第6話


 俺は10階層を抜けて、次なるボス部屋の前に立っていた。此処に来るまでに数十体のモンスターとの戦闘を行ったが、危機に瀕することも無く、淡々と昇り続けた。その結果がこれだった。


 【スロウ】のお陰で冷静に対処できるからか、肉体的にも精神的にも余計な体力を使うことも無く、それ故、心にゆとりが出来過ぎてしまうのが難点かも知れないと思えた。


『ちょっと、早すぎるかも知れないけど……やろうか』


 次なるボスの情報を思い出しつつ、留まるか引き返すかどうかの天秤には掛けるには掛けた。道中のモンスターに多少でも手間取るようならボスへの挑戦は先延ばしにしていただろうけど、これ位なら余裕だと思えたのだから仕方ない。俺の感覚に頼る事にする。


『んじゃ、たのもーう……』


 開かれた扉の中には、人型の魔物オークウォーリアーが佇んでいた。豚の様な鼻が特徴の人型モンスターは、革で出来た軽装に身を包み、戦斧を振り回しながら雄叫びを上げていた。振り回すその度に身体からは泥が飛び散り、口からは涎を垂らし、綺麗な石造りの白い床を汚していた。


『ホブよりも、大きい』


 でっぷりと膨らんだ腹もそうだが、ホブゴブリンと比べても横にも縦にも体格が大きいように思える。身の丈は大の大人を優に超える程だ。それに振り回しているのか、振り回されているのか分からぬほどの戦斧の間合いは長く、一撃貰えばひとたまりもない事が伺える。


『なるほどな……、俺の得意なタイプのモンスターだ。……じゃあ、行くぞッ』


 低い姿勢から構えたままボスフロアへと飛び込むようにして入ると、それに応じたオークウォーリアーが重量感のある足音を響かせる。その走る様を見て【スロウ】を使わずとも、動きが鈍重だと言うことが理解できた。


「ブゥモォオオオオッ!」

『遅いッ! ――【スロウ】』


 どちらの間合いからもまだ遠いところで、オークウォーリアーは戦斧を振り上げて、飛び込んでくるだろう俺を打ち払わんとしていた。それに合わせて【スロウ】を発動させると、ヤツの身体から泥が湧き出るように滴り、床に落ちていく雫の数さえも数えられるほどまでに、視界に見えるものの全ての動きが緩慢となった。


 懐に飛び込みさえすれば、掴まぬ限りオークウォーリアーの打つ手立ては無くなるはずだ。その為に一撃振らせてから、立て直せぬ間に飛び込み、急所への攻撃を仕掛ける。そう考えて、わざと奴の間合いへと踏み込んでいく。


 【スロウ】を使えば、戦闘経験の少ない俺でも、刹那の隙を見つけられるし、全て最速で反応することが出来る。相手が気付き得ないちょっとした瞬間、空白とも言えるその間にも行動をし続けられる。【スロウ】を覚えた当初は、チートと呼んでも良いくらいの魔法だと思っていた。今でもかなり強力な魔法だと思うが、しかし、チートだと思っていたのは俺が能力を良いように、考えすぎていたからだった。


 頭上を過ぎていく戦斧を見送る。髪の毛も掠らせないほどに余裕をもって避けるのには訳がある。【スロウ】を使ったとしても、反応が良くなるだけで、俺の持つ動きそのものが早くなる訳では無いからだ。早すぎる攻撃は、俺の身体が付いて行けず避けられない。それに相手の動きは遅くなるが、攻撃する際の威力や質量は変わらないと言うことだ。


 つまり、重すぎる一撃が掠りでもすれば、死ぬ可能性が跳ね上がる。オークウォーリアーの攻撃がゆっくり過ぎるからといってダガーで受け止めようとすれば身体諸共、吹き飛ばされてしまう。現に避けた後の髪の毛が戦斧の巻き上げた風で揺らぎ、極僅かではあるが引っ張られているような感覚すらある。


『……もらった』


 戦斧を振るった軸足と反対側の足へとダガーをすれ違いざまに突き立てる。


 俺の攻撃を嫌がって、攻撃した方の足を上げて防御態勢を取れば、次の一撃を遅らせることを狙っての攻撃だった。その予想通り、片足を上げたオークウォーリアーは戦斧こそ落としはしなかったものの、奴にとっては大きすぎる程のタイムラグを生み出すことになった。


『――ガラ空きッ』


 脇腹に、俺を掴もうと伸ばした右手に、背中に、また脇腹に、横合いからの連続攻撃を仕掛けていく。


 幾たびもダガーを突き立てるがまだ倒れる気配は感じられない。まだ嫌がっている程度だ。体格から見るにダガーでは致命傷には届きにくい。首元や顔であれば、一撃でも致命傷に成り得るのだが、今の俺では手を伸ばしても届かない。


 博打を打ってしがみ付けば、首を狙うことだってできるだろうが、掴まれる危険性が上がる為、徐々に詰めていくことを選んだ。


 オークウォーリアーが張り付くように攻撃を浴びせ続ける俺を嫌がって、再び、払うように腕を振るった。


 余裕を持って屈んで躱そうとしたところへと、左の足蹴りが迫って来ているのが見える。腕振った遠心力を利用した蹴りは低く、後ろに飛んで回避するしか手立てがないように思えた俺は、足を踏ん張って後ろへと飛んだ。


『ザンネ――うぉッ!?』


 後ろへと飛んで攻撃を避けたまでは良かったが、着地したと同時、身体のバランスが崩れて視界が傾いた。態勢を立て直そうにも運動エネルギーの流れを上手く掴めず、地面へと身体を打ち付けてしまう。


『――痛ッ! ……なんっ、……くそッ、泥が原因か』


 布のズボンに染み込んでくる冷たい感覚があった。バランスを崩した辺りを見れば、泥が伸びて白い床に茶色の線を引いていた。


 俺が後ろに飛んで着地した時に踏みつけて転んでしまっていたようだった。泥が原因と分かったのはいいが、完全に侮っていたことで、俺は窮地を迎えてしまっている。


 咄嗟に立ち上がろうと上体を起こすが、既に駆け寄ったオークウォーリアーが戦斧を頭上高くへと持ち上げている。そして奴の口角が上がったと同時に、両手の腕が引き締まり、戦斧がゆっくりと動き始めた。


 断頭台に掛けられた罪人も、こんなの気持ちで死を待ったのだろうか、いや、落ちるギロチンを見ながら死んでいく罪人は居ない。振り下ろされる剣を前に誉れ高き騎士ならば、英雄ならば、どうするだろうか。


『うぉらぁあああッ!! もっとッ、早くッ、動けぇえええッ!!』


 立ち上がる事を諦めた俺は叫びながらありったけの力を振り絞って迫る戦斧から逃れようとしていた。辛うじて、両手左足が地面に面するまでに体制を立て直した俺は死に物狂いで飛んだ――


『――ッらぁあああッ!!』


 叫び声が掻き消される程の轟音、凄まじい振動が後ろから伝わって来た。


 身を丸めて転がりながら、飛び散った石畳の破片で頬や腕を切った痛みを感じていたが、それ以外には痛みの感覚が襲って来なかった。確かめる事もせず、瞬時に俺は生きている事を理解した。


『諦めて……たまるかよぉおおッ!!』


 立ち上がった俺を蹴り上げようとするオークウォーリアーの足に、ダガーで傷を付けながら避ける。


 そうしながらも、戦斧の内側で戦う間、泥を踏みつけないように神経を張り巡らせる。


 もし、もう一度転んでしまえば、その瞬間に踏みつけられて終いだろう。押さえ付けられでもすれば、あの体重を跳ね返す力など俺には無い。だからこそ、小さき者の戦い方を倣う。その方法を使えば巨人でさえも倒せる。それには大きな者の足元へと入る勇気が必要だ。


『お前の泥ッ、使わせてもらうぞッ!』


 勢いを付けて泥へと目掛けて足元からスライディングの形でオークウォーリアーの股下へと滑り込み、内腿を切り裂きながら背後へと回り込む。


 奴は身体を捻りながら腕を払い、退けようしながらも、回転しつつ俺を追ってくるが、その動きは遅く、一回転、二回転とその場で回るに連れて、奴の傷は増えて行った。


「ブッ、ブモッ、ブヒッ、ブブブォオオオ!!」


 苛立ちを募らせたオークウォーリアーの叫びが響く、奴の足元は泥と血が混ざりあって濡れていた。それでも、足ばかり狙ってダガーを突き立て、切り裂きを繰り返していると、奴は怒りに身を任せて大きく足を蹴り上げた。その瞬間、大きな図体が宙に浮かんだ。


 大きな音を響かせて地面に打ち付けられたオークウォーリアーは、声にもならない、まるで空気が抜けているかのような音を出して仰向けに寝そべっていた。


 己自身、一瞬何が起こったのか分からないと言う表情を見せていたオークウォーリアーの、その喉元に向けて、俺はダガーを深く深く突き立てた。


「ブォロ、オロロオオォ……コポ、コポォォ……」


 オークウォーリアーの断末魔の叫びは気管に迫った血に遮られ、排水溝に流れる水の様な音を発していた。思い描いていた目論見通りには進まなかったが、結果的に奴を討ち取る事が出来た。そう分かった瞬間、力が抜け、その場に腰を落としていた。


 ほっぽりだした足元には泥と血が広がっていた。当初は足を傷を付けて動けぬようにしてから、と思っていたが、奴は俺と同じように自らの泥と血に滑って転げたことが仇となり、俺との勝負に負けてしまったのだ。だけど、俺が勝てたのは良かったのだが、勝ったとは言え、手放しに喜べずにいた。


『もっと、強く……ならないと』


 過去を眺めながら、死の危機に追い込まれた瞬間を思い出して、何の気なしに呟いていた。ちょっとした些細な事でも、こうも見事に形成が逆転してしまうというのは分かっていた事だが、まだまだ実戦経験が足りない、と言われてしまったようだ。


『……あっ、……新しい、魔法、だ』


 オークウォーリアーの亡骸が消え、魔石が現れたと同時、新たな魔法が頭の中に思い浮かんだ。


『これは……』


 思い浮かんだ新たな魔法それは【▶▶】早送りを意味する再生機器ボタンのマークだった。


 ただの偶然かも知れないが、死を感じたあの瞬間、諦めず抗うと決めて立ち向かったその時、心の中で何度も呟き、願い、叫んだ言葉が、魔法となって姿を現したような気がした。


『俺が考えている通りなら、この魔法は……いや、まずは使えるか試してみないと始まらない。……あ、それもそうだけど魔石と宝箱を先に見るか』


 与えられた玩具を前にした子供のように、浮かれているのが自分でも分かった。だけれども、手に入れた魔法は消えないが、魔石と宝箱はまだ手にしておらず、放って置いて消えでもしたら勿体ないと思い、先に回収する事を優先した。


 駆け足で、親指サイズの魔石を拾い上げ、煌びやかな宝箱の前まで駆け寄る。過度な期待を寄せず、宝箱を開けて見れば、中に入っていたのは、薄青い水晶で出来た小さな棒状のアイテムだった。手に取って見れば、小さな笛のような形状をしている。だが、吹き込み口の様な穴はあれど、音階を変える為の穴の無い。


『なんだこれ……ッフーゥッ……』


 金色の装飾が施された吹き込み口に、息を吹き入れて見ても何の音もしない。吹いて見ても抵抗力を感じるだけで、空気が抜けていくことも無い。犬笛のように人間には聞こえない音が鳴っている事もなさそうだ。その形状から空気の通り道が無い事が、見れば分かるから当たり前と言えば、当たり前だろう。


『これも謎、鑑定行きだな』


 乾パンの入っている方の左ポケットへと青い水晶を捻じ込む。帰る頃にはパン屑塗れになっているだろうけど、魔石と一緒にして傷だらけになるのは避けたかった。何の効果があってどれほどの価値があるかはどうでも良かった。それよりも、新たに得た魔法の方が、興味があった。


『んじゃ気を取り直して【早送り】……駄目、【倍速再生】……駄目、えーと、英語だったら【ファストフォアード】……だっけ? これも駄目なのか……【FF】……駄目』


 唱えるうちに【プレイ】の二の舞になってしまいそうな予感に包まれて行く。


『んー……あぁ【デュアルスピード】……駄目、……あー、単純に、これか? ……【ファスト】』


 その瞬間、視界がブレた。新しい魔法は【ファスト】で間違いないようだった。


『うッ? おぉーッ! 発動したッ、発動してるぞッ……で、どれだけ早くなってるんだ?』


 喜びの声を上げるが、自分自身その効果がどれほどのものかを計り知れずにいた。そうなれば検証が必要だと思い、そこからは対照実験を進める事にした。


 まずは魔法を使用、不使用での検証をする。体感する速度の差、ポケットから取り出した魔石が落ちるまでに、どれだけ動けるかの差を調べて見れば、やはり身体の動きが早まっている事に気付いた。


 だがしかし、早すぎるが故、自らの動きに動体視力が着いて行かぬという難点があった。だが、それも【スロウ】と【ファスト】を合わせる事で、すぐに解決した。


 緩慢とする視界の中で、欠伸が出るほどに遅かった動きが、水の中で行動した時位の速度程度には早まった。


『スゲェ……これはヤバいもんを手に入れた……ッ、ぃぃィよっしゃああッ!』


 魔法が思い浮かんだ時に、その能力を思い浮かべたが、偶然にも一致した能力を得られたことにあらゆる感情が押し寄せ、歓喜の声を上げていた。そして、この能力を得た俺が、次に考えた事は、


『……となれば、こうしてはいられないっ、次だッ!』


 11階層へと向かうという選択だった。つい先ほど死に掛けたのにも関わらず、魔法を得たせいで戻るという選択肢を捨ててしまった。もちろん魔法を覚えて居なければ引き返していただろう。オークウォーリアーを倒した直後はそう思っていた。


 だがしかし、俺は強くなれた。だからこそ、もっと強くなりたい。


 怪我もかすり傷程度、時間もまだある。それに折り返して帰ってくる時の事を考えても、体力と魔力共に十分だ。まずは11階層で様子見と魔法使用時の確認と調整、まだ行けそうなら先に行く。こう考える俺を第三者から見れば、愚かだと思う者もいるだろうけど、俺は決して暴走している訳じゃない。


 合理的とは言わないかも知れないが、理性的には考えられているはずだ。慎重的になり過ぎていても、面白味に欠けるだろう。俺は俺が面白いと思う事をやりたい。仕方ないだろうこれが俺なんだ。ドキドキ、ハラハラするこの感覚が俺は好きなんだ。


 ポケットにしまったままの乾パンを拳で叩いて割ってから、針の様なアイテムが刺さっていない欠片をポケットから取り出して口に入れる。数度咀嚼してから水筒の水で押し流すようにして、次のゲートへと歩みを進めた。

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