第3章 駆除は数こなせば慣れる ①
翌日の朝は、いつもと変わらなかった。
茉子に声をかけて、台所でパンと牛乳の朝食をすませて、さっさと家を出る。
家から駅までの景色も、ほどほどに混雑した電車の中も、前の晩に起きたことは夢なんじゃないかって思うほど、いつも通り。
俺自身も何も変わっていない。…でもほんの少しだけ、まちがいなく変わった。
右手は今も、水から出ようともがくゴキブリの頭の動きを覚えている。少しずつ力が失われていく感触を覚えている。あれは夢じゃない。
「………」
右手をにぎりしめ、駅の売店に置かれた週刊誌の広告を眺めた。
『ゴキブリの反撃! テロ組織の資金&協力者を徹底調査!』
『身近に潜むゴキブリ支援者の巧妙な擬態』
刺激的なタイトルを目に焼きつける。俺のやったことはまちがいじゃないっていう、英信の言葉を何度も噛みしめる。
「はよー」
電車が駅で停まり、翔真が乗り込んできた。
顔を見るのは、ちょっとだけ気まずい。どうしても昨日のことを思い出してしまう。
沈黙ににじむ困惑を払うように、俺は口を開いた。
「…俺、〈生徒会〉入るよ」
「マジで?」
訊き返してくる翔真にうなずく。
「昨日帰るとき、中井先輩に言われたんだ。今日先輩んとこ行けば、制服くれるって」
翔真は少し考えてから「よし!」って自分を鼓舞するように言った。
「俺も行く。俺…正直言うと生徒会の幹部連中、けっこう好きだなって思った。結凪が圧倒的にかわいいのは当然として、英信や城川も格好よかったし…」
「…わかる」
主義主張とは別のところで、それはまちがいない。
「だろ? そう思うの俺だけじゃないよな!? よかったー!」
翔真は俺の肩を思いきりたたいてきた。
「それによく考えたら俺、城川が卒業式での襲撃に対応した時の動画、めっちゃ何度も見たもん。自分ねらわれてんのに全然平気な顔してさ、すげぇ冷静に対応してて、ほんとヤバいみたいな。昨日実物見て、動画のまんまな感じだったの感動したなー」
きれい、かわいい、カッコいいっていうのは、大事なキーワード。見た目の良さは好意に直結する。
だから幹部に顔の良いのそろえたり、制服をかっこよくして目立つ〈生徒会〉のやり方は、たぶんまちがってない。
「活動とかよりも、ビジュアルの人気で世間の支持を集めてるとこも、たしかにあるからなぁ」
中井先輩も、そう言って笑った。
放課後、「ここに来い」ってスマホに住所が送られてきて、早速訪ねた。向かってみると三階建ての小ぎれいなオフィスビルだった。
エントランスに中井先輩が待ってて、中に案内してくれる。
「オリエンテーションは、まぁふるいみたいなもんかな。やっぱ結凪目当てとか、単なる好奇心とか、冷やかしで来てるやつも多いから。あそこでガツッと現実を見せて、ついてこられるやつと、そうでないやつを選別するわけだ。おまえら、ふたりともよく残ってくれたよ」
先輩は両腕を開いて、俺と翔真の肩を抱いてくる。
「卒業する前に、おまえらを見つけることができてよかった!」
「え、卒業?」
翔真が驚くと、先輩は「しょうがないんだよ」と苦笑した。
「俺、来週一八の誕生日だもんよ」
「あ――」
そうか。一八を過ぎると、少年法が適用されなくなる。
その状態で〈生徒会〉を続けるのは、いざという時のリスクが高いから、十八歳になったら卒業するらしい。
話しながら、ビルの地下にある唐京〈生徒会〉本部に向かった。
「他のエリアは他のエリアで拠点があるから、普段ここにいるのは仲野や練間、杉波のやつだけだけど」
このオフィスビルの地上部分は、新聞社や出版社。主に〈西系〉に批判的な情報を発信するメディアが入ってる。
地下は三階まであって、それが全部〈生徒会〉の専有。
「この建物のオーナーが〈生徒会〉の支援者で、厚意で提供してくれてるんだ」
説明する先輩について地下に降りていく。階段を降りきった先は、ワンフロアの広い食堂だった。
長いテーブルが何列も並び、その周りにパイプ椅子が置かれている。十六時近い今は、制服を身につけた三十人くらいのメンバーが、集まってしゃべったり、ひとりでスマホをいじったり、めいめい過ごしていた。
食堂の床と壁、天井はコンクリートの打ちっ放し。
「暗いって、女子には不人気だけど、男には好評なんだな、これが。やっぱ、こういうほうがっぽいじゃん?」
先輩の説明に、俺達の背後から涼やかな声がかかる。
「演出は大事よ。どんなときも」
入口近くできょろきょろしていた翔真の肩がビクッと震えた。
「ゆ――」
俺と翔真がふり向いた先には、深紅の制服姿の美少女が立っていた。ジャケットのポッケに手を入れて、ミニのプリーツスカートからのびた長い脚を惜しげもなくさらして。
「結凪……っっっ」
あからさまに食いつく翔真を無視して、彼女は中井先輩に声をかけた。
「昨日の新入生でしょ? どこの班になるの?」
「とりあえず、俺の班に入れるつもり。
「そう。がんばってね」
いかにも社交辞令で言い、通り過ぎていく。目の前を横切るとき、茶色く染めた長い髪が、シャンプーのCMみたいに鼻先をかすめてなびいた。
あっという間に遠ざかる細い背中に向け、我に返ったように翔真が叫ぶ。
「あっ、あの! 好きです! めっちゃ好きです! デビューん時から、ずっとずっと見てました!!」
食堂中に響き渡るような大声に、結凪は足を止める。緊張しきった翔真と対照的に、落ち着き払った様子で肩越しにふり向いた。
「ありがとう。望みがないってわかってても、好きでいてくれて」
さらっと言うと、今度こそ去っていく。
「これからも応援します! がんばってください!」
さらなる熱血な訴えには、ふり向かずに手を振って答えた。
中井先輩が顔を手でおおう。
「…恥ずかしいヤツ…」
しかし翔真は気にしない。ただただ目を輝かせている。
「なぁ、今の見た? 俺に! 俺に向けて手ェ振った!」
「こっち見てなかったけどな」
「近くで見てますます可愛かった…。実物のほうがグラビアの何万倍も可愛かった…。ヤバい…いい匂いした…」
「結凪に夢見ると泣くぞ」
中井先輩は顔をしかめて声を落とし、ひそひそ声で言った。
「超ド級のサディストだからな。表向きは〈生徒会〉の広報担当だけど、実は拷問担当でもある。生爪とか、生皮剥がして、安ピン刺したり熱湯かけたりタバスコ塗り込むの好きらしいぞ。相手は男限定だけど」
「「………え?」」
翔真と俺の声が重なる。
その時、ポニーテールを揺らして階段を降りてきた美穂子先輩が、腕に抱えていた荷物を渡してきた。
「はい、制服もらってきたよー」
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