第9話
『帰って来たー……』
「……君ッ、大丈夫か? 怪我は……大したこと無さそうだな」
ゲートの上に佇んで、見知った風景をいつもとは逆側から眺めていると、今朝と同じ、受付係の憲兵が俺を見て駆け寄って来た。
何も悪いことはしていないはずだが、突然憲兵が駆け寄って来て戸惑っていると、憲兵は俺の身体に触れて怪我が無いかを確かめ始めた。俺の事を心配してくれていたのだと分かり、ほっと一安心、息をついてから簡単に説明する。
『……あー服が破れてしまって、すみません』
「うむ……服だけで良かったな。……無事で何よりだ」
憲兵はお辞儀する俺に言葉を掛けてくれた。鋭い目つきで、厳しそうな表情だから、怖そうな人かと思いきや、今朝も思ったが、やはりこの憲兵さんは優しい人なのだろう。
『あ、ありがとう、ございます。それじゃギルドへ行くので失礼します』
「……うむ」
憲兵さんに会釈をしてゲートを離れ、換金する為に近場にある探検者ギルドへ向かう。ギルドに入る前に居住層の天上の光を見ると、まだ夕方頃だということが分かった。茜色に染まる前の空の様な色合いの光を放っている。母が仕事を終えるのは夜を迎える頃だから、時間はまだ少しある。
母が仕事を終える前に、換金して、服を買って、身体を綺麗にして、とやるべきことは多いが、まだ間に合うだろう。
そう考えながら、ギルドの中に入ると受付カウンターの前には探検者の列が出来ていた。俺も適当な列に並んで、受付嬢が手を上げる姿を横から眺めながら、前へと進んで行くのを待つ。
しばらくして探検者の他愛のない会話に耳を傾けているのにも飽き始めた頃に俺の番が回って来た。
「“お次の方”どうぞーっ」
立ち上がり、手を振る受付嬢の声が聞こえ、カウンターのすぐ傍まで行くと、その受付嬢が手を差し伸ばして来た。
『……えっと、こんにちは。……よろしくお願いします』
その伸ばされた手を握り、握手を交わしながら挨拶をすると、受付嬢の大きな目が真ん丸になり、口を半開きにしてから、
「ふふっ、こちらこそ“よろしく”ね。……じゃあ、登録証をお願いします」
笑われた。受付嬢は空いた方の反対の手で口元を抑えていた。俺は間違った事に気付いてすぐに、慌てて手を放し、首から下げた紐を千切らんばかりに登録証を取り出して受付嬢へと渡した。
誤魔化そうにも、赤くなっているのが自分でも分かるほどに、耳と顔が熱を帯びてしまっていた。こうなれば隠せはしないが、恥ずかしさの余り、俯く事を選んだ。
「オーエン君ね? 今日は“どうしたの”?」
『か、買取、と、鑑定を……』
名前が呼ばれたのが効いたのか、喉が詰まり、消え入りそうな声しか出なかった。そして俯いたからか、今までそれほど意識していなかった、上半身裸の姿が恥ずかしく思え、更に俺の心へと追い打ちをかけた。
「じゃあ買取品から出してくださいね。鑑定は“詳しく見るのなら”時間と費用が掛かるけどいい?」
『あ、じゃあ……買取だけで』
一刻も早くこの場から去りたいと言う気持ちに負けて、鑑定を諦める事にした。カウンターの上に申し訳ない気持ちで、薄汚れた荷物を取り出して広げると、受付嬢は慣れた手つきで、魔石を纏め、植物類、モンスターのドロップ品を種別に分けた。
「魔石が金1枚、薬草が金1枚、ドロップ素材が銀8枚で合計“2万8千ウィル”です。より詳しい内訳を求めますか?」
『いえ、それで買取を。……はい。ありっ、がとう、ございます……』
「はいっ、“また”よろしくねっ」
カウンターの上に並べられた硬貨を引っ掴むようにしてギルドから飛び出す。ポケットにしまう時間も惜しいと硬貨は握りしめたまま商店のある方へと走る。その間も、やってしまった、次からどうしよう、と言う後悔の念を抱いたままだった。
馴染みの店の前まで着いた頃には、あの受付嬢の最後の言葉を思い出し、あれは意地悪だと思い返せるまでになっていた。落ち着いてから掌を開き、握りしめたままだった硬貨を見る。
『これが、今日俺が稼いだ金か』
10枚の硬貨が掌で煌めいて見えた。ウィルは単価名称で、銅貨は十、鉄貨は百、銀貨は千、金貨は万、大金貨十万の価値になる。2万8千ウィルと大した稼ぎでも無いが、俺がこの世界で初めてダンジョンに昇って、初めて稼いだ金だった。
『とりあえず、服だな』
店の前で佇んで感慨に耽っていても仕方ないと思い、馴染みの服飾店の扉を開けて入る。此処へは母と共に来た事しか無かったけれど、母が言うには安くて庶民的な服を扱っている店らしい。
