第84話


『スリィ、ツゥ、ワン、……ゴォオオオオオッ! ――ファイッ!』


 ログの酒場の二階、俺とグインツの叫び声が重なり合った。それと同時、互いに薄い水の被膜へと一石を投じる。すると俺達二人を取り囲むように見ていたギャラリーが声援を上げた。


「いけ! やっちまえ!」

「ブッ飛ばしちまえー!」

「負けんじゃねーぞぉ!」


 その声援によって更に勢い付いた俺達は、再び叫び声を上げながらぶつかり合った。


『――いっけぇえええええええッ!』

「――ぅおおおおおおおおおおッ!」


 だがしかし、早期決着とは至らなかった。流石はグインツだ。ぶちかまし後の隙も無い。それどころか離れた瞬間にすぐさま詰め寄って来た。だが、俺の方が立て直しは早い。それに勢いも俺の方が勝っているはずだ。


「――ふははッ、甘いッ!』

『なッ!? わざとか!?』

「で、ある! 良いのか!? 後ろがガラ空きであるぞ!」

『――くッ、うぉ、やばッ、そう来るならッ! とことん着いて来い!』


 互いに弾き合いつつも、薄い水の被膜で出来た球体の中を縺もつれるように転げ回った。まさに鍔迫り合いのような状態だ。


 実力は拮抗しているかのように思っていたが、グインツはインターバル中にも成長してしまっていたようだ。それ故に背後を取られてしまった。


「ほれっ、ほれっ、どうしたぁ?」

『くッ、そ、舐めやがって……』

「ふはは、逃がさん! 逃がさんよ!」


 グインツの攻めは、しつこかった。横に避けようが縦に回ろうが付き纏ってくる。それに速度を落とせば食いつかれる。このままでは防戦一方だ。そしてこのままでは負けてしまう。そう悟った俺は一か八かの賭けに出ることにした。


『仕方ない……飛べッ! スフィア!』


 黄色い指輪をはめた指先を上に勢い良く振り上げる。するとそれに呼応した黄色のスフィアが跳ね上がった。


「ふはは、それで良いのか? 魔力は有限であるぞ!?」

『食らえッ、メテオインパクトッ!』

「当たらんよッ、ソニックスライド!」

『からのッ! ランダムバウンド!』


 跳ね回る黄色い球と球体の中を駆け回る赤い球は、目まぐるしく動き回っている。俺達が叫び合い、球同士がぶつかり合う度に歓声が上がる。


 その歓声が聞こえる度に熱くなり、そして楽しくて仕方ない。もはや作戦などを考えてはいられない程に胸が高鳴った。


 だからだろうか、本能が示すままに動かすだけで精一杯だった。だが、しかし正面に立つ男グインツはまだ余裕があるようだ。


 水の膜のせいだろうか、口元が歪んで見える。いや、あれは笑っている。そして静かに眼鏡をあげて見せた。


「やるではないかオーエンよ。……ならば、勝負だ」

『まさかッ、出すのかアレを!?』


 グインツが眼鏡をあげて見せるのは必殺技の合図でもある。そして勝負を付けるとの宣言があった。と言うことは、あの浪漫技を放つという宣言をしたということでもある。


 ならば、と考えては見るものの打てる手段は限られていた。スフィアの輝きからして見ても俺に残された魔力は少なく、魔力を温存していたグインツのスフィアに打ち勝つことなんて出来やしないだろう。


