第87話


 フィールドと観客席との間に結界が張られた。対戦相手となる人物等は既に配置、展開済みだ。


 俺達がフィールドに展開する僅かな時間にも、ここは敢えて【スロウ】のみを発動させて情報収集をしておこう。


 まずは中央にミスリルであろう輝きを煌めかせている王国直轄兵団らしき人物が一人、その後方の岩々には5名が点在している。


 ここからはどこのクランに所属しているのか分からないが、その装いから判断するに恐らくは上級探検者だろう。


 後方に控えるは、エルフにドワーフ、それに獣人が一人ずつ。後の二人の主だった特徴は見えない。


 だが、全員がプラチナランク以上と考えるのであれば、もはや人や亜人なんて関係ないだろう。特性や性質なんてものを充てにはして動いたとしても逆手に取られるだけだ。


 エルフは短弓を、ドワーフは槌や斧を、獣人は牙や爪を、そんな固定概念はとうの昔に軽く打ち崩された。どの属性の魔法を得意とするかも同じで、種は種であり、個は個だ。


 この迫っ苦しい洞穴の様な世界では交雑化も進んでいる。だからこそ、目の前のエルフは長剣を、ドワーフがダガーを、獣人が杖を構えていても何らおかしくはない。


 つまり、結局、今見ただけでは分かることも少なそうだ。その布陣も恐らく対処しやすいように広く取っているだけだろう。だが、どうしても気になるのは中央前方に一名、堂々と立っているミスリルランクの兵士だ。


 後方の探検者との間が空き過ぎている。俺の勘違いで無ければ、まるで一人で十分だ、と言わんばかりの配置に居る。


 眉目秀麗びもくしゅうれいのその人は、鎧ではなく、軽装、いや、兵士が街内で身に着ける平服を身に纏っている。だと言うのに、腰に刺した直剣がそう思わせるのか、どこか誇り高き気風を感じさせる。


 まるで背筋が伸びるような、それでいて空気が凍てつくような威圧感や存在感を放っているようにも思える。離れたこの場所から見ていても、相当なものだ。


 フォティアさんのそれとも雰囲気はまるで違うが、熟練、基、強者であることをその身で体現しているみたいだ。


 一挙手一投足、その動作の全てが流麗。こちらの準備が整ったのかと気にする視線もまた優雅。そして男としての格も、探検者としての格も、強さそのものも全てが上を行っている。


 これからこの人に負けることになるという事実を考えるだけで、更に分からせられるような気分になってしまいそうだ。


 だが、例えそうなったとしても、いや、十中八九、いや、百に一つも勝ち目はないだろうが、決して諦めることはしたくない。最後まで勝つつもりでやる。


 それだけは曲げない。むしろ何も勝ち目がないと割り切れば、それこそ燃えてくる。これは模擬戦であって死ぬ可能性はない。そう高を括ることにして、今持てる全てを賭すことにする。


『――《オーエンズパーティ》ッ、レッツプレイッ!』


 アナウンスの切れ間、試験開始の合図の瞬間に叫び声を上げた。だが、渾身込めたとてその叫び声に身構える者などいない。


 ただ前方に待ち構える眉目秀麗びもくしゅうれいのその人が剣を抜いただけだ。


 その人は些細な動きだけであっても素早かった。緩慢とした視界の中でも、まるで油断できないと思わせられるほどだ。だが、素早く剣を抜いたその人は動かない。


 開始と共に先だって潰しに来るような気配もないのは試験であるからだろうか。俺はその人の挙動を見逃さぬように視野に入れたまま、咄嗟に【ファスト】を掛けた。


 そして同時、横から飛来する髪束を左手で掴み取り、俺とレオンは繋がった。


 それを優先したのも相手が相手だからだ。幾ら【スロウ】と【ファスト】のアドバンテージがあろうとも悠長に待ってはいられない。だからまだ動き出す予定では無いが、何があっても対処できるようにと優先して行動に移すことに決めていた。


「【リプレイ】――」

「――【クリムゾンレッド】ッ!」


 俺達の少し前へと躍り出たウィーツからの魔法が放たれた。それはノーモーションに等しく、さらにはインスタントとは思えないほどの火力を一瞬にして顕現させた。


 俺達であれば万が一にでも死ぬことは無いと、試験管にそう言わしめたミスリルランクの強さを見させてもらう。


『――いっけぇええええ!』


 途端、迸る紅い魔力が眉目秀麗びもくしゅうれいのその人を襲った。だが、


『ッ!? ……おい、嘘、だろ』


 防壁くらいは張るだろう。そう思っていた。狙いもど真ん中、直撃は避けられない。だが、防壁も何も張られることは無かった。


 その時、彼は剣を真っ直ぐ、前に、構えた。ただそれだけだった。その僅かな動きだけで、紅い一筋の光線が左右二つに分かれてしまった。


 まさか、これほどまでの差を開幕早々に見せつけられるとは。俺達パーティの中でも最大火力筆頭であるはずのグインツの魔法がこうも見事に、そよ風を受け流すかのように、そんな涼し気な顔をして対処されるなんて思いもしなかった。


