第2章 やられる側よりは、やる側のほうが…? ⑥

 硬派な副会長は、にこりともせず、低い声で淡々と宣言する。

「今からオリエンテーションに移る」


 すると、その大きな身体を押しのけるようにして、中学生っぽい少年が横からマイクを奪った。


「えぇと…初めて来た人のためにいちおう説明しとくと、オリエンテーションっていうのは、せっかく新しい人も来てることだし、僕らの活動がどんなもんかいちおう見せとく? って感じのお試しです。〈駆除〉の現場を見てもらおうっていうか?」


 軽い説明と共に、フロアの真ん中に、ガラガラと二台の台車で何かが運ばれてくる。

 一台には、たっぷり水の入ったでっかい水槽。


 もう一台には、目と口とをガムテープでふさがれ、両手足を同じくガムテープで拘束された――

(ゴ…ゴキブリ……?)


「………………っっっ」


 ドン引きしてるのは、俺を含めて、初めて来たっぽいやつ全員。

 その他の面々はスピーチの時のテンションそのまま、歓声を発して大変盛り上がっている。


 ガムテープでぐるぐるに巻かれ、芋虫みたいにされている〈ゴキブリ〉は、目元や口元が見えないせいで、年齢はよくわからなかった。

 体型から男だろうってことは、何となくわかる。


 でも、え、いっしょに駆除って…今から?

(いきなりかよ!?!?!?)


 頭ん中がそんな絶叫でいっぱいになる。

 ダメそうだったら途中で抜けていい、ゆるい集会なんじゃなかったのか!?!?!?


「…………」


 言葉もなく眺めていると、フロアにいた女が、マイク片手にテキパキと指示を出していった。


「水槽、そこに置いて。台車はあっち持ってって。あ、ゴキブリちゃんと押さえててね。――おーい、照明! 水槽に当てて!」


 よく見ればそれは美穂子先輩だった。

 フロアの真ん中の、ぽっかりと空いた空間に水槽がひとつ。そこに彼女の声に従って照明が当てられる。

 その脇に、芋虫みたいにぐねぐね動くゴキブリ。それを〈生徒会〉の制服を見につけた男がふたり、床に押さえつけていた。片方は中井先輩だ。


 威勢のいい歓声を上げて、手を振り上げて――あるいはビビった様子で、ぐるっと周りを囲む人垣に向けて、マイクを持った美穂子先輩が声をかけてくる。


「では、お手伝い募集します。初めての人、優先。我こそはと思う人は手ぇ挙げて!」


 すると、盛り上がっていた面々がいっせいに手を挙げた。

 美穂子先輩は苦笑する。


「初めての人が優先て言ってるでしょ。誰かいない?」

 私服勢を見渡した彼女の目が、ふと俺に止まった。

「あ、斗和君どう?」


 ほぼ同時にゴキブリを押さえていた中井先輩が声を上げる。

「おい翔真、来いよ!」


 指名された俺と翔真は、思わず顔を見合わせた。

「…どうする?」

「…行くか…今すぐ走って逃げるか…どっちかだ」


 翔真と見つめ合いながら、俺の脳裏には、じいちゃんの葬式で見た光景がフラッシュバックしてた。

 炎の中にゆっくり押し込まれていく棺。じいちゃんをゴキブリ呼ばわりしたやつに俺が抗議したせいで、何度も頭を下げる母親の姿。


 翔真はともかく、俺は――俺には、ここに来た目的がある。

「――――…っ」

 数秒考えた後、俺は意を決して進み出た。翔真もついてくる。


「よーし! 初めての子の勇気に拍手!」

 美穂子先輩が言うと、人垣から大歓声が起きた。


 真ん中に出て、所在なげに立つ俺達に加え、美穂子先輩は他に制服を着ている二人に声をかけて、合計四人を水槽の周りに立たせる。

 そこに中井先輩が、ゴキブリを水槽までズルズル引きずってきた。なみなみと水の注がれた水槽の縁にゴキブリの首を引っかけ、俺達をふり返る。


「暴れないように押さえろ」


 その声に、他の二人がすぐさまゴキブリの上半身を押さえ込んだ。

 中井先輩は、こっちに向けて言う。


「ぼーっとすんな。おまえらは脚持て」


 具体的な指示に、ごくりと息を呑んだ。

 ガムテープでひとまとめにされたゴキブリの脚は、けっこう激しく暴れている。

 なかなか動かない俺達に、ステージの上から英信が声をかけてきた。


「ひとつだけ保証してやる。ゴキブリ退治が罪に問われることはない。ルールはただひとつ。誰にも見られないようにすること。その鉄則さえ守れば、国が見ないふりをしてくれる」


 英信は、まっすぐに俺の目を見て言った。強い目に背中を押される。

(しっかりしろ。何のために来た? やるっきゃないだろ…!)