 真正面からぶつかり合おうものならば、きっと水の膜から弾き出されてしまう筈だ。となれば、身構えはしたものの出来ることは一つしかない。


「……魔力、全放出だ。……いくぞッオーエン!」

『走れッスフィアァア! ……ぅおおおおおお!』

「ファイナルッ、アタァアアアアアアアアック!」

『――避けッ、ろぉおおおおおおおおおおおお!』


 爆発的な推進力を得た赤いスフィアが、俺の黄色いスフィア目掛けて一直線に突き進んで来た。


 その勢いは、さながらグインツが得意とする魔法【クリムゾンレッド】のようだった。俺はその紅き輝きから逃れる為に残された魔力を解放した。


「――貫けぇえッ! ……あっ」

『――ぅ、ぅおぉおぉおおぃ!?』


 紅き閃光の威力を前にした俺は、思わず叫び声を上げてしまった。それは勢い余って飛び出たスフィアに危うく眉間を貫かれるところだったからだ。


 【スロウ】を禁止されていたせいで寸前まで避けられなかったが、なんとか後ろへ仰け反り、腰から床へと落ちることで直撃は免れた。


 もし当たっていたとして死にはしないだろうが、かなりの痛みを伴ったはずだ。前を見ればバブルは半崩壊、後ろを見ればスフィアが壁にめり込んだ後があるから間違いないだろう。


『あッぶねぇええー! で、でも……セ、セーフ!』


 危うくケガをするところだった。だが、壁に凹みはあれどケガは無い。良かったと胸を撫でおろしながら、審判をしてもらっていたカノンにそうアピールをした。


「勝負は見ての通り引き分けよ。……でも、危なかったわね。大丈夫? 試験も近いのに怪我でもしたら危険よねー?  だから、もう“終わりにしましょう”ね?」


 そう、カノンの言う通り、こんな遊びでケガをしてしまう訳にはいかない。ケガをして笑い者にされるだけで済めばいいが、試験に影響を及ぼすことがあってはならない。


 だから、ここはカノンの言うことを素直に聞くことにする。グインツを見ても俺と同じようにカノンへと頷き返しているし、それに抗う様子も見せなかったから今日のところは勝敗が付かずともお預けでいいと言うことだろう。


 そうして次に遊びたいと申し出て来た常連客に引き継ぎ、俺達は静かにテーブルへと戻ることにした。


「おつつー、男の子っていくつになってもあーゆーのが好きなんだねー?」


 テーブルへ戻るとすぐにヨウが俺達に向けて質問をしてきた。


『……まぁ、好き――』

「――当ッ然ッで、ある! 忘れてはならぬのが童心。男ならば常に胸の内に秘めておるものだ!」

「ふーん、でも、なんでさーぁ。パーティ戦闘でも無いのにスキル名みたいなの、叫んでたのー?」

「かッァー!? それこそ必然! 滾る心のままに魂の叫びを解き放つのが良いからであろう!」


 それから熱く語り始めたグインツにヨウは胸焼けしたかのような顔を向けていた。ヨウの気持ちは分からないでも無いが、横で話を聞いていた俺からすればグインツの言っていることは的を射ていると思えた。


 難しい言い回しをしてはいるが、それは誰しもが知っているはずのことだ。大人になればいつの間にか、何も考えずに感じるままに楽しむということを忘れてしまう。


 だから、童心を思い出す機会があれば思う存分に楽しみたい。だからこそ、声を上げ、恥ずかし気を知らなかった時のように振舞い、全力で思い出しながら楽しもうとする。つまりは、そういうことをグインツは言っていた。


「――でッ、あるからして! つまりはそういうことなのである! そもそも……」


 それから話は逸れ、グインツはスキル名を叫ぶことの有用性を語り始めた。聞く人によればそれは講義と言っても過言では無いだろう。だが何故だろうか、興味を抱いて聞いていたのはシンとソナくらいなものだった。


 時折、言葉の意味が分からないのか、シンとソナが首を傾げたり、どういう意味かを解説して欲しいとうように目で訴えられる。だから俺もその話を永延と聞く嵌めになってしまった。


『……前衛と後衛が連携する時に必要ってことだね。つまり、前衛の人はいちいち後方確認してられないでしょ? 前衛の人は後ろからどの魔法が飛んでくるか分からないし、後衛の人も前衛の人がどういう動きをするか分からない。そうなるとどちらとも動けなくなっちゃうじゃん? だからスキル名を叫ぶんだよ』