 これがミスリルランクの実力か。目の当たりにして良く分かった。やはり、あの人は本物だ。胸のそれは貢献度だけを重ねて得た証ではないようだ。


『……チッ、……あんなの、どうしろっつうんだ』


 俺の考えは甘かったようだ。一瞬にして覆されたことによる不満が漏れる。早々に幾ら思考を巡らせようとも勝てるビジョンが見えなくなった。


 何をしよとも恐らく一手目から封じられる。からめ手を加えたとて二手三手で詰む。だからと言って胸を借りると、割り切ることも出来ないからこそ不満が募る。


 考えられる時間も後僅か、程なくしてココの声が聞こえて来る筈の頃合いだろう。


「……【花園みたいな魔法】行きマスッ!」


 タイムリミットだ。やはり、この僅かな間ではあの人を打倒しうる作戦は浮かばなかった。やはり当初の作戦通りに畳み掛け、そして後はなし崩し的に一点集中、各個撃破を狙う位しか手がない。と、考えるのであれば、このココの魔法に賭けるしかない。


 後はココの魔法によって、向こうの後方で待機している5名がその後どう出るかが問題だ。分断も妨害も時間稼ぎすらも出来ぬようであれば逆にこちらが追い詰められるだけ。とは言え、それによって戦況も大きく変わるだろうが、そうだとしても他に方法は無い。


 危惧すべきはあの人が前進してくることが一つ。今は様子見をしてくれているのだろうが、前に押されてしまっては押し返せもしないだろう。


 ここがダンジョンで、あの人がモンスターだとすれば、俺は逃げるが得策だと判断する。だが、これは試験だ。それを評価してくれたとしても次へと繋がりはしないはずだ。


 それから人数不利の状況を作り出さないことが一つ。こちら側が常に多数であることを維持するのはもちろんだが、相手側にそうさせぬ状況を作り出さねばならない。


 そして最後に俺達の後方に相手側の誰か一人でも抜けさせないことが一つだ。もし後衛に抜けられればパーティ全体の瓦解へと繋がってしまう。


 だからこそ、今だ。前もってココへ頼んでおいた魔法と共に攻めるしかない。あれやこれやとごちゃごちゃ考えていても仕方ない。


 パーティ対パーティの模擬戦と試験内容を聞いた時からそうすべきだと考えていたことをやるだけだ。迷うな。戸惑うな。己と仲間を信じろ――


『――ココッ! ――頼んだッ!』


 そう叫ぶと同時、【花園みたいな魔法】と称された魔法により生み出された植物達が俺達の頭上を覆い込み、脇を通り、そして音も無く足元を這い抜ける。


 芽生えたばかりの生命が求めるは栄養か、それとも繁栄か。枝とも蔓とも茨とも言い難いそれ等は、まるで毛細血管のように広がり、空を跨ぎ、絡み合い、地面を割りながら、糧を求めて彷徨かのように侵食する。


 その様は、何度見ても美しく、それでいて恐ろしくも思える。まるで空想、妄想、夢想が入り乱れているかのような空間が現実の事象として顕現した。


 【花園みたいな魔法】はココだからこそ成せる魔法。その実、三種類の魔法を同時発動させて出来た混合魔法であり、同時発動した物体の枝と、魔力の蔓と、影の茨はそれぞれ求める糧も違えば、その性質も違う。


 物体は物体を、魔力は魔力を、そして影は精神を求め、上下左右の多方向から侵食する。だから相手は対処するのも難しいはずだ。その為にこの魔法を選んだ。


『おしッ、いいぞッ』


 ココの対象指定は完璧だった。これで前衛後衛の分断に成功したはず。もう近くのレオンしか見えないまでには植物に侵食された。ここまで試験開始から僅か数秒、【クリムゾンレッド】が、いとも簡単にいなされたことを除いては予定通りだ。


『……カノン、任せるね』


 俺は次の行動に移る前にカノンへと声だけ送る。すると間も無くガサガサと枝草を揺らす音があちらこちらから聞こえてきた。


 それを合図に俺達もその音に紛れながら枝草の中を進むと、すぐにあの人の立っているだろう空間が見えた。


 その場所を見ただけであの人がココの魔法の餌食になっていないことが分かってしまった。その場所は、そこだけが花園ではなく、氷の園と化していた。枝や蔓は凍り、霜と氷で侵されてしまっている。