 自分を奮い立たせると、俺は床にしゃがみ込み、ガムテープでぐるぐる巻きになった脚にしがみついた。

 城川が無感情な声を張り上げる。


「ゴミは処分されるべき! ゴキブリは駆除されるべき!」


 フロアにいた人間が、それに唱和した。


 ゴミは処分されるべき! ゴキブリは駆除されるべき!


 その声に合わせて中井先輩が、うめき声を上げて抵抗するゴキブリの髪の毛をつかみ、頭を水の中に押し込んだ。

 ゴキブリは必死に抵抗する。バシャバシャと水が飛んでくる。全力で暴れる脚に、翔真とふたり、必死にしがみつく。


 ゴミは処分されるべき! ゴキブリは駆除されるべき!

 ゴミは処分されるべき! ゴキブリは駆除されるべき!


 コールが何度もくり返される。一体いつまで続くんだ?

 永遠にも思えるくらい長い時間、ひとまとめにされた脚にしがみついていると、やがてビクビクと全身で痙攣するような反応を見せてから、ゴキブリは少しずつ動かなくなった。


「………」


(終わった…)

 ドッと安心して、大きく息をつく。

 上半身を押さえていた〈生徒会〉メンバーの二人が、肩をたたいてくる。


「よくやった。最初ん時は、時間が長く感じるだろ?」

「実際はたいしたことないんだぜ」

「………」


 笑って言われたことに、ぐったりしながらうなずいた。

(こういうの、なんて言うんだっけ…?)

 殺人幇助? ほうけた頭のなかを、そんな単語がよぎる。


 思わず吐き気がこみ上げるとか、そういう劇的な反応はなし。ただ訳もわからないうちに終わったことに対しての混乱のほうが大きかった。

 自分の押さえていた身体が、ビクビク痙攣してから少しずつ動かなくなっていった――その感覚だけ生々しく覚えている。


「これが、俺らが普段やってることだ。耐えられないやつは今すぐ帰れ」


 そんな英信の声に周りを見ると、初めて集会に参加したっぽい私服のやつらは、すでにほとんどいなくなってた。

 私服で残ってるのは、俺と、翔真と、あと三人だけ。他は帰ったようだ。


 歓声を上げてる周りを見上げ、ひたすらぼんやりとしていた、その時。

 死んだと思っていたゴキブリが、突然海老のように跳ね上がる。


「――――…っっ!?」


 思わず、死ぬほどみっともない悲鳴を上げた。

(生き返った!?!?!?)

 ゾッとして、全身の血が逆流するような恐怖に襲われる。


「あぁぁぁぁ…!」


 考えるよりも先に、水槽から離れようとした死骸の上半身にしがみつき、頭に手をやって水の中に押し込んだ。

 それでもゴキブリは全力で暴れてくる。

 さっきよりもすごい勢いで、水がザバザバ跳ねる。


「翔真…!!」


 叫ぶと、ぽかんとしてた翔真が、慌ててしがみつこうとした。けど、激しく動く脚に蹴り飛ばされる。


「みんな、手伝って!」


 美穂子先輩の声に、大勢集まってきた。

 その助けを借りながら、無我夢中で死骸を押さえ込む。

 完全に動かなくなるまで、泣きながらひたすら踏ん張る。


 気がついたら、ステージにいたはずの英信が目の前に立っていた。

 赤い髪のチャラ男は、床にへたり込む俺の前にしゃがみ、ニィッと人なつこい笑顔を浮かべる。


「おまえ、名前何て言うんだ?」

「…美陵…斗和…」

「斗和か。〈生徒会〉に入るだろ?」

「………」


 カラコン入れてんのか、かっこいいグレーの瞳に見つめられ、色んなことに訳わかんなくなっていた頭が甘く痺れる。

 ふらふらと誘われるように…気がつけば首を縦に振っていた。


「よし!」


 英信は子供みたいに、嬉しそうに俺の肩を抱いてくる。

 そのまま俺ごと立ち上がり、周りに向けて訴えた。


「というわけで、新入りの斗和に拍手ー! 先輩の雑な仕事のフォロー、サンキューな!」

 気まずそうに、いちおう拍手をする中井先輩達に向けては、あきれる口調でつけ足した。


「おまえらはちょい反省しろ。Gが死んだフリして逃げようとするなんて、よくあることだろ。こいつら、そういう悪知恵だけは働くんだから」


(死んだ――フリ…?)

