遠征が一先ずの打ち切りを迎えようとしていた際に、突然に活性化が起こった時はどうなる事かとも思ったが、それを含めても運が良かったのだと言える。
活性化の折、長期遠征が決まったのだから、遠征の期間が伸びるのも必然だ。一応、お偉方が集まって会議したらしいが、オーバー駐留地の現状も鑑みて続行が決まったのだ。
そんなこんなあって、3年目を経た現在の攻略組の到達階層は89階だ。
90階層へと差し掛かろうとしている局面を迎えているらしい。今は万全を期す為にも、入念な準備を進めている段階らしいが、そう遠くない未来にボスモンスターを打ち倒して、新たな階層へと足を踏み入れるだろう。
そして現在、長期遠征は4年目を迎えた。
そんな時に、俺達のパーティに声が掛かったのだ。期待せずにはいられないだろう。俺としては攻略組への参加が望ましい。それであれば言うことは無いのだが、そんなに甘くは無いだろう。だが、そうで無いとしても、今よりも重要な事柄を任せてもらえそうだと思っている。
「エン、“もう”ニヤけてるの?」
『え、あ、あぁ。……楽しみだからさ?』
「そ。じゃあ“いつものこと”ね」
『お、おん。……そう、かもな?』
現実と幻想の間は壁で隔たれていると、そう思っていた。だが、それは間違いだった。幻想に身を置いていたとしても、現実と向き合わざるを得ない。
この世界に転生して、探検者となって、伏せて見ないようにしていたとしても、それは突然目の前へと現れる。それは日常の片隅に当たり前のように存在する。
そうだと分かった上でも、俺はまだダンジョンに上りたいと思っている。
理由はどうあれ、それが俺の
「オレも楽しみ過ぎて、昨日、寝付けんかったわ!」
「我も楽しみなのである! 今回こそ精霊美女を見つけるのである!」
「ボクは折角なら生身の方が良いかなー? 楽しみだよねー!」
「うるさーっ! グインツは夢見過ぎ! ウィーツはセクハラぢゃん!」
「も、もし、男性の、精霊さんだったら、……どうなっちゃうのかナ?」
「ココー? 何言っちゃってんのかなぁ? ワタシ、今、ビックリしてるー」
「あっ、あっ、えと、その、ココも楽しみってことだヨ!」
「それ、別の楽しみぢゃん……、あ、でも、そうだ! ワタシも楽しみー!」
後ろから聞こえて来る会話からも、皆が楽しみにしていることが伝わってくる。楽しみ方は人それぞれであり、それだけの魅力がダンジョンにはあるということだ。
とは言え、俺達のパーティの目的は変わらない。依然としてダンジョン攻略する為の取り組みを続けている。与えられた役割を果たしながらも、しっかりとダンジョンでの鍛錬に励み続けている。
「もうゲート広場が見えて来たから、話は“そこそこに”しておきなさいね」
ゲートに乗ればミドルだ。前を見ればすぐわかる事をカノンが言った。それは後ろへと向けたものだ。上層階で取れた食糧が美味いだとかはまだいいが、あの部隊の人が綺麗だとかの俗物的な会話は慎んでおけということだろう。
品位を保つこと。それも重要なことだろう。もしお堅い部隊長やら、お偉方の耳にそんな会話の一端でも入れば、決していい顔はされないだろうからな。それにゲート付近は知り合いと鉢合わせる機会も多いから尚の事。変な噂が立っても面倒なだけだ。
『こんにちはー、あぁどうもー、はーい、また今度ー!』
カノンの忠告を胸に留めつつ、俺達は顔見知りとも軽く挨拶を交わしたり、手を振ったりしてから中央のゲートまで進んで行く。
そして皆と一緒にミドルの街へと飛ぶ。
すると、一瞬にして景観が変わる。それと同時に気も引き締まる。いつもこの場所からスタートするからだ。とは言え、まずは探検者ギルドへと向かって――
「――ぉ、おい、あれっ、≪オーエンズパーティ≫じゃねぇか?」
「ぅひょっーアンダーの新星だぁな! 槍持った小せぇのがリーダーなんだろ?」
「そうそう。ついこの間、成人したばっかなんだってなぁ?」
ミドルの街へと来て早々、厄介な連中に見つかってしまった。
探検者になって3年と少し、晴れて成人と認められる年齢の15歳になった。そして補給部隊に選抜されてから3年、ようやく名実ともに一人前と認めて貰えるようにもなって、多少有名になれたことはいいが、
「へぇー、あのチビ助が魔槍のオーエンかぁ」
