第5章 無敵感、やばい ②
親指を立て、首の前で横に動かす。
「ぜんぶ狩るぞ」
俺の声に、みんな真剣な顔でうなずいた。
何の変哲もない建て売りの一軒家。でもこの小さな家に八人が暮らしている。
踏み込めばいっせいに逃げ出すだろうから、執行部隊の五つの班で囲むことになった。
情報部の調査は完璧だ。今夜は八人とも全員家にいる。そしてスペアキーまで手に入れてきた。
これは、ホイホイ作戦以来の大規模な駆除だった。普段バラバラで活動する執行部隊としては初めて、複数の班が合同でやる作戦でもある。
メンバーは計画通りに散って、作戦開始を待ちかまえた。
真夜中の零時。
家の正面に立った俺が高く挙げた右手を振り下ろす。開始の合図だ。
玄関ドアの前でスペアキーを手に待機してたやつが、ドアを開けた。そのまま突入。他のやつらもどんどん続いていく。
家の中で悲鳴が上がった。怒鳴るような声と、争うような物音。
問題はないはずだ。みんなゴキブリの抵抗には慣れてるから、きっと何とかする。俺は信じて待つだけでいい。――って、今日ここに来る前に、英信が俺に言った。
「――――…」
「待つだけってのも、けっこうしんどいな」
俺の横で翔真が言う。先月、中井先輩が卒業した時、班をまるっと引き継いで班長になった。
班の中には小出昴もいる。志願して駆除の執行部隊に入ってきた。
物音を聞きつけたのか、近隣の家からぽつぽつと人の顔がのぞく。でも大抵は、〈生徒会〉の制服が大勢集まっているのを目にすると、カーテンを閉めて引っ込んだ。
とはいえ中には、スマホのカメラを向けてくるやつもいる。
「はい、撮らないでー」
俺は指向性の強いマグライトをスマホに向けて注意した。ただでさえ暗い中、ライトを向けられたら何も見えなくなるだろう。
〈生徒会〉の制服は、それ自体が宣伝材料だから、普段は撮られてもかまわない。でも〈活動中〉はNGだ。世間の支持を集めるには、極力グロ画像の拡散を抑えなきゃならないから。
「そっち行った!」
家の中から声が飛んでくる。と同時に、まとまって飛び出してくる影が三つ。
とっさに腰を落とし、その内の一匹にタックルした。相手はうつ伏せに地面に倒れる。その後ろからのしかかり、首にすばやくワイヤーを巻きつけ、一気に締め上げた。
「――…っ、…っっ」
暴れる背中を膝で押さえつけ、数十秒も締め続ければ相手は動かなくなる。
初めてゴキブリを自分の手で潰したときは無我夢中だった。わけが分からないうちに終わっていた。
でも今はちがう。何度もくり返すうち、ためらいとか、罪悪感は薄れていった。
今では効率よく確実に潰すことができる。
ワイヤーで首を絞めるのは最近見つけた方法だった。血が出ないし、片付けが圧倒的に楽なんで、他のやつにも積極的に広めている。
周りを見れば、逃げたヤツを除いてあらかた片付いたようだ。
「翔真は?」
竹地が住宅街の路地の先を指さして答える。
「ひとり包囲を破って逃げてったんで、それを追ってった」
俺はスマホで電話をした。コール数回で翔真が出た。
『何だよ、取り込み中だ!』
「平気か? そっち援護に向かおうか?」
『援護? 助かる! 何人?』
「え…いや、俺ひとり」
『は? おまえだけ? いらねー』
それだけ言って切れる。いや、ちょっとなんか、もうちょっとさー…。
ブツブツ言いながらスマホをしまう。こっちはもう落ち着く感じだ。家の中から聞こえてくる物音も途絶えた。
そうこうしているうち、ゴキブリの死骸が運び出されてきた。事前の打ち合わせ通り、せまい庭に並べておく。そうすれば、早朝パトロールの〈掃除屋〉が持っていってくれる。
「悪い。遅くなった」
しばらくして翔真が戻ってきた。ひとつの死骸を、襟をつかんで引きずっている。
その後ろから昴が、足を引きずってひょこひょこついてきた。どうやら怪我をしたらしい。
「ったく、手ぇかけさせんなっての」
庭にずらっとならんだ七つの死骸の横に、翔真がそいつを放り出す。
その時、並ぶ死骸を青い顔で眺めていた新人が、突如うずくまって嘔吐を始めた。
「おまえ――」
みんなが見ないフリをする中、翔真がそいつの背中をなでる。
「すいませ…っ」
「平気平気。ここにいるみんな、多かれ少なかれ似たような経験があるから」
「なんか…思ってたよりアレで。…すみません…っ」
新人は、謝りながらゲーゲー吐き続ける。想像してたよりショックな光景を見て、信じてたものがやや揺らいでる。そう感じて、俺は腹に力を込めた。
そいつの前にしゃがみ込み、肩に腕をまわす。
「悪いのはおまえじゃねぇよ。悪いのは、この国を脅かす〈西〉のやつらだ。こそこそ地下でつながって、普段は何でもない顔をして暮らして、ある時急にテロを起こすゴキブリだ」
毎日毎日英信がくり返してることを、俺も真似して言う。
