八
彼ならどんなことを思い出すのだろう。売店で買ったソフトクリームを落として泣いてしまいそうになったところへ、私が自分のぶんのソフトクリームを差し出したことだろうか。二人で芝生に寝転がり、雲の形が何に見えるか言い合ったことだろうか。秋のころ、どちらがより多く木の実を拾い集められるか競ったことはどうだろう。彼を苦しめられるだろうか。
いや、決して苦しめたいというわけではないのだ、と相手もなく弁明する。ただ少しくらいは私と同じ思いをしてほしいだけだ。だって兄弟じゃないか。互いにたったひとりの兄弟を失った感情はきっと同じはずだし、同じであるべきだ。
とはいえ、『もし』を土台として築いた妄想は、たとえどんなに仔細なものであってもやはり妄想を超えることはなく、実際こんなにも考え込んでいるのは彼でなく私だ。その事実から目を背けているだけであることくらい、とっくに気づいている。それでも、この十二年間、私はそうやって気を紛らわせてきたのだ。もし死んでいたのが私なら、彼は同じように考えてくれるだろうか。兄さんは同じように考えてくれるだろうか、と思ってくれるだろうか。
なんだか酒が飲みたくなった。彼なら煙草を吸いたくなるのだろうか。父も、父方の祖父も、聞くところによれば曽祖父もヘヴィスモーカーであったらしいこの血筋において、煙草をいっさい嗜まないのは私だけだ。だから、彼が肺を患って死んだのであればまだ感情の整理もつけやすかっただろう。自分に関係のない、自分の理解できないものによって死んだのであれば、悔やみこそすれここまで悼み続けることはなかったはずだ。あんなものを吸っているからだと侮蔑することさえできたかもしれない。
彼なら、あんなものを飲んでいるからだと蔑むことができたならどんなにかよかっただろう、と考えるのだろうか。あのバーで、そんなに酒飲むんだね、と言ったのは確かに当てつけだった、兄さんから呼び出されたとき、本当は少しだけ期待をしていたのだ、大学をやめてまで出てきた東京で、大好きだったHyp-Henの一員になれたことを、褒めてもらえるかもしれないと考えたのだ、考えてしまったのだ、たったひとこと、すごいな、とだけ言ってほしかった、それだけでよかった、けれど八年ぶりに会った兄さんはなんだか表情の読み取れない顔でカウンターに俯いていて、僕が隣に座ってもずっと黙ったままだった、だから僕はしびれを切らしてあんな嫌味を言った、すべて酒が悪いような気がして、恨めしく思ったのだ、兄さんがアルコール中毒か何か、酒が原因で死んだのならまだよかった、それなら、あんなものを飲んでいるせいだ、で済ませられたはずだった、もし死んでいたのが僕なら、兄さんは同じように考えてくれるだろうか、煙草が原因で死んだほうがましだったと思ってくれるだろうか——なんて思ってくれるのだろうか。
次第に伸びる影を引きずるようにして進む。池はもう、すぐそこだ。無造作に踏んだ土が靴の端を汚す。身体のどこかが痛いような気がするけれど、どこが痛いのかわからない。
並ぶ木々が途切れ、ひらけた場所に出た。眼前にはずいぶんと寂れた池が広がっている。赤へと変わりつつある夕陽を照り返して水面が輝いた。眩しいとは思わなかったが、なんとなく目を細めた。
貸しボート屋も売店もなくなっている。建物があった跡すらない。鯉もどうやらいないようだ。池を縁取る柵に肘をつこうとしかけて、木が腐っていることに気づく。あたりを見回すが、ベンチのひとつもない。昔はあったように思う。
上に立てば壊れそうなほどに朽ちた小さな桟橋だけぽつんと残っていた。その手前には『危険』と書かれた看板がある。そうだ、ここにボートが泊められていたのだ。何艘か並んでいるうち、いつも私たちの乗るもの以外は、水に貼りついているかのように同じところにあった。本当に私たち以外の客はいなかったのかもしれない。
柵に触れないほどの位置で、さざなみの立つ池を眺めた。空を映した水を見て雲の流れを知る。首筋を撫でる斜陽はあのころと変わらない。帰りたくないな、という言葉が口をついて出たが、それは遠い昔の夕景が刷り込んださびしさから反射的に発されただけの、感情を伴わないうわごとのようなものだった。
浅く息をするたびわずかに服が動くのを感じる。この瞬間さえいずれ過去になるという事実が、なんだかひどく不思議なことのような気になる。いつか、まったく同じ感覚を抱いたことがあったはずだけれども、あれはいつのことだっただろう。
閉園時刻の三十分前を告げる放送が鳴る。年増の女性の間延びしたアナウンスと、その裏には安っぽい唱歌が響いている。私はゆっくりと地面に座り込んだ。かすかに湿った草と土が、脛から脚の全体をじわりと冷やしていく。
彼もここに辿りつくだろうか。ここで足を止め、昔日に思いを巡らせ、同じように膝をつくだろうか。こうして問うように考えることのすべては、結局のところ、そうであってほしいという願望だ。彩度も高まりきるほど繰り返した妄想に飽きがくるならばどんなにかよかっただろう。涙のひとつも落ちないことこそが答えだ。もはや飽きることすらできはしないのだ。
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