第34話


 瞳孔の奥底に突き刺さるかのような眩しき光は、カメラのフラッシュやストロボライトのように鋭い光だった。目を細めても瞼の上から瞳を眩ませる輝き、青や黄色が連続的に発生していた。


 たまらず目を伏せてから、ほんの少し、緩慢とする時間の中でも僅かだが、甲高い破裂音が収まったかと思えば、何かが蒸発するような音と共に、またほんの少ししてから肉の焼ける匂いが漂って来た。


 伏せた顔を上げれば、そこには見るも無残なオーガの姿があった。


『……あ、……あぁ、……そ、そんな……』


 オーガは崩れ落ちるように絶命していた。全身から湯気が立つほどに、焼け焦げている。大きく開けた口と同じような洞が二つ、虚ろを見ている。両手の炎の勢いは見る影も無く、もはや燻ぶってもいない。そんな変わり果てた姿のオーガを前に、俺はただ茫然と膝をついてしまった。


「怖かったよねー? もー大丈夫だよーっ」


 金髪の少女が細身の剣を鞘にしまうと、俺の顔を覗き込むように話しかけて来た。


「危ないとこだったけど、間に合ってよかったー。ねぇ、君はなんで一人なの? 私が間に合わなかったら死んじゃってたかもだよ? 怪我もしちゃってるみたいだしー。……ねぇ?」


 少女が一方的に話しかけて来ているのは分かっていたが、そんなことはどうだって良かった。だがしかし、上の空でも、目の前の少女が何か訳の分からない御託を並べて、俺は説教されているらしいと言うことは理解できた。


『……るせぇ』


 少女が言わんとしていることの意味を理解して、疑問が解消されると同時、怒りが湧き立つ。


「ん? 何か訳があるのかなー? ワタシと一緒ならもう大丈夫だよー。ちゃーんと連れて帰ったげるよー?」


 この少女が何を誤解しているのか、何故そう思うのか、冷静にならずとも理解できる。心配して優しさを掛けてくれているだろう事も理解できる。理解できるが、しかし、赦せない。


「あっ、だーんちょー! 救援活動したよー。一人でいた男の子を救ったよー!」


 その言葉が聞こえた瞬間、俺は立ち上がり、気が付けば魔槍の矛先を少女へと向けていた。


『おい、テメーッ! 横殴っといてそれはねーだろッ!』


 身体が熱くなっても、頭に血が上っているのを感じていても、我慢していた。そうしてはならないと理解していたが、少女の言葉を聞いた瞬間、視界が白んだ。そして次の間には後悔も感じぬほどに、もうどうなっても良いとさえ思えるほどに、俺は怒っていた。


「ぇぇぇー? どっ、どうしたのー……?」

『どうしたもこうしたもねーよッ、俺の獲物を奪っただろッ!』

「なんだなんだッ!? おいッポルカッ、これはどういう状況だ?」


 少女を怒鳴りつけ睨みつける俺と、ポルカと呼ばれた少女の間に、男が一人割って入って来た。男は武器をしまい、両の掌をこちら側に向けながら、少女に訳を聞こうとしていた。


「んー……、なんでだろー」

「おまっ、またお前が突っ走ったんじゃねーのか? ま、お前さんも落ち着けって、な?」

『俺は今コイツと話してるんだッ、どいてくれ』

「おいおいポルカ、こりゃー……相当だな。……ったく、勘弁してくれよ」


 間に入った男が面倒くさそうに言う。その背後で疑問符を浮かべる少女を見ているだけで、俺の腹の中の虫が蠢く。折角の苦労はこの際どうでもいい。何よりも腹立たしいのは成長の為の経験値が奪い去られてしまったことだ。


「あら、どーしたの? 何か揉め事?」

「またやらかしたのかーポルカ?」

「お前等面白がってねーで、そこ開けろ」

「ガキんちょでも拾ったのか?」


 邪魔立てする男を視界の外へ追いやろうとしていると、ボスフロアの入り口で様子を見ていた少女の仲間が集まって来てしまったようだ。


 眉間にしわを寄せている者や、あきれ顔を見せる者、面白半分に野次馬の笑みを張り付けている者、年齢性別も様々であるが、一様に探検者の群れだ。その大所帯、十数名が俺達を取り囲むように集った。