店に入ると店主が声を掛けて来てくれたから、肌着を一枚見繕ってもらうことにした。サービスだと言って手渡して来た水を含ませたボロ布で身体を拭いてから袖を通す。麻の様な荒い生地の肌障りは決して良い物だとは言えないが、慣れた着心地に安心感を覚える。
銀貨5枚の支払いを済ませて、礼を言って店を出ると、天井から突き出た水晶は、夕暮れのような色合いへと変わっていた。
やるべきことは済んだことだし、母の待つログの酒場へ向かう。まだ母の仕事が終わる時間でも無いが、気が付けば駆け足になっていた。
間に合ってよかったと思いながらも、早く安心させて上げないと、という使命感の様な気持ちが、俺の身体をあっという間にログの酒場へと運んでくれた。
店の前に着いた俺は、早く入ろう、と思うが、何故か店の前で立ち止まり、心の準備をしていた。
そして深く息を吸って、母さんの顔を思い浮かべながら木の戸を潜る。いつ見てもこのログの酒場が客で混雑しているのを見た事が無い。
それなりの客足はあるようだが、店自体それ程大きくもなく、空席も目立つことから見通しが良い。店の中に入ってすぐに、働いている母の姿を見つけた。
『母さんっ、ただい――』
「オーちゃんッ!!」
『がぁざん……ぐ、ぐるじぃよ……』
母に、ただいまの挨拶をしよう、と声を掛けるや否や、駆け寄る母に抱きしめられていた。身動きも取れず、視界を奪われ、息をするのも苦しい程に抱きしめられる。それだけ心配を掛けたということだと分かっていても恥ずかしさから逃げ出そうとしてしまう。
『がぁさんってばっ、恥ずかしいからっ、放してよ』
「ケガしてるじゃないっ、大丈夫? どこが痛いの? 良く見せてっ、ほら此処に寝て」
『母さん大丈夫っ、かすり傷だからっ、落ち着いてっ、落ち着いてってば!』
俺から少しばかり離れたは良い物の、頬に出来たかすり傷を見つけた母が血相を変えて、俺の服をまくり上げて傷が無いか確かめ始めた。
抵抗する俺の言葉が聞こえていないのか、過保護な母は客が居ないのを良い事に、目の前のテーブルの上へ寝るように言うのを必死で抑える。暴走する母を放って好き放題させていたら、手術でも始め兼ねない勢いだった。
『母さん大丈夫だからっ、心配かけてごめんね? ほらっ元気元気!』
「ほんと? 昔みたいに隠してない? オーちゃんに何かあったら母さん死んじゃうっ」
『隠してないっ! 大丈夫ですっ! だから簡単に死ぬって言わないでっ!』
呆れるほどまでに母は心配性で過保護だが、今日はいつにも増して母性本能に磨きがかかっている。今も仕事中なのにも関わらず、仕事を放り出してまで息子に疑いの目を向けているのは、幼少時に怪我を隠して大熱を出した過去があるからだ。
過保護に拍車をかけるようになってしまったのもそれからだろうか、つまりは身から出た錆が元なのだが、此処までになるとは思いもしなかった。今では、どうしたものかと困らせられることも多い。
「おうっ、オーエンお帰りっ、おめーの母ちゃんずっと心配させてたんだから、ちったぁ甘えさせてやれよ」
「もやしっ子が少しはマシな顔つきになったんじゃねーか? つっても今は芋イモ見てぇだけどな」
「ガハハッ、ママにただいまのチューはいいのかぁーっ?」
『うるせーっ! しねぇーよッ! 飲んだくれは黙ってろよっ! ……って、母さん! 流石にしないよっ!』
奥の席から飲んだくれ共の野次が飛んで来るが、それに負けじと言い返す。酒の充てか、余興か何かと思ってるのか、騒ぎ立てては面白半分に母とのやり取りを茶化してくる。これは最早、恒例行事と言っても過言では無かった。
ログの酒場は俺に取っても馴染みだ。なんせ母が生まれたばかりの小さいころから、俺を背負って働いていたのもあって、父親や兄貴気取りの鬱陶しい飲んだくれも多い。
店主のログさん含め、家族までとは言わないが、それに近しい間柄ではあると言える。だから、俺たちの事を古くから知り過ぎている奴らが多いのだ。
「おぅおぅ! オムツ変えてやった恩を忘れたのかーっ!? 今返せッ、今ッ!」
「オレの腕の中でミルク飲ませてやってたのになぁー、すっかり大きくなりやがって!」
「良くミルク吐き出してたくせによぉー! 今じゃ悪態まで吐くようになったのかー!?」
『うるっさいな! 黙ってエール飲んでろっバーカ!』
三人組が俺の反応を見て笑う。そうしてエールの入ったジョッキを打ち合わせて何かを成し遂げたかのように乾杯するのが腹立たしい。
