第9章 下り坂なう①

「おい、斗和」

「……っっ」

 肩をたたかれた俺は、ひゅっと喉を鳴らして目を覚ました。


〈生徒会〉本部の食堂。周りを見れば、メンバーが集まってわいわいしゃべってる。どうやら居眠りをしたらしい。


 汗がじっとりと背中を湿らせていた。駆除の現場で、全力で首を絞めてるのにゴキブリが死なない悪夢を見ていたのだ。

 夢だったことに大きく安堵の息をつく。このところ毎晩同じ夢を見る。


「斗和、どうした? 駆除行くぞ」


 翔真が不思議そうにこっちを見下ろしていた。適当に返事をして、だるい気分で本部を出る。

 現場に着いても、全然集中できなかった。


 そんなとき、ゴキブリが俺の方に向かって逃げてくる。反射的に追いかけて、ワイヤーを首に巻いて足を払い、うつ伏せに引き倒す。暴れる身体を膝で押さえつけ、力いっぱい締め上げる。しばらくして相手の身体は動かなくなった。


 みんなが声をかけてくる。

「さすが!」


 答えるのも億劫な気分で立ち上がろうとした時、動けないことに気づいた。

 ゴキブリの手がのびて、蔦のように全身に絡みついてくる。


 殺したな? 殺したな? 殺したな? 殺したな?



「――――――…!!」



 叫んで飛び起きる。


「…………」

(…夢…)

 腹の底からくみ上げたような、深い息をつく。


 その瞬間、「斗和、駆除行くぞ」と肩をたたかれる。

 心臓がぎくりとした。


「え…?」

「どうした?」


 翔真が不思議そうにこっちを見下ろしてる。


(これは夢? 現実?)


 頭が混乱した。さっき目が覚めたばっかりなのに。終わらない。ずっと同じ夢を見続ける。何度も何度も。いつになったら覚めるんだ…?


       ※


 拘留されてる俺の顔を見て、翔真は開口一番に言った。


「すげぇ顔色悪いな。しょうがないけど…」

「いや、ちょっと夢見が悪くて…」


 慣れない場所で寝たせいか。昨日の夜、ぐったりするような夢を見た。

 とはいえ訪ねてきた翔真も疲れてる雰囲気だった。顔つきが険しい。

 アクリル板越しに向かい合って座ると、落ち着いて説明を始める。


「八木秀正ってやつの仕業だって」

「え…?」

「そいつが、俺らが美陵泰子をGとして処分したことを突き止めて、すっぱ抜いた。あの女は先祖代々〈東〉の人間。なのにある日突然、おまえにGだって密告されて、おまえの手で駆除されたって」

「――――」


 あの女は俺をゴキブリだって密告した。だから密告者と、密告された側の名前を入れ替えて処理するって、たしかに亜夜人は言ってた。でもそれは、膨大な量の〈生徒会〉の活動記録のなかの、ひとつのデータにすぎなかったはずだ。


(それがこんな形でさらされるなんて…)

 一体どうやって知ったのか。考え込む俺の前で翔真は淡々と続ける。


「あの女とおまえの因縁を、週刊誌みたいにえげつなく書き立てて、〈生徒会〉の幹部が私情で〈東〉の人間を殺したって広めてる」

「因縁なんかねぇよ。あの時まで会ったことすらなかったんだぜ」


「知ってる。そもそもあれは向こうが仕掛けてきたことだ。…けど、〈生徒会〉以外の人間はそんなこと知りゃしないし、今さら言ったところで言い逃れにしか…」

「まぁそうだな」


 他人事みたいにうなずく俺に、翔真は苦笑した。


「ずいぶん落ち着いてんな。死にそうになるよかマシだけど…」

「べつに落ち着いてはいないけど…ジタバタしたって、なるようにしかならないし…」


 それにもしこのまま有罪になって刑務所に入れられれば、もうこれ以上〈生徒会〉の活動をしなくてすむ。そんな思いもあった。

(正直、ちょっと――)


 翔真には言えないけど、捕まってホッとしてる部分もある。俺もう一抜けできるって。

 未成年だけど、罪状が罪状だし。懲役って何年くらいなんだろ?


 早くもそんなことを考える俺に気づかず、翔真はあれこれ話を続ける。

〈生徒会〉で退会希望者が続出してること。英信や響貴が説得にあたるも、やっぱり事件の影響は大きくて、なかなか効果が上がらないこと。


 これまで通り使命を果たそうとするメンバーの中でも、外では制服を着ないやつが増えてきてること。

「――――…」

〈生徒会〉はたぶんこれから少しずつ崩壊してく。何となくそう感じた。


 元々異常な組織なんだから、当然といえば当然かも。でももう、俺には関係ない。

(俺達が裁かれることはないって、響貴は言い切ってたけど…外れたな)


 あいつでも読みを外すことがあるんだなーって、意外に思ったりして。すっかり今後の留置所&刑務所ライフに思いを馳せていたわけだが。


 そんな俺の予想に反し、翔真が帰った後、いきなり急転直下の展開になった。

「は!?」

「だから不起訴だ。それにともない釈放」


 いきなり手錠も何も外されて、警察署の中を歩いて連れて行かれた先は、正面玄関だった。


「え、…なんで…?」

 ようやくしぼり出した俺の声に、刑事はめんどくさそうに顎をしゃくる。

「知るか。そこの弁護士に訊け」


 外で俺を待っていた弁護士は、一度見たことがある顔だった。

 前にみんなでプールで騒ぎまくって警察に連れてかれた時、響貴と一緒に迎えに来たキレイなお姉さん弁護士だ。


 彼女は、俺に向けて優しくほほ笑む。

「大変だったわね。でももう大丈夫よ」

「いや、待てよ――」


 なんだかすごく、ねじれてる感じがした。こんなの絶対おかしい。


「俺、罪認めてんじゃん。やったって言ってんじゃん」


 自分から刑事のほうに戻っていく。そんな俺に、厳しい声がかけられた。


「斗和」


 ふり向くと、弁護士の向こうから響貴が姿を現す。俺を見て、だまって首を振った。


「行こう」

「だから、なんで…っ」

「君はこの国にとって、まだまだいなくてはならない人間ってことさ」


 そう言って小さく笑う響貴も疲れて見える。

 俺ひとりで逃げるなんて許さないって目で見据え、響貴は弁護士が持つ書類を指さした。


「そこにサインして。そうすれば君は自由だ」

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