第8話
『……結局、流れるままに着いちまった』
そして今、俺は聳え立つ白い門を眺めて呟いていた。本日三度目のボスフロアを目の前にしている。悩む素振りを体よく見せては見るが、どうするもこうするも、目の前まで来てしまえば同じだった。
『行って、帰ろう』
そっと扉に触れて、開くのを待つ。ボスフロアを隙間から覗くと、見知ったモンスターの姿が見えた。ゴブリン、ホブゴブリン、オーク、トロルと、それはまさに聞いていた通りだった。徐々に開かれる扉の先には複数のモンスターが隊列を組むようにしている。それも下層で見たモンスターとは様相が違う。
ゴブリン4体の内、杖と弓持ちが2体ずつ、ホブゴブリン4体の内、剣と槍持ちが2体ずつ、オーク2体は戦斧と戦槌が1体ずつ、トロルは丸太で出来たような棍棒を持った者が1体、計11体が隊列を組んでいた。後衛のゴブリンは大きく広がり、前衛のホブゴブリンが前に出ており、その後ろにオーク、次いでトロルという陣形だ。
だけど、この陣形はあまり意味が無いらしい。どのモンスターも指揮を執ることもせず、ただ好き放題に暴れ回るから、同士討ちや仲違いのようなことも見られると言う。そうして馬鹿だからと侮っていると痛い目を見る羽目になるから気を付けろよ、と念押しされた事を思い出す。
気を付けねばならないのは、デカブツ等に囲まれないようにするのはもちろんだが、それと出来るならゴブリンから倒した方が良いという当たり前の考えだ。なんせこのフロアのゴブリン等は逃げ回るらしく、捕まえ損ねると遠距離から攻撃を仕掛けてきて、厄介な立ち回りばかりするらしい。
飲んだくれ探検者からの情報を聞いていても、このフロアではモンスターの動き次第で結果が大きく変わるだろう。状況に応じて場当たり的に立ち回る必要を考慮しなければならない、と考えれば、なんだかこれまでの経験を試されているような気がしないでもない。
『……試練って感じだなっ、【スロウ】【ファスト】』
いつものように魔法を発動させ、部屋に入ってすぐにドロップ品の詰まった荷物を邪魔にならぬ位置にまで投げ飛ばす。軍勢はまだ動き始めたばかりで、接敵するまでに距離があった。ポケットに入れていた石ころを一掴み取り出し、射撃体勢に入ったゴブリン目掛けて投げ散らす。
目にも止まらぬスピードまでは行かぬだろうが、それ相応の速度で飛び行く石礫を避けられずにいた左側のゴブリンから怯んだ声が上がった。右側のゴブリンからは遅れて弓矢と火の玉の魔法を放ったのが見える。放ってすぐ偏差を加味した攻撃だということを理解しつつ、飛んでくる方向を予測して避ける。獲物が何処を向いているか、飛び進む線を【スロウ】で見極めれば避ける事など容易い。
『一体目ッ、遅いッ……次ッ』
槍を構えたまま突っ込んで来たホブゴブリンをすれ違い様に打ち取る。その流れで、剣を振るうホブゴブリンの攻撃を避け、お返しに一撃与えてから第一陣を抜ける。教えられた通りにゴブリンから潰していく算段だ。勢いそのままトップスピードで駆ける。
「グゲッ……ゲ?」
「ゲゲッ! ……ゴ? ゴブゥッ」
俺が突如スピードを上げ、ゴブリン達のすぐ目の前へと躍り出る。俺が急接近した事に、ゴブリン達が驚いている内に、急所目掛けてダガーを振るう。すると、2体のゴブリンは俺がその場を離れた後に、自分が切られたという事実を確認してから、地面へと身体を打ち付けるようにして倒れた。
『お前等はッ――後だッ』
素早さが完全に上回っているからこそ出来る動きではあるが、オーク2体とトロルの間を駆け抜ける。突然飛び出して来た俺からゴブリンが慌てて逃げようとしている背にダガーを突き立て、抜いた勢いのまま隣に居たゴブリンの首ヘとダガーを振り抜いた。すぐに後ろを振り向くと俺を狙っただろうトロル鈍重な一撃がオークの一体へと直撃しているのが見えた。