 英信の言葉で、ようやく何が起きたのかを理解する。

(そうか。生き返ったわけじゃなかったのか……)

 漬け物石みたいにのしかかっていた恐怖から、一気に解放された気分だった。


 考えてみれば当たり前だ。

 安心して、くずれ落ちそうなほど脱力しながら手の甲を持ち上げ、水をぬぐうふりで、さりげなく涙をぬぐう。

 その時、ふと気づいた。

(あれ…)


 てことは。

 もしかして今、このゴキブリにとどめを刺したのって――


(………俺?)


 今さらそんなことに気づいて、今度は別のショックに見舞われる。手が震えだした。

 水槽に上半身を突っ込んで、今度こそ死んでるゴキブリを、おそるおそるふり向く。


(え、いや、待って…?)

 自分の手と、ゴキブリとを見て、ちょっと混乱しかけた、その時。


 英信が俺の顔をのぞきこんでくる。

「最初からこんなふうにできるやつは、そうそういねぇ。おまえすげぇよ!」


 頭をグシャグシャ掻きまわしてきた。

 それでもぼう然と顔をこわばらせていると、英信はスッと笑顔を消した。「おまえさぁ」って、ちょっと声が低くなる。


「首相が暗殺された事件の映像見たろ? あれ思い出せよ」


 グレーの瞳にうながされ、言われるままに思い返す。

 テレビでくり返し、何度も見た。

 爆弾で吹き飛ばされた自分の腕を持って逃げまどう男子学生や、血を流してぐったりしてる友達を抱いて泣き叫ぶ女子学生。

 破片になって飛び散った遺体は、逃げる人達に踏まれて蹴散らされていた。


「こいつら、それを手伝ってたんだぜ? あるいは、これから自分で実行しようとしてたんだ」


 周りにいるメンバーがうなずく。美穂子先輩が言う。


「明日同じことが起きて、わたし達の家族が巻き込まれないって、どうして言いきれるの?」

「でも…でも俺、今…っ」


 手の震えが止まらない。涙目になった俺は、すがるように英信を見た。

 すると英信は、俺の頬を両手ではさんで、のぞきこんでくる。


「おまえは正しいことをしたんだ。誰かがやらなきゃならないことをやった。おまえはまちがってない」


 俺の中に、真実を塗り込めるみたいに言って、くしゃっと笑顔を浮かべる。

 覚悟を決めたその目に救われた。英信はもう何度も俺と同じことをしている。この不安と恐怖を克服してきた。英信の言うことはきっと正しい。


 笑顔を見て、そう信じることができた。

 俺は正しいことをしたんだ。みんなを守るために、どうしても必要なことだった。

 言われた言葉を自分でもくり返し、右手の震えを押さえる。


 ゴキブリの頭を押さえた右手の、なかなか収まらない震えに対して、声をかけ続ける。

 悪いのはゴキブリのほう。〈生徒会〉に捕まったからには、何かマズいことをしていたにちがいない。なのに往生際悪く、死んだフリして逃げようとするから――


 俺だって好きでやったわけじゃない。こうするしかなかった。そうしろって言われて、断れる状況じゃなかった。しかたがなかったんだ。――そう、しかたがなかった。


 翔真も、ぼんやり座りこんだまま中井先輩に労われている。

 俺の目に気がつくと、緊張に引きつった笑顔を浮かべる。


「正しいことをしたんだよ、俺ら。まちがってない」


 俺を見上げてくる。必死に。ついさっき、英信にすがった俺みたいに。

 だからうなずいてやった。


「おぅ、悪いのはゴキブリだ。俺らじゃない」


 かろうじて笑って返した俺の頭を、英信がぽんとたたいた。

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