「こいつらも放っておいたら大量虐殺を起こして、俺らの家族や友達を巻き込んだかもしれないんだぜ。おまえはそれを防いだんだ。立派だ」
俺の言葉に、そいつは口元を手でぬぐって大きくうなずいた。
落ち着いてきたのを見届けて立ち上がる。
「怪我人は?」
見まわしてみるも、どうやら軽く足を引きずる昴だけだった。
「よし、解散」
俺が言うと、みんなは三々五々散っていく。
俺らも行こうぜ。そう言おうとした時、翔真が昴に声をかけた。
「おい、ちょっとウチ寄ってけ。近くだから」
「ひぇぇっ」
あからさまに赤くなってビビる相手に、翔真はいやそうに顔をしかめた。
「手当だよ! 足、すげぇ血が出てんじゃん」
※
ぽっちゃり体型から予想はついたけど、昴は走るのが苦手らしい。
逃げるゴキブリを追いかけていた時、派手に転んだとかで、膝の皮膚がベロッと剥けて、膝から下が血だらけだった。
その状態で、ひょこひょこ歩いてついてくる。
俺達は、すぐ近くにあった〈生徒会〉の〈寮〉まで歩いて移動した。本部近くにある、入居者が全員〈生徒会〉のメンバーだっていうマンションだ。
翔真は班長なのでワンルームを一人で使っている。といっても部屋はそんなに広くない。先に入った翔真が、手早くソファの上にあるものを片づける。
その間、せまい玄関でスニーカーを脱ぐのにもたもたしていた昴が転びそうになり、思わず手を出して支えた。
「手伝おうか?」
「いいえ! お気遣いなく!」
「そっちこそ、そんなに気を遣わなくても」
「でっ、でも、ふたりとも先輩だし、強いし、偉いし…っ」
必死な顔で言われたことに、思わず笑う。
「殴り返さねぇやつ相手にしてて強いもなにも…」
俺が言うと、翔真が尖った目線を向けてきた。
「よせよ」
最近の翔真は、〈生徒会〉への批判っぽい言葉を絶対に許さない。そういうとこ、俺とは少しだけ温度差が出てきた。〈寮〉に入ったのも家出同然の形だったらしいし、知らないうちにバスケ部も辞めてた。前みたいに夢中になれないっていう理由で。俺よりもずっとハマってる。
〈生徒会〉は中毒性が高い。一度夢中になると、そのハマり方がヤバいと感じる。
それは昴も同じようだ。
ソファに腰を下ろした彼女の膝は、皮がずり剥けて広く肉が出ていて、明るい場所で見ると余計に悲惨な状態だった。
消毒液を渡しながら、翔真が顔をしかめる。
「…昴、おまえ他の部署のほうが向いてるんじゃねぇ? もっと楽な部署あるぜ?」
「いいえ!」
自分で傷を手当てしながら、昴は必死な顔で首を振った。
「もっとがんばります! だから執行部隊にいさせてください…っ」
「けど――」
「初めてなんです! 自分が変わりたい。もっとマシな自分になって、がんばりたいって感じるの――」
滅菌ガーゼで傷口をぬぐい、彼女は血がにじむ剥き出しの傷口を見つめる。
「…わたし、どんくさくて、うまく人と交わることができなくて…、昔からいじめられることが多かったんです…」
中学で一度引きこもりになったが、家族や支援グループに励まされて、高校進学を機に何とか通学できるようになった。それなのに、またしても妙なグループに目をつけられて、毎日つらくて、死にたくなってたところで〈生徒会〉に出会った。
「〈生徒会〉の人はみんな優しい。誰もわたしを笑ったりしないし、普通に話してくれる。わたし、〈生徒会〉に入って初めて、家の外に居場所ができたって感じました…っ」
目に涙を浮かべ、切々と訴えてくる。
「こういうふうに、みんなで一丸となって何かするっていうのも初めてで、今のところ全然役に立たないけど、でも、端っこにいられるだけでうれしいんです…っ」
絆創膏を膝に貼った後、ソファから降りた昴は、ガバッとフローリングの床に両手をついて、深々と頭を下げてきた。
「もっと精進すると誓いますから、どうかこのまま、執行部隊に置いてください…!」
「………」
俺と翔真は顔を見合わせる。お互い、相手の言いたいことが伝わってきた。
変わってるけど、悪いヤツではないんだろう。たぶん。うん。
「わかったわかった。おまえがそれでいいなら、いいよ」
俺が言うと、翔真も続ける。
「昴さぁ、これから学校でイヤな目にあったら、すぐ俺ら呼べよ。そしたらおまえに何かしたやつら、きっちり後悔させてやっから」
仲間が困っていたら助ける。それも〈生徒会〉のルール。だからこれからは、ひとりで我慢するなって、いちおう言っておく。
「………っっ」
昴はとうとう、ぼろぼろ泣き出した。
「今ヤバいくらい幸せですわたしぃぃぃ~~」
ひとしきり泣いてから、手の甲で涙をふきながら、けろっと言い放つ。
「でももう平気なんです。ぶっちゃけ、この制服を着るようになってから、学校ではみんなから遠巻きにされてて、誰も近づいてこないから」
めっちゃ笑った。
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