誰がチビだボケ。こちとらまだ成長期真っ只中なんだよ。それに小さくもない。女性陣よりも背は高くなった。身長だって160cm、は、あるし、まだまだ伸びる予定なんだ。俺が小さく見えるのは、18歳組のせいだ。それに魔槍が俺の身長よりも長いからそう見えるだけだ。つまりは、目の錯覚だ。
「お、とこ……だよな?」
何処からどう見ようが男だろうがよ。成人してからも、俺は日々、成長を感じている。昔と比べても、今は痩せ型なだけで、それなりに筋肉も付いた。髪も幼く見えないように整えているし、身に着けている物も考えて選んでいる。後はヒゲが生えて来さえすれば、もっと男らしさに磨きが掛かると俺はそう思っているというのに。
「ねぇ、“オーエン”?」
ちょっとばかし有名になったからこれだ。有名税という言葉もあるが、こればっかしは仕方ないと納得できやしない。誰が俺達の噂を流してるのか、それに気が付いた時には二つ名が名前の前にくっ付いていたし、それに二つ名がというか
ミドルの街でもこうだ。オーバーの連中はまだマシだが、それでも俺のことを修復屋だとか、便利屋だとか呼びやがる。酷いヤツはまだ俺のことをボウヤだとか、チビだとか、鼻垂れだとか、子ども扱いしてくる始末だ。いい加減、有名になったのなら、なったなりに扱ってほしいものだ。
「じゃあ、あっちのリーダーっぽいのが旋刃のレオンか」
レオンは良いよな。羨ましいよ。本当に。凛々しい顔立ちというか、雰囲気からして男って感じだし、出会った時から比べても大人っぽくなってるし、それにオーバーの街でも名匠とか呼ばれてるし。
「あ、ヤベェ、
ウィーツは、まぁいい。怪しい優男って感じだしな。いや、今では怪し気な色男の方が合ってるか。中二病キャラを演じ過ぎて変な二つ名まで着いちゃってるし、それに身から出た錆で、女性との距離が近すぎるから色魔とか、すけこまし、とか言われてるんだっけか。本人はまるで気にしてないようだけど。
「ったく、いいよなぁ。良い女連れてよぉ? ……髪の長くて短い女、あれが鳴動、だよな?」
今度はカノンか。女王様だとか、地獄耳って方の仇名を口にしなくて命拾いしたな。聞かれてたら酷い耳鳴りに襲われていただろう。後は年齢のこともか。と言ってもまだ20歳だから気にすることも無いはずなんだけど、何故だか最年長ということを気にしているらしいからな。
「おらぁ、見た目は鬼人族の娘がいい。んだけど死鬼姫って呼ばれてんだよな? 見た目に寄らずおっかねぇよなぁ……あ、ヤベッ」
ヨウは大層な二つ名で呼ばれている。なんでも死んだ鬼人族を死の国から呼び戻して操っていると勘違いして恐れられているようだ。本人は嫌がっているが、ウィーツが面白がって言い回ったせいで広まった仇名だ。まぁ、そのお陰で幼女だとかの仇名をあまり聞かなくなったか。
そう言えば、ココも極彩色って二つ名を嫌がっていたっけ。
下手な花火大会よりもド派手な光景から由来した二つ名。それ以外にも魔術書とか、魔導の申し子とか、良い呼ばれ方をしている。だけど、本人は身に余ると思っているようだ。この世界では魔力特性に応じた魔法しか使えないという法則があるから、俺としては誇るべきことだと思うんだけど、それも人それぞれなのだろう。
やはり、二つ名とは残酷だ。
勝手に通名として決まってしまうが故に簡単に変えられない。一番、可哀想なのはグインツか。奇人、天才という仇名の方が、良い場合もあるだなんて普通は思わないよな。魔晶石のグインツ。まるでポーションみたいな二つ名が知らぬ内に定着してしまっているとはな。
「……エン、エンってば! ねぇ、聞いてるの? ほら、さっさと“行くわよ”」
『あ、ぁあ。うん。分かった。ごめんごめん』
どうやら俺は聞こえて来た声に意識を持って行かれていたせいで、ゲートの上で立ち止まったままだったらしい。
ふと気になって噂話をしていた人達の方を見れば、その人達はいつの間にか、何処かへと行ってしまっていたようだ。
これからも名が広まる度に噂されてしまうんだろうな。あることないこと好き勝手に。まぁそれも致し方ないことなのだろう。
俺も真正面から受け止めずに割り切って、早い内に慣れるようにしなければいけないな。
そう思いながらも、探検者ギルドへと足を運んだ。
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