 学校へと通い出したばかりの二人にして見れば、探検者ならば知っていて当前の知識であっても何故それが当然とされているかを知らないこともある。


 とは言え二人もダンジョン内で生活していたからか、噛み砕いて話してみれば思い当たる節があったようだ。


 スキル名や技名を叫ぶという当たり前のことを、知識として知っていたからこそ二人はすぐに理解し、納得してくれたようだった。


 俺達がそうしている内に横ではあのアイテムの分配先が決まったようだった。


「ぢゃー、多数決の結果、バブルスフィアはシンとソナにプレゼント! で、けってーい!」

「――なぬぅ!? あ、いや、それで良いのである。……我も賛成である。……が、しばらくの間は此処へと持って来てほしいのである……その、……研究の為にもッ! そうッ! 魔道具としての知識が詰まっているからッ! 見分せねばならぬからッ! そしてたまにはッ、遊ばせても欲しいのであるッ!」


 グインツは上手く誤魔化そうとしていたが、最後には本音の方が大きくなってしまっていた。だが、俺にはその気持ちが痛い程に分かる。


 この世界にも魔力を用いた玩具はあれど、あれほどの玩具は見たことも無かった。それに今も後ろの方で、大の大人である常連客連中が順番待ちするほどに面白い。


 だからこそ気持ちが逸ってしまったのだろう。恐らくグインツのことだからスフィアをカスタマイズしようとしていたに違いない。


 そんなグインツの様子を見てシンとソナは受け取りを辞退すると言い、遠慮する素振りを見せていたが、そこは多数決によって決まったのだからと押しつけるように受け取ってもらった。


 さりとて、所有権を譲渡したと言うだけの事だ。売ればそれなりの値になるだろう事は明白であるが故に子供が持ち運ぶのには適さない。だからログの酒場で保管しておくことになった。


 そうして置いておけばログさんや従業員、それに常連客の目もあるから、子供たちの身の安全も守れるだろうし、俺達も夜集まる時に遊ばせてもらえるはずだ。


「シーナ! アレで一儲け出来るニャ! 賭けの胴元になれるニャよ!」

「ニーナ! それはいい考えナ! オーエン! オマエ良い物持って帰って来たナ!」

『まだ居たの……ていうか賭けの胴元? あまり派手にやり過ぎたらログさんに怒られるよ? ……まぁいいや、でも確かにアレを持って帰ってこれて良かったよなぁー……』


 双子が目を輝かせているのがその証拠だと言える。双子が言うように使い方次第でバブルスフィアの価値は増すことだろう。


 黒い宝箱から入手した時にはここまでの物とは思いもしなかったが、グインツが命名した魔道具バブルスフィアの価値を改めて考え直してれば、その価値は計り知れないと思えた。


 まず魔力を用いた玩具でそれ以外の有用性は無いのだが、飽きの来ない面白さがあるのは勿論のこと、市場に出回っていないという点だけ見てもそうだろうと思える。


 それになんと言っても魔力を注ぎこむだけで遊べる手軽さが良い。指輪でスフィアを操作し、ぶつかって押し出し合いながら戦うという単純明白な遊び方も良い。スフィアが水の膜の中で暴れ回る様も派手で良い。魔法操作が出来ずとも魔石があればだれでも遊べるのも良い。しかも熟練探検者であろうと子供であろうと同じ土俵の上で戦えるもの尚、良い。


 そうしてある一方から見てもかなり良いものだと思う。魔法式のベーゴマやおはじきと捉えれば玩具の域を出ないが、もしこの指輪とスフィアの仕組みを解明できたとすればドローンの様な物を量産できるのではないかとすら思える。


 そうは思うが、魔道具に長けているグインツでも、ダンジョンが齎した叡智の前には膝をつかざるを得ないのだから、それもまた夢のまた夢の話ではある。


 だがしかし、それによってバブルスフィアの価値もまた裏付けされてしまったと言える。


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