 それを見てしまった俺は、もはや舌打ちを堪えるので精いっぱいだった。相性は最悪。これでは近づけない。距離を置く為に退避すべきだと本能が訴えていた。


 触れれば砕け、そして散る程に凍らせてしまえるのならば近接戦闘自体を避けるしかないのだから。


『……前衛、止まれ』


 その言葉を絞り出すしかなかった。あの人をどうにかしたいという思いは見るも無残に砕け散った。あの人は上手も上手だ。


 近接主体の俺達が下手に手を出せないどころか手の出しようがないと見せつけられてしまった。あの人を打倒しうる可能性があるのは遠距離魔法攻撃のみだ。ならば、狙うべき対象を変更するしかない。そう考えてのことだったのだが、


「ん……止まれ、か、ふむ、……それはもしや、そこまで来ておいて退くと言ことなのかい? ふふ、安心してくれていい。これは試験だ。芯まで冷やすことは無いよ。……さぁ、出ておいで」


 それは安心させる為の言葉か、それとも挑発か、どちらとも取れる言葉をあの人が投げ掛けて来た。


 それまでは一時退避してからの立て直しをするつもりだった。だが、もう遅いようだ。引くに引けなくなってしまった。


『……お見通し、ってことか』


 恐らくは俺が声を出す前からバレていた。それに行動までもが読み切られていた。そして折角焚き付けたばかりの灯さえも握りつぶされてしまった。ここからどう動こうとも詰みを突き付けられる未来しか見えなかった。


「おや、もしかすると、やる気を削いでしまったかな。……ふふ、それは悪いことをしたね」


 凍り付いた枝草の間から声が通り抜けてきた。恐らくはこちらを向いて話しているのだろう。それにその声色からは決して悪びれる様子も無いと言うことが分かった。


『……これって、……もう、終わりですか?』

「いいや。まだ始まったばかりじゃないか」

『……逃げの選択肢も無い状況なのに?』

「これが試験じゃなければ、その通り、だね」


 俺達が戦ったとしても、逃げたとしても、詰みだということは否定しなかった。だかしかし、その人は試験であると強調した。と言うことは、


『……つまり、勝てる見込みが無くて、悪手と分かっていても手を打てと言うことですか?』

「ご名答。察しが良いね。それに利口と言えば利口だ。でも、固く考え過ぎているようだね」

『そう、かも、……知れません。でも、実戦想定と聞いていたので、そのつもりで挑みました』

「それは評価しよう。だけど、し過ぎる必要は無いさ。本気の私と戦って勝つのが参加条件なのであれば、そもそも面談を先にする必要もないだろう? この試験の目的は遠征に必要な人員の確保だ。なにも最上層で戦える実力を備えている者だけを募る試験ではないのだからね」


 その人の言葉を聞いて、俺は己が自らのことを嘲笑った。どうやら俺は思い込み過ぎていたようだと気付かされた。


「どうするかは任せるよ。やるのならば、そうだな。遠距離魔法をいなすだけの退屈な時間は過ごしたくは無い。と、だけは言っておこうか。……勿論、私は君達を死なせないように十分な手加減をするさ。その為にこの剣も切れぬように氷で覆っている。不安なら他の試験官を後ろで待機させたままにしておこうか。おまけに利き腕は使わないであげよう……さ、どうする?」


 下手な煽り方だ。そう思っていても腹が立つ。ふと横を見れば鼻息を荒立たせているレオンもまた同じのようだ。俺へと目で訴えかけ、そして立ち上る白息を苛立たしそうに払っていた。


『……では、胸をお借りします』


 緩慢とした感覚の中、ゆっくりゆっくりとその意思を伝えている間にも、沸々と闘志が湧き上がって来る。


『……皆、ごめんね。……カノン、グインツ、ココ、聞こえてたよね? 出し惜しみはなしだ。ウィーツ、ヨウ、準備は良い? レオン、ブチかまそう。……じゃあ、仕切り直して……』


 この実戦試験の前に思い描いた物とは、遥かにかけ離れた展開になってしまった。そうなってしまったことを皆には悪く思う。


 これが空想上の物語ならば、テンポ良く、更に途切れることも無く、その人との激闘を描けたのだろうか。


 いや、物語だろうとなんだろうと、その人を前にしてはそう都合良くもいかないか。


『……皆、――やるぞッ』


 どうせなら、泥臭く、というよりも、土臭くありたいと俺はそう思った。

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