第29話

 昼食でも食べてから必要な物を買い揃えに回りましょう、と言うカノンの言葉が頭の中でリピートしていた。


 約束した時のカノンの笑顔を思い出してもいたが、その時のカノンの表情が徐々に不穏な物に変わっていくのは俺の悪い妄想であるだろうが、想像すればするだけ恐ろしく思えた。


 兎にも角にも急いでギルドの在る中央広場まで辿り着いたはいいが、既にその方向を見ればギルドの前で、カノンが腕組をして待っている姿が視界に入った。俺と目が合ったカノンは微笑む。


 微笑んではいるが、何とも言い難い雰囲気に俺は謝罪の言葉を口にしてから挨拶をする。だがしかし、首を傾げるカノンの目は笑っていないように思えた。


 何事も無いように振舞うカノンが放つ空気感は冷たかった。御馳走すると打診して見ても何処か素っ気ない。無言の圧力を犇々ひしひしと感じるのは気のせいではないのだろう。俺は、なびく髪の毛の隙間から見えるカノンの横顔ばかり追っていた。


 そうして遂に、何でもとは言わないまでも、お願い事を聞くと口走ってしまった。するとカノンの口角が吊り上がると同時、機嫌が一転した。それを見た俺は悪魔に魂を売ってしまったかのような後悔が後から沸いて出る。


 よくよく考えて見れば言わされてしまったのだと気付いたが、言ってからでは遅かった。何を強請ねだられるのか、どんな目に合わされるのか、不安に思って聞いて見ても、何一つ教えてくれない。唇に人差し指を這わせ、内緒、と一言、片目を瞑ってあざとく言うだけだった。


 不穏な空気感を孕ませたまま食事を取り終えた後は、予定通りにカノンと共に商店を回る。まずは防具をカノンの勧めに従い、ファッションセンスも加味して選んでもらうことにした。


 俺の要望を店主に伝えて勧められた中で、良さそうな深緑色の革のジャケットがあったのだが、横にいるカノンの顔を見れば、それを着た俺と一緒に歩きたくなさそうな顔を露骨にしていたから任せることにしたのだ。


 言われるがまま、渡されるがまま試着して、結局、無難な黒色ベースに落ち着いた。もちろん防御力や耐久性を考慮して選んでくれてはいる。


 モンスターの素材で編まれただとか、どの部位の革を使っているだとかの説明を聞いて見ても分からなかったが、それなりに良い物だと言うカノンの言葉を信じることにした。


 それから、ジャケットにインナー、ズボンにブーツを試着して、姿見の鏡で身を振りながら見ていると、横から店主が試してみるかと聞いて来た。


 既に試着していると言うのに、何のことかも分からずにいると、店主はロール型のペンケースのような物を取り出した。巻きを開いた中には、小さなナイフが幾つも並んでいた。


 同じ形のナイフは、一つ一つ鍛錬具合や素材が違うらしい。店主が言っていた試すとは、試し斬りの事らしい。この装備の強度がどの程度かを見る為に、切れ味の違うナイフで同素材の端切れを切ってみて、傷が付かないか、切れてしまわないかを見るそうだ。その後、今着ている装備でも試すのだ。


 どの階層までならこの装備で十分だと言う店主からの説明を聞きながら、一つ一つナイフで確かめていく。突如、浮気された女を演じ始めたカノンが“刺す”と言った時には血の気が引いた。鬼気迫る演技力も相まって相当に恐ろしいものを感じた。


 結局、刺されはしなかったが“冗談”と取って付け加えたように言うカノンの冗談は、まったく洒落になっていないように思える。もし俺が別の担当と契約すると言えば、そうなる未来を想像してしまった。


 俺は震える手で替えの肌着含め、防具の代金の支払いを済ませると、カノンがまたすぐに稼げるわ、と見当違いの慰めの言葉を掛けて来た。軽く返事をしたが、声が上擦っていたはずだ。


 防具屋から出ても、カノンの振る舞いの意味を考えてしまっていた。裏を返して、深読みしたのか、はたまた本当に何の気なしにカノンがやっていたのか、と。俺がそうしている内にも、気が付けば魔法道具屋に着いていた。


 ここで購入するのは念願の魔法のアイテム収納鞄だ。腰に付けるサイズだと言うのに、大きめのリュックサック位の量が入る物があった。時間停止機能が付いている物や荷車並みに持ち運べる物は、相当の値段がついていたから手に取ることも出来なかった。今は小さいベルトポーチタイプしか買えないが、それでも入れた物の重量を気にしなくても良いというだけで有難い。十分に買う価値がある。


 その他には、曖昧な時間しか分からない時計と、片手持ち用のピッケル、ロープ、空気を持ち運べる風晶石やらを揃えた。調理器具や寝具も欲しいには欲しかったのだが、まだ一緒に昇るパーティーメンバーも居ない俺には早いようにも思えたから今回は諦めることにした。


 次に雑貨屋、薬屋を回り、日持ちする食糧数種、干し肉や乾パンにナッツやドライフルーツが練り込まれている物や塩、体力回復ポーション、解毒薬、止血軟膏と止血布などの医療品を買い揃えた。