 そうなるまで俺の思考は冷静さを欠いていた。いくら頭に血が昇っていたとしても、この状況が不味いことくらいは理解していた。だが、もう遅かった。矛先は向けたままだ。収めるにも理由が居る。引くに引けない。そう考えては見る物の、落としどころを探るにしても、俺の反発心が邪魔をしていた。


 そんな時、俺を取り囲む人の生垣が割れた。そこに居た一人の探検者が人垣を沸き分ける訳でも無く、自然と割れていく道を通り、ゆっくりと前に出て来る。


 体格の割りに太い腕、逞しい胸板もそうだが、服の上からでも筋肉質な肉体を持つ鈍色の髪をした壮年の男が値踏みする目つきで俺を見る。


 その男は魔槍を恐れることも無く俺と少女の間に割って入り、俺の方へと歩み寄る。そして、


「……どうした坊主。うちのもんと何かあったのか?」


 渋みを感じさせる掠れた声で言う。鈍色の髪の男は、俺に対して凄むつもりでは無いのだろうが、並々ならぬ存在感を放っていた。


 なんと言えようか、その男から犇々と感じるのは、強者の風格だった。俺の構える魔槍に対して、この男は一切の警戒もしていなかった。


『……俺が、戦ってる最中に、……コイツが横から獲物を分捕ったんだ』


 魔槍を支える腕を降ろし、鈍色の髪の男に事の発端を話す。


 怯えるべきか怖気づくべきか、本能の囁きに耳を傾けて、言うべきか言うまいか、一瞬の迷いはあったが、この状況で引こうが引くまいが変わりない。俺の血の気が引いて少しばかり冷静になったとしても、もう遅い。この大人数であれば、好きなようにされてしまえるのだから。


「……なるほどなあ。……ポルカ、このボウズの話は本当か?」

「あー……団長。……えーと、この子が、怪我してて、危なーいって思ってー……」

「そんな大した怪我、してねーだろが。……ギリッギリに苦戦してたのか? 状況を良く見たか?」

「……そう思ったの、そう思ったらー……突っ込んじゃッ、痛たァーッ!?」


 固唾を飲んで二人のやり取りを見ていると、団長と呼ばれた鈍色の髪の男が、ポルカと言う少女が話し終える前に、突如、その頭に拳骨を振り下ろしていた。


「……はぁ、……ボウズ、善意とは言え迷惑を掛けちまったみたいだ。……赦してくれ」


 涙目になり蹲るポルカを余所に、男が俺に向かって頭を下げた。最悪の状況を想定していた俺は、その潔さに呆気を取られてしまう。


「ポルカ、蹲ってねーでお前が謝れっ、ほれっ、すみませんでした、だ」

「す、すみませんでしたー……」


 少女は頭を摩りながらも腰を曲げて謝罪の形を取った。長い金髪の毛先に着いた銀色のヘアアクセサリーが跳ね、揺れるほどに深くお辞儀しているのを見れば、俺はなんと愚かで、なんと心の狭き男かと言う感情が湧き起こり、怒りの感情など消えてしまった。男と少女のその行動が、俺のさもしい姿を映し出す鏡のように見えたのだ。


『……あの、……こちらこそすみませんでした。助けようとしてくれたんですね。それなのに俺は怒鳴ってしまって、その……、すみませんでしたッ』


 頭を上げたばかりの少女に向けて、今度は俺が頭を下げる。


「いーよ、ワタシは気にしてないし」

「ったく、お前はよぉ。……いいかポルカ? 獲物を奪うのは探検者としてマナー違反だからな」

「うん、あ、はーい。次から助けていいか、聞くようにするよー」

「……はぁ、まぁそれで良い。……そんで、なぁ、ボウズ。……もし俺等が悪党の一団だったら死んでたぞ?」


 ポルカへ呆れ顔を見せた男が俺の方へと向き直ると厳しい表情を見せてそう言った。


 じっと動かぬ灰色の瞳で俺をどう見定めているだろうか。馬鹿で純粋、愚かな正直者、阿呆な子供というところだろう。そう思われていても無理もない。俺自身、そう思う。諭す優しさを持ち合わせているこの男の一団でなければ、どうなっていたことだろう。


