第9章 下り坂なう③

 響貴と別れた俺は、すぐに自宅に戻った。夜の八時。家には茉子と七桜がいて、ちょうど食事が終わった頃だった。


「あ、お兄ちゃん、本当に帰ってきた!?」

「おぉ、ただいま」

「ただいまじゃないでしょぉぉ!? 響貴さんって人から、心配ないってお母さんに連絡あったけど、どうなってるのか不安で不安で…!」


 顔を合わせるなり号泣し始めた茉子の横をすり抜け、まっすぐに七桜のもとに向かう。


「やるよ」

 ポケットから取り出したメモを渡すと、彼女は「なに?」と訊ねてきた。


「八木秀正の居場所」

「――――…!?」


 その瞬間、七桜は大きく息を呑む。

 メモには住所が書いてある。検索すれば分かるだろうけど、閉鎖されたまま放置されてる小さな公民館だ。


「今夜中に〈生徒会〉が殺到する。知らせるなら急げ」

「わかった」


 部屋に戻った七桜は、フード付きの黒いウィンドブレーカーをはおってダイニングに戻ってきた。ここに来たときに着てたものだ。


 俺は財布の中にあった現金を渡す。大した額じゃないけど、一日二日ならやり過ごせるはず。

「ぜんぶ終わったら、カラオケかネカフェに隠れてろ。後で迎えにいく」


 七桜は首を振った。

「必要ないよ。わたし…このまま〈西〉に行く。亡命ルート、ある程度確保したから。唐京さえ出ちゃえば、たぶん何とかなる」


「…そうか」


 こいつがいなくなれば、ホッとするはず。そう思ってたのに、意外に気分は晴れなかった。むしろなんか締めつけられる感じ。


 俺の横で茉子が目をうるませる。

「気をつけてね、七桜さん…」


 七桜はしっかりうなずいて、茉子とハグを交わした。

「ありがとう…。お礼を言うことしかできないけど、ありがとう…」


 それから俺の前に立つ。

「――――」


 何か言おうと口を開きかけた瞬間、七桜は茉子にしたのと同じように、腕をのばして抱きついてきた。


「ありがと」

 耳元でささやかれる声と、細い身体の感触に硬直する。


「――――…」

 体温を感じて眩暈がした。


 俺も、腕をまわして少しだけ力を込める。七桜は逃げなかった。

 心臓がうるさいくらい騒ぐ。少し身体を離すと、長いまつげに縁取られた目が、俺を見上げてくる。

 こめかみに血が集まって、緊張と高揚のまま、じっと見つめてくる目に吸い込まれそうになる。


 でも俺が動く前に、七桜は大きく一歩退いた。

「じゃあね」

 凜とした声でそう言うと、フードをかぶって玄関から出ていく。


「――――」

 取り残され、立ちつくすしかない。


 まともに物が考えられない中、泣き出したいような気持ちだけが残った。

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