第7章 真実は風の前の塵に同じ ②

 いちおう家の中が荒らされてないか、軽く見てくるという響貴と別れ、俺は家政婦さんに案内されて居間に向かった。


「こちらでお待ちください。ただいまお茶をお持ちしますので」

「はぁ…」


 丁寧に頭を下げた家政婦さんがいなくなると、ちょっとホッとした。

 この居間に入るのは二度目だ。

 見るからに高級そうなソファセットと、周りに置かれたシックな家具調度。世界が全然ちがう。


 中でもやっぱり目立つのは、壁に掛けられた絵画だった。


 この間も見た絵――天使が二体、上下に向かい合って描かれている。上の天使は服を着て、武器を持ってる。下の天使は裸で、素手。


 上の天使に攻撃されて、下の天使が逃げようとしてるようにも見えるし、あるいは上の天使が下の天使を助けようとしてるようにも見える。

 まじまじと絵に見入っていると、居間に戻ってきた響貴が、横に並んで絵を見上げた。


「〈ルシファーを追放する大天使ミカエル〉だよ。ロレンツォ・ロットの絵画――の複製」

「天使の顔、そっくり…」


「そう。まるで双子みたいにね。悪魔のルシファーと大天使ミカエルが、鏡で映したように似ている。暗示的だと思わない?」

「暗示的?」

「あぁ。…討つほうも討たれるほうも、ほんのちょっとしたきっかけで立場がわかれてしまっただけで、元は同じものなのかもしれない」

「――響貴…」


 ためらいつつ口を開いた俺を、響貴は目線で制した。


から聞いたよ。君が見逃してくれたって」

「――――…」


「彼女は〈西〉出身の、僕の遠い親戚なんだ。結婚してて、夫も〈西〉の人間。ふたりはずっと、ひそかに〈西系〉を支援する活動を続けていた。コミュニティを作って情報を共有したり、経済的に助けたり、〈西〉に逃がしたり」


「…ガチじゃん」

「うん。彼女はもしかしたら〈リスト〉に載ってるかもしれない。――そう思って僕は、英信に誘われた時に〈生徒会〉に入ることにしたんだ。彼女を守りたくて」


(俺と同じ…)

 思いがけない真相に黙り込む。


「最近は本当に危ない状況だったんで、この家にかくまっていたけど…もう限界だ。昨日、夫婦で外国に逃がしたよ」


 響貴は小さく笑った。口元にさみしそうな色がにじんでいる。ふと、響貴にとって彼女はただの親戚じゃなかったのかもしれないって感じた。


 家政婦さんがお茶を持ってきたのを機に、ふたりでソファに腰を下ろす。

 響貴は改めて切り出してきた。


「英信に、〈愛国一心会〉について訊ねたんだってね」

「…あぁ」

「助けになるかわからないけど、僕の意見を言おう」


 ひざに両肘をついて、響貴は身を乗り出してくる。そしてあっさりと言い放った。


「〈生徒会〉の活動はまやかしだ。ドン・キホーテと同じだよ。実際には存在しない敵を、いると信じてやみくもに襲いかかってるだけ」


 仮にも創設時から〈生徒会〉に関わる人間と思えない断定に驚く。


「…なんでそう言い切れる?」

「自分の目で確かめて、考えた結果だ」

 主張にはいっさい迷いがなかった。


〈西系〉のコミュニティや海外メディアも含め、あらゆるソースから情報を集めて検証した結果、〈愛国一身会〉も、メンバーの〈リスト〉も、テロの標的にする〈リスト〉に至るまで、すべては現在この国を牛耳っている政治家たちに都合のいい状況を作り出すために捏造されたもの――真実にはほど遠いものだという結論に達した。


 響貴はそう言いきった。


「〈愛国一心会〉も、〈リスト〉も両方? そこまでデタラメだっていうのかよ? でも…」


 やっぱり七桜の言うことは正しかったっていうのか? 脳みそをフル回転させて反論を探す。

 確か専門家が言っていた――


「〈愛国一心会〉は何十年も前に生まれた組織だって…」


 今の政治家が捏造できるようなものじゃない。

 響きはうなずいた。


「確かに〈愛国一心会〉は戦後すぐに創設され、長くこの国を悩ませてきたことで有名な政治団体だ。でも二十年前の、東西政府の国交正常化に際して解散している。二十年前から現在に至るまで、活動はいっさい行われていなかった」


「…そうなん…?」

「つまり知名度抜群で、〈西系〉のテロをでっち上げるのに、うってつけの組織だったわけだ」

「でも…テロは実際に起きてるわけだし…」


「天王寺谷首相の暗殺は、確かにプロの仕事だったね。…でも〈西〉のテロリストが、〈西〉の政府と歩み寄ろうとしていた彼を狙う理由って何だろう? むしろ〈西〉を敵視して都合の悪い政策を進める政治家をねらうものじゃない?」


「――――…」

「野外ライブでのテロも、どこかおかしい」

「…おかしいって?」


「犯行声明だ。あれだけの事件を起こしておきながら、犯人は犯行声明を遺していない。犯行動機は報じられたけど、過去のSNSでの発言を切り取ってつなぎ合わせたものにすぎない。それに…もし仮に〈愛国一心会〉が実在したとして、犯人が本当にそこのメンバーだったのなら、組織から何らかのメッセージが出てもよさそうなものなのじゃないか」


 そういったものは何もなかった。にもかかわらず、マスコミは早い段階で犯人と〈愛国一心会〉のつながりを報じていた。


「違和感がひとつなら、無視もできる。でもあちこちに散らばっている。ひとつひとつは些細だけど…そうなると、どうしても見過ごせない」


 響貴が自分で調べて、考えて出した答えと、七桜の情報がぴったり重なることにゾワゾワした。

 外堀を埋められていくような、いやな気分だ。

 いつもよりも重く感じる頭を抱えて、考えを整理する。


「…どうして〈東〉の政府は、そんなにまでして〈西系〉を攻撃するんだ…?」


「ひとつは、今の政権が自由連合を率いる大国に依存する方針だから。〈西〉と手を組んで、この国の主権を取り戻そうと主張する野党勢力を一掃するために、〈西〉=悪者ってイメージを国民に強烈に植えつけたかった。もうひとつは近年、僕らが子供の頃に起きた世界的な経済危機のせい」


「…うん?」

 微妙な返事になる。経済危機まで関わってくんの?