 ダンジョン内では力が物を言う。訳、理由、都合、法律、そんなものは力の前では無に等しい。罪に問い、罰を与えるのも力である。何をしようとも、何をされようとも、力無くば何事も通らぬ話だ。弱肉強食の摂理が分かりやすい形で現れるのは、モンスターであっても、人であっても同じこと。それこそがダンジョンの道理なのだ。


 自らの未熟さを見つめ直し、俺が頷きを一つ返すと、それ以上は語る必要が無いと思ったのか、男は肩を軽く叩くに留まった。


「ドロップはこの子に」


 俺が足元を見つめたままいると、視界に魔石が入り込んで来た。ボスドロップを態々拾ってくれたのだろう。伸びた手を伝い、魔石と男の顔を交互に見れば、何も言わず顎で受け取るように催促される。


『いいん、ですか? ……あっ、ありがとう、ございます』


 魔石を掌に押しつけられるようにして手渡される。その優しさが今は心苦しく思えた。顔色を伺って見たのも、その気まずさからだ。その行為さえも、恥ずかしく思えた。


『……すみません』

「ボウズはよぉ、何に怒ってたんだ? 正直に言って見ろ」

『その、経験、……成長の機会が、……奪われたから、です』

「なるほどな。……だから、喜ばねーんだな」


 男の問いに答えを返すと、男は眉を顰めて言う。そして腰のポーチから取り出した巻紙煙草に火をつけて、一息吸い込み、静かに煙を吐き出した。周辺から聞こえてくる会話も、その男の耳には入っていないようだった。


 昇る煙の匂いを感じてはいたが、その行方を目で追うことはない。今の俺は俯いている位の方がお似合いだ。男の落とした灰が地面に落ちた。微かな風に崩れ行く灰を眺めていると、


「……フゥーッ、……なら、こういうのはどうだ? ポルカと一戦交えてみるってのはよ」


 男が唐突にそう言った。その瞬間、囃し立てる声があちらこちらから聞こえて来る。面白がって冗談を言っているのだろうと、戸惑いながらも目の前の男を見ると、その表情はどうやら冗談ではなさそうだった。


「ワタシがこの子と戦うのー?」

「おう、ボウズが戦いたいって言うならな」


 呑気な会話を終えるとポルカの瞳は真っ直ぐ俺を見る。俺が答えを返そうと口を開いた時、横合いからフードを降ろした一人の女性が俺達の間に割って入って来た。


「ウエストっ! ダメダメダメっ! 絶っ対っ、ダメよっ!」


 男の胸に指を突き立てて説教を始めた女性はエルフのようだ。容姿端麗、雪のように白い肌、それに尖がった長い耳を持つファンタジー御用達の長寿種族だ。


 ともあれ、どうやらエルフの女性は、そうすることに反対のようだ。ウエストと呼ばれた男が団長命令だと言えば、エルフの女性が副団長権限を行使すると言って反発していた。


 ポルカと俺を蚊帳の外へと追いやり、二人は何やら揉めているようだった。野次やら外野からの意見を睨み一つで黙らせてしまうあたり、このエルフの女性には団長のウエスト以外、頭が上がらないのだろう。そう考えながらも、話し合いが落ち着くのを待っていると、落ち着くどころかエルフの女性の声が徐々に大きくなっていく。


「アナタ何考えてるのよっ! そんなのいくらなんでも無茶だって言ってるでしょ! ポルカの制御が効かなくなったら死なせてしまい兼ねないわ! それに、こんな小さな子に何が出来るのよっ!?」


 エルフの女性の怒気混じりの声が聞こえて来た。


 確かに俺は非力かも知れない。このエルフの女性が俺を見たままに、そう言ってしまうのも無理はない。それは至極真っ当な意見であり、癪に思うことも、鼻につくことも無い。そう言われても、ムキになることも無い。だけれども、俺の答えは決まっていた。だから潰えてしまう前に、気持ちのままに答えを出すことにした。


『戦いたいです』

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