1-4.経済と治安の状況はよろしくないようです

《ここは王都。それなら、街の様子を直に見れば、いろいろと知ることも多いだろうし、無責任とはいっても街の噂もバカにはできない。特に“変化”を知るには、これが一番よね》


 屋敷の中にあったものをいくつか失敬してから、この街に秘められた謎を、ユキエさんがブラブラ歩いて解き明かす! いや、地形や地質じゃなくて、社会面の観察が中心だけどね。


 レオノーラの住む屋敷があるのは、貴族の邸宅が並ぶ一角。エグナー家は領地を持たない法服貴族で、王都にあるこの屋敷が唯一の持ち家らしい。下級の法服貴族だと、現代日本の郊外にある二世帯分譲住宅くらいの規模のものもある。エグナー家は割と古くから続いているようで、地方にある庄屋上がりの農家といった大きさ。


 ともあれ、邸宅街には、各屋敷に門番が置かれていることもあって、治安はいい。門番から話を聞ければ、いい情報が得られやすそうだけど、不審者と思われる可能性も高いし、この一帯での聞き込みはやめておこう。そもそも、お貴族様は、馬車で移動するのが一般的のようで、わたしみたいに徒歩でうろちょろするのは珍しいようで、紋章を付けた馬車を時折見かける。当家の馬車は見当たらないけど、馬小屋があって干し草が積まれているから、出払っているだけかもしれない。


 さて、街の本当の姿を見たければ、その街で最も貧しいところを見るべきだというし、わたしもそう思う。一時期、スラムツーリズムなんてのが流行したよね。でも、か弱い女性が一人で、そういう場所に足を踏み入れたらどうなるかなんて、想像するまでもない。まして、土地勘のない場所だし、レオノーラの身体能力もわからんし。


 そういうわけで、人通りが多く、商店が建ち並ぶ界隈にやってきた。果物をずらりと並べている店があるので、ひとまずそこに入ってみる。アケビのような茶色い果物が目に入った。


「おっ、お嬢ちゃん、そのベリッド、なかなか甘くて、水分たっぷりだよ」


「ベリッドっていうんですか。なにぶん、田舎から出てきたばかりで、何もわからないんですよ。どんな果物なんですか?」


「そうだねえ、シャクシャクした歯ごたえで、甘い水がたっぷり入ってるのがいいね。後味もすっきりしてるよ」


 ナシみたいなものかな。


「どうやって食べるんですか? 皮をむいて、とか」


「いや、そのままガブリで大丈夫だよ。歯が弱いなら、果物ナイフで小さく切ればいいさね」


「それじゃ、これを二個ください。お値段はいくらですか?」


「あいよ、六十ガルンだよ」


「こちら、お代です。……果物だけじゃなくて、食べ物のお値段、最近、どうなんでしょうか?」


 世間話を持ち込むなら、このタイミングだよね。


「どうにもいけないねえ。質は下がるし、値段は上がるし」


「不作なんですか?」


「いや、ここだけの話だけどね、王太子サマがやった減税というのが、実はけっこうまずくなっていてね」


 “ここだけの話”キター! ちっともここだけじゃないよね、きっと。こういう情報は、根拠として示すには使い物にならないけど、真実へたどり着くためのいいヒントになったりするのよね。


 ところで、減税って何だろ。減税と、農作物の卸売価格と、どう関係するのか、よくわからないんだけど。


「果物に限らず、いろんな物が、外から王都に入ってこなくなってねえ。今年はむしろ豊作らしいんだけど、税金が安くなった分だけ、お役人さまや兵士さまを減らすことになってねえ」


 小さな政府的政策ってことか。発想自体は悪くないけど、こういう中世モドキ世界でどこまで有効なのだろう。そもそも、政府支出の中で人件費の比率がそれほど高いようにも思えないけど。


「いえね、クビになった役人やら兵士やらが、盗賊になって、街道の商隊を襲うようになってね、なかなか届かなくなってさ」


 ちょっと待てや。


 徴税や治安維持以前の問題かよ。行政のリストラが一概に悪いとはいわないけど、失業対策ゼロで大規模な首切りなんて、何を考えているの。


 それに、役人やら兵士やらって、例え末端でも、統治機構の一端を担っていた連中で、そういうのに弓を引かせるって、最悪じゃない。


「だいたい、税金半分、役人半分、兵士半分、なんて言うけどさ、お貴族様は減らないってんだからねえ。あたしらにはわからんよ」


 あたしにもわからんよ。まあ、爵位は減らせない代わりに、手当の支給額は減らせるかも、いや、そうしたら、領民にしわ寄せが来るか。


「その減税って、王様が治めている土地だけですか? それとも、貴族様の領地もなんでしょうか?」


「一応、貴族様のところも同じらしいけど、そういうところは、税金取るのって貴族様だろ? 多分、何も変わっちゃいないよ。そのかわり、働く人が減らないで盗賊が出ないなら、そっちの方がずっといいのにねえ」


 なるほど、直轄領が疲弊して、貴族領が状態を維持。結果的に、財政面で領主貴族が富み、王室と法服貴族の力が弱まる。王権の手法としては、最悪の結果だよ。


「いろいろありがとうございました。お姉さんも、お気を付けて」


「あらまあ、こんなオバサンを捕まえて、何言ってんのさ。それよりも、あんた、いい男捕まえなよ。そうそう、うちの甥っ子がね」


「失礼しましたー」


 どうでもいい話は切り上げよう。


 しかし、流通に大きな悪影響が出ているのか。果物屋さんの話では曖昧だったけど、村落の治安も悪化していると見ていいか。物流と治安、経済を回す必須条件の二つを悪化させている。うん、経済政策はおそらく失敗してるね。このままだと、食料品の価格だけ上昇、後は全部下落という、最低最悪の流れになりそうだ。食料と材料が高騰して景気悪化って、スタグフレーションの典型例だもんね。