 体力回復ポーションは見る見るうちに傷が癒え、飲んだ瞬間から動き出せるように思っていたが、そうでもないらしい。効果はそれなりにあるらしいが即効性は薄いようだ。つまりは自然治癒力を高め、徐々に体力が回復するタイプだ。値段は張るが、命を守る為と助ける為にも3つ分購入した。


 店を回る度に、金貨が十枚単位で目減りして、最後の店を出た頃には、財布を振れば金属音が微かに鳴る程度になってしまった。それでも後悔など一切なかった。準備が整ったことによる喜びの方が大きい。


 ダンジョン用の準備品とは別に、母さんへの口紅、ゼルとリナの洋服とゴミ漁り用の手袋も買うことも出来て、プレゼントした時のことを思えば気分も上々だ。


 そしてカノンとの別れ際、内緒で買った薄紫色のストールをプレゼントした。ストールを買ったこと自体はバレてはいるが、それがカノンへの贈り物だということは言わなかった。これもカノンの意見を参考にして、試しに着用してもらって、似合っているかどうか確認してから購入したのだ。


 カノンの肩には先日の傷、俺が魔槍で付けた傷が残ったままで、カノンは肩口のあいた洋服を着て隠すこともしていなかった。気にしていない様子ではあったのだが、俺を気付かってそう見せないように振舞っているのかも知れないと思い、購入を検討したのだ。この世界では探検者でなくとも傷跡のある人も多いとは言え、目立つ傷を隠したい時もあるだろう。嫁入り前の年頃の乙女であれば尚更だ。


 薄紫色のストールを受け取ったカノンは、目を真ん丸にして驚いていた。いつものお道化た様子は何処へやら、はにかむカノンは少女のようにさえ見えた。


 カノンはストールを首に一巻きし、俺に似合うかどうかを聞いて来たのだが、思いも寄らぬ小洒落た着用方法だったからか、俺は少しの間、呆気に取られて何も言えなかった。


 女性らしさが増して、とても似合っていた。だけれど、俺が驚いてしまったのは肩の傷を一切隠していなかったからだ。長い髪の毛の下から覗く、薄紫色のストールが良く映え、眼の色とも相まってとても魅力的に思えた。


 傾げる首の角度も、態わざと左側に流したストールも、敢えてそうしたのだろう。似合っていると言う言葉の前に、俺は動揺から視線で物を言ってしまっていたようだ。その視線に気付いたカノンは、傷跡に手を添えて、これも“お気に入り”と言って笑って見せる。


 その言葉に唖然としていれば、カノンが似合っているかどうかを聞いて来た。余りに近くまで、詰め寄ってくるもんだから、俺は似合っているとしか言えなかった。


 どこまで計算高くて、あざとくて、それになんて狡いのだろう。


 俺はカノンと会う度に仕方ないと思い、命の代償だと考えるようにしていたが、それでも腑に落ちない物があった。


 カノンの言葉が、本心か嘘か、なんて俺には計れない。


 だけど、この笑顔に騙されて見るのも悪くないと思えた。


 ダメ押しに、ありがとう、と言われてしまえば、もうお終いだ。


 出会ったばかりだから振り返るにはまだ早いのかも知れない。折角、出会ったのだから、これから先のことを考えよう。一先ずは明日のことから始めよう。そう思うことにした。


 だからだろうか、カノンと別れた後、俺はダンジョンのことばかりで頭が一杯になってしまった。


 あまり深く考えないように我慢していたのだが、明日のこととなれば考えない訳にもいかない。もちろん、この準備期間の内に情報を集め、精査し、予習も復習もした。だけれども、準備が整うまでは昇れないのだから、切り離して考えるようにしていたのだ。


 誕生日の前日を思い出した。初めてダンジョンに足を踏み入れるという期待感から寝つきが悪かったのだが、今日もまた同じように瞳を閉じれば、ダンジョンの光景が広がっていた。目で見た光景、その先を想像し、考えないようにして、何度も寝返りをうって誤魔化した。


 何処までが空想で、何処からが夢か、目覚めた時には朧気にしか思い出せなかった。


 朝を迎えたと気付けば飛び起きて、そして慌しくも朝支度を済ませ、探検者装備に身を包む。いつもより多めの朝食を前に旅支度の確認をしていると、ゼルとリナが収穫物を抱えてやって来た。


 昨日得た二人の取り分を支払い、着替えと手袋を渡してから、風呂を沸かしてやり、綺麗になった二人と共に、皆で食卓を囲んだ。今日以降は俺がダンジョンへ昇る日はこのルーティンになるだろう。だけれども今日は少しだけ特別だ。朝食を取り終えた後にお披露目会が始まってしまったからだ。


 俺は装備を、ゼルとリナは洋服を、母さんは口紅を、一人ずつテーブルの横に立っていつもと違う姿を披露して、一回り、そうすれば皆が揃って拍手を送る。そして最後に、皆から改めて感謝の言葉が送られ、何とも言えぬ気恥ずかしさの中、お披露目会が締め括られた。


 それから全員で家を出て、ログの酒場の前で別れた。皆の応援を背に受けた俺の道行く足取りは軽く、中央広場へと向かう人の流れを追い越していく。


 そして周りの人には聞こえないだろう声量で、行ってきます、と小さく呟いてから俺は再びダンジョンへと向かう為にゲートに乗った。

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