 察したらしい響貴は、簡単な言葉で説明してくれた。


「首相の暗殺事件の後、この国は完全失業率も失業者数もうなぎ登りで、社会不安が爆発しそうだった。そういうとき、政治家はどうすると思う?」

 わからない。答えられずにいると、響貴は眼鏡のブリッジを指で押し上げた。


「国の外に敵を見つけて、国民の不満をそっちに逸らすんだ。歴史上、多くの国で行われてきたことさ」


「それなら、英信の言ってることは…」

「英信の父親は、この国の現役の閣僚だ。大国の支援で身を立ててきた筋金入りの親大国派。…ところで、英信にお兄さんがいるのは知ってる?」

「あー…うん」


 そういえば本人が言ってた。ボンクラの三男だって。


「英信のお兄さんは、ふたりともものすごく優秀なんだ。でもなぜか英信は普通の子で、家族の中で浮いた存在だった」

 響貴は昔を懐かしむように話す。


 そんな家族への反発から、英信は中学に入るか入らないかの頃からヤンチャに走り、よけいに周りから白い目で見られるようになった。そんな三男に、ある日父親が〈生徒会〉の創設を持ちかけた。「おまえにしか頼めない。成人してしまった兄達には無理だから」って。


 初めて父親に期待され、英信は張り切った。与えられた情報を頭から信じ込み、精力的に活動を始めた。


「結凪から聞いたんだけど、舞台に立つ俳優は、稽古と本番を通して何十回も、何百回も同じセリフを言ううち、自然にそれが本当のような気がしてくるんだって。好きでも何でもなかった相手に、何百回も愛していると言った末、恋に落ちてたりするそうだよ。英信はまさにそれ」


「…〈西〉の脅威について話し続けるうちに、自分が一番信じこんだ…ってこと?」

「あいつバカだから」


 響貴は目を伏せて小さくほほ笑んだ。

 幼なじみの英信を、きっと響貴は全部わかってて、ずっと見守り続けてきた。そんな二人の絆はともかくとして。


(ちょっと待て――)


 事態は全然、「バカだから」ですむもんじゃない。

 もし響貴の言うことが本当なら、俺達のやってることって何なんだ?

 デタラメの情報に踊らされて、ゴキブリを駆除しまくってる俺達はどうなる?


 いや、そもそも。


「〈愛国一心会〉や〈リスト〉の存在が嘘なら、ゴキブリも――社会の害虫も、存在しない…?」

「そういうことになるね」


 響貴は落ち着き払った態度でうなずいた。


「待てよ! もしそれが本当なら、なんでおまえ俺らに話さなかった!? 言うべきだろ!?」

「言ったところで、きっと誰も信じなかったよ」


 縁なし眼鏡を光らせて、響貴は断言した。


「斗和も、もしこれから話そうと考えてるなら、やめたほうがいい。G擁護派の汚名を着せられてたたかれるだけだから」

「そんなのわかんねぇだろ…っ」

「いや、まちがいない。なぜかといえば――」


 いっそ穏やかな声で、容赦なく続ける。


「罪悪感だよ。一線を越えてしまった罪悪感が、〈西〉の陰謀を信じる気持ちをより強固にして、自分達の行動を正当化させる」


「………」

 理解したくなかったけど、ものすごく腑に落ちた。まさに自分がそうだったから。

〈西〉の陰謀は。そうでなければ俺はただの人殺しってことになる。


 今日ここに押しかけてきた十人を思い浮かべる。ああいう強硬派が、少しずつ増えてきているのは、そういうことか。


「――――…」

 頭がぐちゃぐちゃだ。俺は前かがみになって頭を抱えた。

「…おまえの言うこと、全部は信じらんねぇ。根拠があるようでない話だし」


「かまわないよ。これはあくまで僕の意見。君は君の結論を見つければいい」

「でももしそれが正しかったとして…おまえ、これからどうするんだ?」


 顔を上げて訊ねると、響貴は軽く肩をすくめる。


「どうもしないよ。このままだ」

「このまま?」

「どうせもう手遅れだろう? 〇と一との差は、一と十よりも大きい。一度一線を越えてしまったら、二度と戻ることはできないんだから」


「おい…」

「斗和、君もだ。前に進むしかない。羊飼いみたいに、みんなを前に進ませる。我に返らせないよう、〈生徒会〉は正しいっていう夢を見させ続ける。それが僕の――僕ら幹部の役目だ」


「…俺達のやってることが、正しくなくても?」


 真剣な問いに、響貴は噴き出した。口元にこぶしを置いて、くすくす笑いを殺す。


「正しいかどうかは重要じゃないよ。だって世の中、勝ったほうが正しいんだから。――僕達は勝ってる。だから僕達が正義だ」


 話は終わり。そんな雰囲気で響貴が腰を上げる。

 高いところから、自信に満ちた声が降ってきた。


「心配しなくても僕たちが裁かれることはない。どんなに非道なことをしても、勝てば責任を取らなくてすむ。それも、くり返し歴史が証明している通りだ」

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