第6章 そんなはずないのオンパレード②
七桜を家に連れて戻った時の、茉子の反応はおもしろかった。
口と目をまん丸にして、テレビをふり返って、「え? え?」って、そこに映る写真と七桜とを交互に見比べる。
「お…お兄ちゃん、まさか…!?」
「まさか何だよ? 彼女、今日だけウチに置くから」
顔をこわばらせていた茉子は、その言葉にホッとしたようにうなずいた。
「うん! …でも、今日だけ?」
「あぁ」
かくまうにしても、弓矢で人間ねらうような事件を起こしたやつ、普通に家に置いとけないだろ。
後で亜夜人に訊いて、ゴキブリの駆除で空いた部屋で、居抜きで使えそうなとこを探してもらおう。俺が使うってことにして。
「とりあえず今日の部屋、どうすっかな…」
ウチは2DK。母親と茉子が同じ部屋を使い、俺がもうひとつの部屋を使っている。
せまいダイニングを見まわしていると、茉子はケロッと言い放った。
「お兄ちゃんは翔真君んとこに泊まればいいじゃん」
「おい」
「うわ、もう行かないと! 学校から帰ってきたら、また相談しよう!」
バタバタと茉子が出て行き、またしても気まずい中、二人で取り残される。
「おまえ学校は…行ってるわけないよな」
「学校どころか、ゴキブリはまともな仕事に就くこともできないわよ」
吐き捨てるように言い、彼女は静かに近づいてきた。くちびるがくっつきそうなところまで顔が迫る。
くっつく寸前で、細い身体を押しのけた。
「よせ」
「…なら何が目的なの?」
「何も。そもそも助けられるかどうか約束できねぇし」
「すごい正直」
「もっと正直なこと言えば、帰ってきたらおまえがいなくなってることを期待してる」
大まじめに言うと、七桜は笑った。いなくなる気はないらしい。
「当面の家賃、自主的に払っていい?」
「え?」
「情報で」
「…何の?」
「信じるかどうかは、そっち次第だけど。戦後最悪のテロ事件と、首相暗殺事件の真相――知りたくない?」
※
七桜から聞いた話は、俺の頭の中を毒のように侵食し、ぐるぐるかきまわした。
あんなのデタラメもいいところだ。俺達が信じる情報を否定して揺さぶるっていうGの悪あがきに決まっている。そう思うものの、気持ちを立て直すことができない。
いちおう学校とバイトには行ったけど、頭の中で反論をまとめられないまま夜を迎えた。今日はなんとなく駆除とか見たい気分じゃなくて、初めて仮病を使って〈生徒会〉活動を休んだ。
残業にくたびれて帰る社会人の波に混ざってふらふらしていると、途中、通りがかったカラオケの前で英信を見かけた。ウェーイな仲間とウェーイに遊んでいるみたいだ。
俺に気づいた英信は、輪の中から「おー」って笑顔で手を挙げた。
「なに? 英信の後輩?」
取り巻きの女に、英信は「後輩じゃねぇよ。仲間!」って強めに返す。それから俺んとこに来て、肩を抱いて言った。
「ひとり? いっしょにメシ食いにいかねぇ?」
「いい。もう食ったし」
「じゃあボウリング行く?」
「んー、いや…」
「なぁ、斗和。――なんで俺の顔見ねぇの?」
耳元で響いた低い声にドキリとする。なんでって…七桜が今ウチにいるせいだ。後ろめたい気持ちがあるから。
腹をくくって、カラコンを入れたグレーの瞳をまっすぐに見た。
「…バイトの時から調子悪いんだ。風邪っぽいから今日は帰る」
口からでまかせと言うと、英信はこっちを探るようにじっと見つめてくる。
(…なに? 何か怪しかった?)
