1-9.【Side:レオノーラ】召喚者は野望への接近を確信して歓喜する
うん。召喚術は、無事に成功したようだ。さすが、あたし!
異世界から、指定した条件を備えた能力者の魂魄(こんぱく)を、この世界に召喚して、術者の身に移す、召喚術。エグナー家直系の者で、生後十五歳までの間に所定の修行を終えた者のみが行使できるとされる、秘術。
さすがに疲労困憊(こんぱい)したみたい。朝になってもなかなか起きられない、いや、目が覚めなかったようだ。移された方は、かなり早くから動いていたようだけど。
術者たるあたしの体に、二つの魂魄が同居する形になる。いわゆる二重人格のようなものだが、大きく異なる点がある。
術者の魂魄は、被召喚者の魂魄に働きかけて行動、感情、知識、経験などを知覚できるほか、被召喚者の行動も、ある程度は同時に理解できる。また、被召喚者が覚醒していない場合でも、その知識や経験を知ることができる。ただし、被召喚者が覚醒している時は、その行動や感情を制約することはできない。
一方、被召喚者の魂魄からは、それが覚醒した場合、術者が許可した部分に限って、知識や経験を知覚できる。覚醒していない場合は、何もわからないので、自分が表に出ていない時、術者がどのような行動を取っているかは、知り得ない。
そして、いずれの魂魄が覚醒するかは、術者の判断のみで決まる。
二重人格ではなく、全く異なる人格が同居しているが、召喚した側が一方的に強い力を持つ。身体能力などはもともと術者のものだから、被召喚者の知識や経験を、一方的に利用させてもらうという形になる。
まあ、あたしが行った術は、成功という判断でいいとして、だ。
現在、あたしは、かなり厳しい状態に置かれている。あたしの頭では、もうお手上げ。
もともと資金も人脈もなく、打つ手がない中、異世界の知恵者を招聘(しょうへい)、いや、召喚し、その頭脳を活用してもらおうと考えたわけだ。せめて、相談できる相手がいれば、また違ったのだろうが、あたしの周りには、とてもではないけど、頼りにできる人がいない。もっとも、自分だけで突っ走ってきた結果だから、誰かに文句を言える筋合いでもない。
重ねていう。呪術自体は、確かに成功だった。
でも、あたしは最初、召喚した人物を観察して、失望した。いや、彼女個人にではなく、召喚元の世界に対して。
あたしが指定したのは、若い女性で、視野が幅広く、知的水準が高く、決断力がある者、という条件だった。最も重要なのは視野の広さで、これと知的水準の高さを重ねれば、上流階級で、なおかつ優秀な人材を取り込めると考えたためだ。
しかし、ダンスが踊れない? マナーを知らない? 身分違いを把握して対応ができない? 何だ、この女は。
文化、いや文明の程度が、明らかに低い世界から、召喚してしまったのだろうか。ダンスが存在しないとか、人と人の間のマナーが存在しないとか、身分の差異がないとか、そんな、余りにも原始的な世界からでは、知恵も何もない。
なるほど、知恵者と判断された者なら、深い思索によって立派な回答を出せる能力はあるのかもしれない。先文明期の哲学者が残した言行録が、今でも知識人の基本的な教科書になっているぐらいだから。
しかし、住んでいた文明の水準が低い者を召喚してしまえば、この世界のいろいろなことを理解するだけで時間がかかろう。それに、知恵が回る者であれば、好奇心を発揮して、新発見を楽しむ方に進んでしまうかもしれない。
でも、その考えは、程なく改めることになる。
彼女がこれまで得てきた知識へと、あたしが直接触れた時、その幅広さと深さに、最初は圧倒され、そのうち酔ったような気持ち悪さを感じるようになった。
なるほど、異世界での言語や法律などは何の役に立たない。でも、人を動かす術、人を判断する術、人の心理を読む術、人を成長させる術。集団を動かす術、集団の動き方を判断する術、人が集団の中でどのように思うかを探る術、集団単位で鍛える術。あたし、いや恐らく、この世界の発想にはないものだ。さらに、見たことのない数式、記号、概念、用語、論理、技術、科学。
彼女はいったい、何を、いや、どういうことを学んできたのか。
しかも、特定の分野だけをひたすら究めるのではなく、多くの分野の見識を広めてそれらを活用することで、実践的に結果を生み出していくという姿勢らしい。学問を追究する学者ではなく、社会を作り上げる官僚に近いようだ。ただ、この世界で、これだけ幅広い分野の見識を備えている官僚など、いるはずがない。そもそも、そんな者は、官僚にならないし、組織の中で生きられるはずがない。
驚くべきは、十五年以上も学校に通っていたということ。最後に通っていた大学とやらには、二万人を超える学生がいたというから、中には文字の読み書きで精いっぱいという者もいるだろうし、そう水準が高いものではなさそう。そこで、直近では毎日十二時間以上勉強に費やしていたというから、この知識は、もともと才能が劣っていた者が、不断の努力で習得したのだろう。
異常なほどの向学心だ。いや、向学中毒だろうか。
さらに恐ろしいことに、これだけの人物が、平民だという。王族や貴族のように、学究に専念できる環境にあったわけではないだろう。商人や職人なら、必要な勉強はするかもしれないが、十何年も勉強させるなど、経験を積ませる若い時期を無駄に過ごさせるようなものだ。それぐらいは、あたしにもわかる。
あらゆるものを捨ててまで、勉強にこだわったのか。
何かがおかしい気がする。
あたしも、王立学校ではしっかり勉強していたけれど、そんなに長時間かつ長期間、教えを受けることなど、あり得ない。
これほどの、狂ったまでに知を求めた知恵者。狂人となんとやらは紙一重というが、大丈夫だろうか。あたしに扱えるのだろうか。
いやいや。
それならそれで、いいじゃないか。
なんと、あたしがいくら考えても見当を付けられなかった、借金の背景に気が付いたようだし。
ただ、あの女の方からもプロテクトを掛けられるのか、正解はあたしには伝わってこなかった。この件に限らず、ところどころ、伝わってこないことがある。
わざわざ隠しているとも思えないが、いささか気になる。
まあ、それはともかく。
この籠の中から出してくれる知恵と力がほしい。
その条件さえ満たされれば、どうにかなるから。
証明のしようがないことについて、深く考えるのは、時間と労力の無駄だから。
そして、あたしでなければできないことを、進めていこう。
頽れている暇などないんだから。
---------------------------------------
有希江の受けている教育は、少なくとも学部レベルでは日本最高水準のものなのですが、この世界には“二万人を超える学生”を抱える高等教育機関などあるはずもなく、誰でも入学できる学校と思われるのは致し方ないでしょう。
それにしても、被召喚者たる有希江に自身の意思が皆無で、目標がないだけでなく、行動原理を規定する理由さえないことに、レオノーラは気付いていません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます