第9章 下り坂なう②
響貴はゴキブリ自爆事件の後、亜夜人のことにかかりきりだった。けど、ずっと意識不明だった亜夜人が今朝目を覚ましたんで、少しずつ事後処理に取りかかっているらしい。
「まず病院に向かうよ。亜夜人の顔を見に行くのと…、あと君の怪我も処置し直したほうがいい」
二人でタクシーに乗り込んでから、響貴はあれこれ話しかけてきた。答えずにだまりこむ俺に、苦笑まじりのため息をつく。
「忘れたの? 〈生徒会〉が白を黒に、黒を白にする力があること」
「……」
「仮にも大臣の肝いりだからね」
縁なし眼鏡のやわらかい笑顔が、これほど忌々しく感じたことはない。
俺は返事をしないまま、窓の外に顔を向けた。
砂を無理やり食わされてるみたいな、重い気分。車の振動は静かで、すぐに眠気が襲ってきたけど、寝たらまたあの夢を見るかもしれないと思うと眠れなかった。
タクシーはほどなく亜夜人が入院している病院に到着する。
病室の前まで来たところで、響貴が肩越しにつぶやいた。
「聞いてるかもしれないけど、あちこち骨折してるし、顔は火傷でひどい状態だから」
「あぁ――」
亜夜人の容態については聞いていた。
だからひどい状態なのはある程度予想してたけど――個室の病室に入って、想像以上の惨状に言葉を失う。
「……」
小柄な身体は、全身がミイラみたいに包帯でおおわれていた。顔も半分以上、包帯に隠れている。
かろうじて出ている左の目が、響貴を見て輝いた。
「響貴――」
身を起こそうとする後輩を制して、響貴は、さっきまでよりもずっと優しい声を出す。
「調子はどう? ごめんね、もっと早くに来られなくて」
「うぅん! 全然――あの、包帯は大げさだけど、大したことないんだ。骨折と、あとちょっと火傷がある程度で、一ヶ月くらいで普通に暮らせるようになるって。利き腕が無事だったのが不幸中の幸いっていうか…」
亜夜人は早口でまくしたててきた。なんか必死だ。
「でね、これ見て――」
そう言って自分の前のタブレットを指す。
俺と響貴は言われるまま、医療用ベッドに備え付けられたテーブルに置かれたタブレットの画面をのぞきこんだ。でも数字とアルファベットが並んでるだけで、何のことかさっぱり分からない。
首を傾げる俺の横で響貴は目を瞠った。
「これは…っ」
亜夜人がうなずく。
「八木秀正の居場所だ。ようやく突き止めた」
「マジで!?」
驚く俺に、響貴はディスプレイの一点を指さした。
「この数字は座標だ。これを地図と照らし合わせると――」
つぶやきながら画面を勝手に操作する。
結果、地図上でポインターが指し示した場所を、三人で食い入るように見つめた。俺も記憶に刻み込む。
「すごい。亜夜人、よくやった」
響貴の褒め言葉に、亜夜人は半分だけの顔にパァッと笑みを浮かべた。
「僕、すぐ復帰するから。だからちょっとだけ待ってて」
「いや、ここまでやってくれたんだ。もう充分だよ」
やんわりと、でもはっきりと響貴が告げる。
「亜夜人。その怪我が完治することはない。だって君は、脊椎をひどく損傷しているんだから」
「そりゃ…車いすになるかもしれないけど…でも、平気だよ。そんなの、すぐ慣れるし」
「英信とも話し合った。やっぱり中学生の君を入れたのはまちがいだった。だから一度退会処分にする」
「退会!? なんで!? 僕まだやれるし、やる気もあるのに!」
食い下がる亜夜人に、響貴は首を振った。
「そのやる気が、今回の事件を引き起こした」
「え?」
「君はあのユーチューバーを、ネット上で執拗にたたいてたそうじゃないか。何十人もの人間を装って、実際には君ひとりで、彼の主張を徹底的に踏みにじっていたんだってね。…調査会社からの報告に耳を疑ったよ」
(――――…)
それは初耳だ。思わず見やると、亜夜人はさすがに少しひるんだ様子だった。
「だって…あいつが、〈生徒会〉をおかしいとか、まちがってるとか、言うから…」
「君のその行為が、彼を追い詰めて、あんな形での自殺に追い込んだ。ちがう?」
「そう…かもしれない。でも放置するわけにはいかなかった!」
「僕は、君の無知をいいように利用してきた。でも今回のことで反省した。こういうのはよくないって」
「僕は利用されてなんか…!」
「亜夜人――」
後輩の言葉を遮って、響貴は続けた。
「そろそろ自覚するべきだ。人に言われたこと、ネットに書いてあることをそのまま信じちゃダメだって」
「…何の話…?」
「君の頭の中には、自分で調べて、悩んで、考え抜いて得たものが何もない。目についたか、あるいは耳にした情報の中から、理解しやすくて好みに合うものを、片っ端から放り込んでいっただけだ。でも――楽して得た答えは、簡単に君を裏切るよ」
「響貴…!」
意味が分からないって顔で、亜夜人が右手をのばす。響貴はその手から身を引いた。
「治療とリハビリの間に、何がいけなかったのか、しっかり考えるといい。…じゃあね」
ダメ押しの別れの言葉を残して、響貴は病室を出て行った。第三者から見ても冷たいその仕打ちに、亜夜人は絶句している。
「じゃあ俺も、その…」
なんかすっかり忘れ去られてた俺も、じりじりとフェードアウトしようとする。その背中で、「死ね…」という声がぼそりと響いた。
「あんたのことを、響貴は最初から気にかけてた。なんでだ。なんであんたなんか…」
「…え?」
訊き返した瞬間、亜夜人は「あぁぁぁぁぁ!」と絶叫する。自由に動く右手で、テーブルを殴りつける。
跳ね上がったタブレットが、大きな音を立てて床に落ちた。
「おい…っ」
「目障りなんだよ! あんたといい、英信といい…!」
テーブルにすがって叫びながら、亜夜人は左目から涙をあふれさせる。
「ちきしょう! ちきしょう!! 何だよあの態度! 今までさんざん協力させといて、使えなくなったらポイ捨てかよ!? ふざけんな…!」
「本当になぁ…」
適当に相づちを打ちながら、とりあえず拾ったタブレットをテーブルの上に置いてやる。
すると亜夜人は今度、半分だけの必死な顔でこっちを見上げてきた。
「僕、まだ終わってないよ! まだ役に立つ! 頼むよ斗和、響貴に伝えて。退院したらまた手伝わせてって、伝えて――」
「――――…」
まっすぐな訴えに、正直ちょっとあきれてしまう。
(こいつ全然わかってないのな…)
幹部のこいつに〈生徒会〉から足を洗わせるチャンスは今しかない。自分の都合じゃなく、亜夜人のために響貴はそう考えた。
でもたぶん言ってもムダだろう。きっと亜夜人には理解できない。…聞きたくない情報を耳に入れようとしない、こいつには。
だから俺は、亜夜人の聞きたい言葉を口にした。
「響貴も、今はショックが大きくて混乱してるんだろ。落ち着いたら気が変わるんじゃね?」
俺にはこいつに対する責任なんか何もない。だからこの場を適当にやり過ごすため、響貴とは真逆のことをした。
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