居心地の悪さを感じていると、ちょうどよくスマホに着信があった。亜夜人からだ。
『駆除の現場を生中継してネットに配信してるやつがいる。たぶん一般市民だと思うけど』
「撮られてんの、どこの班?」
『翔真のとこ』
「わかった」
英信に事情を伝えて走り出す。翔真に電話して場所を訊き、すぐに現場に駆けつけた。
隠れて盗撮していた犯人を見つけ、みんなで囲んで厳重注意。それでも一向にカメラを止める様子がないため、スタンガンでお休みいただいてスマホを奪い、配信を強制停止の上、動画を削除する。
「で? ゴキブリは?」
訊くと、この騒ぎで〈生徒会〉の存在に気づいてしまい、立てこもっているという。
「今は見張らせてるけど――」
翔真がそこまで言った瞬間、「逃げた!」という声が上がった。見れば、他人んちの屋根やベランダを伝ってこっちに逃げてこようとする人影がひとつ。
「散って包囲しろ!」
翔真の指示に、班のメンバーは的確に応えた。次にGが取りそうな行動を予測して、それを阻止する場所に各々移動する。Gは三十代くらいの男だった。学校の教師とか公務員をやってそうな、ひょろっとしたインテリ風。逃げられないとふんだのか、他人の家のベランダで叫ぶ。
「君たちは利用されているんだ! 〈西〉を悪者にしたい大人達に!」
「――――」
翔真班の竹地が、側面からベランダに近づいていく。近くのブロック塀を足場にすれば昇れそうだ。
「うるせぇ! 他人んちで騒いでんじゃねぇよ!」
翔真がどなり返した。ベランダに昇る竹地に気づかせないよう、Gの注意を引こうとしてる。Gは手すりをにぎりしめて訴えてきた。
「自分を正義と信じて疑ってない者ほど操りやすい人間はいない! そういう人間は、自分が操られていると自覚できない! 君達はまさにそれだ!」
「おまえが言うな!」
〈生徒会〉メンバーからいっせいにツッコミが入る。Gは首を振った。
「私はテロリストじゃない! そもそも君達の言うテロ組織なんか存在しない!」
「は? 何言ってんのおまえ」
「――――…」
必死の訴えに、翔真は心底あきれた声を出す。
けど俺は七桜の話を思い出してハッとした。その瞬間、ベランダに昇った竹地がすばやく動いた。姿勢を低くして近づくや、Gの膝を抱えて足下をすくい、身体を手すりの外へと放り出す。
悲鳴を上げて、Gは道路で見上げる俺のほうへ落ちてきた。こうなったら、やることはひとつだ。みんなが見守る中、俺はスタンガンを取り出してカバンを放り出す。
Gは路面にたたきつけられた苦痛にうめきながら、なおも続けた。
「私はテロリストなんかじゃない…。君たちはまちがってる…。君たちはまちがってる…。操られてるんだ…。気づいてないだけで…!」
「――――…」
Gの言葉にふと足を止める。戯れ言だ。死にたくないから適当なことを言ってるだけ。今まではそう一蹴できた。…のに。
『戦後最悪のテロ事件と、首相暗殺事件の真相――知りたくない?』
(ちきしょう、あの女…!)
スタンガンをにぎりしめた時、突然、誰かに後ろから押しのけられた。突き飛ばすように、強い力で横に追いやられ、たたらを踏む。反射的ににらみつけた俺の目が丸くなった。
「英信…っ」
いきなり現れた英信は、片手でGの頭をうつ伏せに地面に押しつけるや、長い千枚通しで後頭部を貫いた。千枚通しは柄まで深々と頭蓋に埋まる。一切の迷いなく。文字通りの瞬殺ってやつ。
「……」
鮮やかすぎる手並みにみんなが言葉を失う中、英信は翔真の班のメンバーをぐるっと見まわした。
「こういうやつが、自分の気にくわない現実をフェイクだって決めつけて、大きな声で真実をかき消すんだ」
みんながうなずくと、英信は力を込めて言った。
「おまえらは俺を信じろ。俺がおまえらを信じるのと同じくらい強く、俺を信じろ」
「――――はい…!」
みんなはさらに大きくうなずいた。
「英信だけを信じる。他に信じられるものなんか何もない…っ」
昴が、まっすぐなキラキラした目で〈生徒会〉のトップを見つめる。似たような周りの雰囲気に、俺はちょっと不安を感じた。
そんなふうに疑いを捨てて二百パーセント信じきったら、仮にそれがまちがいだって証拠を見せられても…目を背けちゃうんじゃねぇの?
(それとも俺がまちがってるのか…?)
みんなは情報の撹乱に動じてないのに、俺だけが真に受けてふらふらしてるのか?
その可能性も高い。でも芽生えた迷いは足元をぐらつかせてくる。
目の前には、今までに感じたことのない不安が見渡す限り広がっていた。
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