顎髭のゴーティ、口髭のアンカー、無精髭のスタブル、このむさ苦しい見た目の三人組は探検者だが、いつもログの酒場に居てちょっかいを掛けて来る。
「お前等はいつもはしゃぎやがって、静かに……してろッ!」
「痛っー! なんでオレだけっ!」
「うるせぃ、文句があんなら出てけっ!」
「くっそー……、今日はオレかよぉ……」
ログの酒場店主自らが、髭面三人組のテーブルへと料理を運ぶ次いでに、俺に代わって鉄拳制裁をしてくれた。
強面のログさんは筋肉質で体格も良く、元やり手の探検者でもあって、この店の常連でも逆らえる者などいない。だけど、見かけによらず気は優しく、面倒見のいい人でいつも世話になっている。俺と母さんの恩人だ。
「ニーテ、今日はもう上がっていいぞ」
「ログさんほんとに? いいのっ?」
「あぁ、この後があんだろ?」
「やったーっ! ありがとログさんっ、じゃあオーちゃん着替えて来るから待っててっ」
それとログさんは気が利く人だった。普段ならまだ働いている時間だけど、今日は母から話を聞いていたのか、早上がりさせてくれるらしい。飛び上がって喜ぶ母が着替えにカウンターの奥へと消えるのを見送ってから、ログさんは俺の方へと近づいてきた。
「んで、オーエン。ダンジョンはどうだった?」
『楽しかったっ! 今日は15階層のボスまで行けたよっ!』
「おまっ、初日でそんなとこまで行ったのか? あぁ……そりゃ、ニーテが心配する訳だわな」
やれやれと言った様子で、ログさんは手を頭に当てて呆れていた。20階層くらいまでなら駆け出し探検者の範疇だし、それほど危険を冒したつもりも無かったのだが、流石に初日では昇り過ぎだったようだ。この反応を見るに母には言わぬように、内緒にすることに決めた。
「5階層位で遊んでると思ってたんだがなぁ……あんまり無茶すんなよ? おめぇの母ちゃん朝から心配しっぱなしだったんだぞ? それに生きてりゃ好きなだけ昇れんだからよっ」
『うん、分かった。つい楽しくて、……ありがとう、って、強い強いッ』
諭すように話すログさんが、節くれだった手で俺の頭をグリグリと押さえ付けるように撫でてくる。
力加減が馬鹿になっているのか、折角、成長し始めた身長が縮んでしまう、と思うほどに強い。身を任せてたら潰されかねないと思い、無理矢理その手から抜け出すと、横でそれを見ていた髭面三人組が声を掛けて来た。
「よう、坊主っ、んで戦利品はどうだったよ? 良いもん出たか?」
『一個は使い方分かって便利だったんだけど、他は良いか分かんない」
「どれっ、俺に見して見ろっ、目利きしてやらぁ」
『ログさん【鑑定】出来たんだ!? んじゃこれと、これと、これ、お願いします』
「【鑑定】のアビリティ程じゃねーぞ、それが何かってくらいは分かる程度のもんだ」
物知りだとは思っていたが【目利き】なるアビリティをログさんが持っているとは、思ってもみなかった。
俺は驚きながらも、逸る気持ちに従ってアイテムを取り出していく。テーブル上に置いたアイテムを、大の大人が頭を突き合わせて食い入るように見ていた。それをログさんが一つ一つ手に取って【目利き】していく間、髭面三人組が、一つのアイテム、針みたいな物を手に取り、物珍しそうに眺めていた。
「なぁんだコレ、爪楊枝か?」
「他二つはオレ等でも、何か分かっけどなぁ」
「爪楊枝ー? おぅ丁度良かった、オレに貸してくれぇーぃ」
『あっ! バカっ、ヤメろっ!』
針みたいなアイテムを無精髭のスタブルが手に取り、髭塗れの口へと運ぼうとした。手を伸ばして取り返そうとしたが、巧みに避けられてしまう。間に合わないと思ったところでログさんの鉄拳制裁がスタブルの頭に落ちた。
「痛でッ! くそぉー今日、二発目じゃねーか……」
『助かったー……ログさんありがとう』
「馬鹿が、人のもんを勝手に口に入れようとすんなっ! おめぇは野良犬か」
ログさんが、無精髭のスタブルからアイテムを引っ掴むようにして取り上げる。そうして、光に翳すように【目利き】してくれている中、じっと待つ。
髭面三人組が見た事もないアイテムだと聞いてから、もしかしたら良いアイテムなのかも知れない。そう期待感が胸の内で湧き上がっていた時だった。
「……こらぁ、魔剣の種だなぁ……」
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