 次は、消費者側の視点が欲しいけど、行き交う人を見ると、商人や職人ばかり。ホワイトカラーが社会階層として成立していないのは当然としても、インフラ整備や市内警備の人が居るはずなのに、どこにも見かけない。


 そういえば、王宮を取り囲む壁があちこち崩れかかっているし、穴が空いているところさえある。もし敵がここまで攻めてきたら、とても守れそうにない。いや、王都のこんなところまで敵軍が攻め込んでいたら王都失陥は不可避だろうけど、王都に住む民への権威誇示にならないだろうに。


 路面もガタガタで、凹凸がある程度ならまだしも、ところどころ落とし穴のような陥没があって、馬車はおろか荷車だって通せそうにない。王侯貴族が通る道が別途あって、下々が使う道は整備しなくてもいいということか。それだけ財政を切り詰めているのだろうが、どう見ても、活気が失われて空気が淀みつつあるように見える。


 相当に無理して政府支出を削減していることはうかがえるけど、どう見てもデメリットが大きい。膨大な債務で首が回らなくなっているのかな。でも、債権者がいるとすれば大商人だろうし、それなら都市が荒廃して経済活動の低下を招くような策は絶対にさせないはず。政府がそんなことをしようとすれば、債権者として待ったを掛けるだろう。あるいは、富裕貴族が多額の債権を有しているのか。いや、その場合も、悪評が立つ原因になるから、そういう手を打つとは思えない。名誉が大事な貴族層は、評判を何よりも恐れるだろうから。


 そうなると、バカな取り巻きが甘言を弄して、決定権者に都合のいいことを吹き込んで、事後の検証など何もせずに放置しているだけ、という、低レベルの話か。現代日本でも、予算を獲得するときは血眼になるし、予算に応じた事業はビタ一文残さず全力で執行するけど、その先のことには誰も見向きもしないというのは、珍しくない。PDCAサイクルなんていっても、だいたいDで終わって、Cの頃には次のPに移ってしまう。


《まあ、狭義の内政分野については、だいたい見当がついたかな。手は打っているけど完全に裏目に出て、それを改善する兆しがない。誰が、というわけではないけど、政府としては完全に失敗ね》


 いろいろ考えながら歩いているが、行き違う人もあまりいない。しょうがないので、開いていた茶店に入った。開いていただけでなく、空いていたけどね。


 それはいいとして、着席しても、メニューがわからない。内容がわからないのではない。書いてあることが読み取れないのだ。えもいわれぬ屈辱を感じる。非識字者は、こういう感情を抱いていたのか。現状把握の材料にはならないけど、一つ賢くなった気はする。


 仕方ないので、店員を呼ぶ。田舎者でよくわからないので、わたしぐらいの年齢の娘の間で人気のある飲み物をお願い、と頼む。不審者に思われたくはないので、ここでも田舎者と言っておく。多少ぼったくられるのは計算のうちだ。


 しばらくすると、お茶です、という言葉と共に、店員がテーブルへことんとカップを置いた。うん、ロクロを使っているから、これは土器じゃない……須恵器か。庶民が使うものの方が、男爵家のそれよりいいじゃないの。ふむ、男爵家の相対的な生活水準が、ある程度わかった。ちっとも嬉しくないが。


 出されたものを見ると、ドロドロして黒い。香ばしい風味が鼻をくすぐる。エスプレッソ、いや違うな、トルココーヒーか。砂糖がほしいけど、テーブル上にはない。店員を呼んでもいいけれど、いや、初物だから、ストレートでいこうと、意を決して口に含む。


 ぶへっ、げほっ、どふっ。


 貴族家令嬢としてはあり得ない音が、わたしの口から出る。このお茶を吹き出さなかっただけでも、十分に褒められると思う。うまいまずいじゃなくて、わたしには、これをお茶と評するのは無理だ。


 まず、鼻を近づけたら確かに香気を感じるのに、口に含むと何の香りもしない。鼻先香と口中香で役割を変えるのはわかるし、ワインやブランデーを味わう時もこの二つは明確に分けるのも知ってる。でも、口に入れて何の香りもしないってのは、どういうことよ。いや、逆ならまだわかるよ、フレーバー入りの清涼飲料水でもそんな例はあるから。いずれにしても、化学成分的な意味で興味はあるけど、飲み物としては最低のような気がする。


 味については、謎の酸味がキツい。酸味といっても、キリマンジャロやモカのそれとは違って、ビリビリと舌を刺す、尖った酸味。それでいて、苦みも渋みもないんだから、そもそもこれをお茶と言っていいのか、困る。強いて例えるなら黒酢ドリンクなんかが近いけど、あれより刺激がはるかに強い。


 舌触りは、サラサラでもドロドロでもなく、何と言えばいいのか、ネッチョリ系というかドロリ系というか。液体と呼べるギリギリ、シェイクや飲むヨーグルト的な感触。でも、酸味が強くて、香りがしない。せめて、バニラかライムでも加えれば、少しはマシになると思うけど。


 もう、この物体については、諦めよう。一応、商品名を聞いてはおいたけど、二度と口に、いや、目にしたくないから。


 さっさと店を出ようと腰を浮かせかけた時、少し離れた脇から、酒の臭いが漂ってきた。まだ昼前のこんな時間から酒かよ、と思ったけど、夜勤明けの人もいるだろうし、決め付けはダメね。


 そっちを見ると、複雑な紋章が入ったエンブレムを付けた軍服を着ている。それなりの階級にある正規軍人だろう。


 さっそく聞き耳を立てることにした。

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