圧倒的質量に負けて吹き飛ぶようにオークが仰向けに倒れ込んだ先にはホブゴブリンが居た。立ち止まろうにも、駆ける勢いを殺しきれず、たたらを踏んで慌てていたホブゴブリンの一体がオークの下敷きになってしまい、残すところは、手負いのホブゴブリン含め2体、オーク2体、トロル1体になった。
考えていた手順とは違うが、好機が現れた事を見逃さず、仰向けに倒れたオークの胸に飛び乗り、喉元へとダガーを突き刺し、切り開いてから飛び越える。
跳躍を目で追おうとするホブゴブリンは見当違いの方向を見ていた。【ファスト】が作用していなければその位置であっているのだが、それにホブゴブリンが気付いた時、既に俺はホブゴブリン一体の懐へと潜り込んでいた。
鳩尾みぞおちにダガーを右手で突き入れてから、空いた左手で右腕を押し上げ、蹴りを見舞う。蹴りで押されたホブゴブリンの身体は、手負いの剣持ちホブゴブリンに衝突し、体勢を崩させた。
手負いのホブゴブリンは既に絶命している死体を受け止めてから払い除けようとしていたが、死体が邪魔となり死角を生んでいた。低い姿勢のまま駆け寄った俺は、剣を持つ逆側に回り込んで、ホブゴブリンの脇腹へダガーを差し込む。
「ゴ、……ホブゥ」
ホブゴブリンは口から血を吐き出し、死体と折り重なるように倒れた。そして首尾よく物事が進み、後は俺とトロルの一騎打ちのみとなった。俺がホブゴブリンと戦っている間に、途中で起きた事故が原因でトロルとオークが争っていたのだ。トロルの方も残ったオークを打ち据えるのに飽きたのか、俺の方へと鈍重な足音を響かせて来ていた。
『気が済んだみたいだな、んじゃラストバトルだッ、行くぞッ!』
掛け声と共に、トロルとの戦闘が始まった。人間とゴブリンを合わせて巨大化させたような見た目で、浅緑色のくすんだ肌、全身ゾウのように分厚い皮膚、脂肪を蓄えた肉感と弛たるんだ腹、にやける口元から見せる歯は黄色く、折れて欠けて抜けて穴が空いて涎が零れだしている。
その見た目通り、ダガーを突き刺しても皮と脂肪に邪魔されて大したダメージを与えられない。それがなんせ厄介で、トロルは体力の多いモンスターというゲームのイメージと合致している事だ。再生力もその通りなのか、血が滴っていてもすぐに止まる。流石に腕をきりっぱなしても、すぐに生えてくるほどの再生力は無いだろうけれども。
骨が折れるとはこの事だと初めて相対した時、そう思った。ダガーしか有効な攻撃手段が無いにも関わらず、非力な俺では命に迫る程の一撃を与えられない。背の低い俺は飛んでもトロルの胸元辺りまでしか手が届かない。頭を狙うしかないのに、頭までに届かない。唯一の望みは奴が馬鹿で、考え無しな事だけだった。
『ッ、おわっ! 強烈ーッ!』
トロルの攻撃を避ければ避けるうち、苛立ち募らせて棍棒を振るうのも乱暴さに磨きがかかっていく。威力は増してしまうが、冷静に範囲外まで逃げれば当たることも無い。大きく頭上へ振り上げた後に、地面へと叩きつける攻撃が奴の得意とする自慢の一撃だ。足を伝う地響きが、その威力を物語っていた。
『よしっ、それを待っていたッ!』
トロルが叩きつけた棍棒の上を駆け上がる。【スロウ】と【ファスト】のお陰でトロルが反応する前に、棍棒から腕を踏んで、両手でダガーを握りしめ、肩を蹴って重力の力と共に全体重を乗せた全身全霊の一撃を、奴の頭蓋へと突き立てる――
『――どっらぁあああッ!』
確かな手応えを感じた。ダガーを持つ手を握りしめ、揺れる身体をトロルの背中を足で抑えるようにしてから、トロルの巨体が倒れ込んで来るのに巻き込まれないようにダガーを引き抜きつつ背後へと飛ぶ。
『……ボスフロア! クリアーッ!』
巨体が倒れると同時、ボスフロアをクリアしたという確信が声となって出る。これまで多対一の戦闘をすることもあったが、一番の手応えを感じる内容だと思えた。このボスフロアを乗り越えた事で、下層で積み重ねた経験や学びが、成果として表れているという実感を得られた。
『よーしッ、この調子でッ、……あー……、明日ー、からも、うんっ、頑張ろう!』
次の階層がどんなところか、考え始めてからこれ以上、上層を目指せば流石に時間が足りないと気付き、慌てて発言内容の訂正を行った。
気力は溢れているが、疲労は感じるし、魔力も半分以下になっているから、今日は此処までだ、と何だか口惜しさを感じてしまっていた自分自身に言い聞かせる。
『回収して帰ろう。……うん』
放り投げた荷物を拾い、魔石を回収して、宝箱を開ける。すると中には、小さなガラス玉のようなアイテムが入っていた。手に取って見ると祭りの屋台で売られているみたいな飴玉位のサイズで、中には青と赤の丸模様が輝いていた。
『んー……甘くない。……また水晶か?』
念の為、舐めてみたが飴玉でも無く、ひんやりとした冷たさしか感じられなかった。それに飴玉よりも重い。また謎の水晶か、と眺めて見れば青と赤の丸模様が動いたような気がした。確かめる為に振って見るとその模様が揺れ動いた。
『あ、なんだ? 動くぞ。……綺麗だけどーこれ、何の意味がー……』
光を当てて下から覗いてみれば、キラキラと揺れ動く赤と青の丸模様がグルグルと水晶の中で回る。何だか昔こういう玩具があったな、と前世の記憶が思い浮かぶ。そして、模様が動きを止めるのを眺めていると――
『――あっ! これッ、コンパスか!?』
赤と青の丸模様が同じ方向で止まる事に気付いた。上下左右に腕を動かせば、ゲートのある方向へと模様が動く。赤が上層、青が下層のゲートの方角を指し示していた。
『うぉーっ、これはいいもんゲットした!』
便利アイテムを入手した喜びと謎が解けた喜びが合わさり、気分が跳ね上がる。ダンジョンの醍醐味と言えばアイテム収集もその一つだ。
報われたというか、初めて当たりを引いた気にさえなっていた。手に入れてどう使うかも、使えるかも分からないアイテムだと、喜びの感情は、あまり湧き上がらなかった。何だか凄そうだ、とも思えないこれまでの戦利品は鑑定してからのお楽しみというお預け状態だったから、今までで一番喜んでしまった。
『どれ位の価値があるんだろー、早く帰って見てもーらおっと』
売りはしないと思いつつも、とんでもない値段が付けばその心も揺れる。それからも妄想を重ねて、まるで宝くじが当たったらどうしよう、と考えるように期待しては、そんなに甘くないと否定して、冷静さを取り戻そうとしては、緩む頬を抑えるようにしていた。
俺はそんな浮かれ気分を落ち着かせてから、ボスフロアから下層へのゲートに乗った。浮かれて死ねば母を悲しませるし、持って帰らねば何の意味もない、と逸る気持ちをぐっと堪え、安全第一の目標を掲げて帰路に着いた。
目指す方向も、出現するモンスターの癖も分かっているのと、俺自身が強くなったお陰もあり、昇るよりも倍以上のスピードで、ダンジョンを下ることが出来た。
【スロウ】と【ファスト】を使えば、追い付けるモンスターも居らず、速度優先であれば群れの中を突っ切ることさえ可能だった。
そうこう考えている間に、思っていたよりも早い時間でダンジョンの1階層まで降り来た俺は、無事、何の事故も無く、イジメっ子等と遭遇することも無く、街へと帰還した。
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