1-3.食事がおいしくないことを知りました

 レオノーラの知識から、屋敷にいる人間の情報を引き出してみると、レオノーラの他、当主=義父=叔父、義妹、使用人二人ということが判明した。


 いや、ちょっと待て。


 家族が少ないのは、わかる。子供が一人でしかも女性だけ、当主が独身。このままじゃ後継者が絶えそうだけど、そこは養子とか、いろいろ手があるのかもしれない。そもそも、女性の家督相続が可能なのか、その辺の見当もつかない。詳しいことは調べなきゃわからないし、興味もあるけど、そんなことを調べている暇は多分無いから、置いておこう。


 しかし、使用人二人というのが気に掛かる。二人では、料理や家事などの雑務だけで精一杯だよね。下級とはいっても貴族なら、執事とか家宰とか呼ばれる、家内事務を担当する上級使用人がいると思うんだけど。それに、警護担当とか、馬車の扱いとか、職掌はたくさんあるはず。


 屋敷の中を歩く限り、いかにもファンタジー世界らしいというか、中世後期ヨーロッパを、日本人のイメージに即してアレンジした感じに近い。物質文明の水準は、現代日本とは比較にならないほどの低い水準のようで、それならなおのこと、雇用される人数は多くなるのが自然だろうに。


《小さな政府ならぬ小さな支配階層という認識……ってのは考えすぎか。単純に、この家が貧乏と見るべきか、成り上がったばかりの名ばかり貴族なのか》


 小さな支配階層なんて面白いかもと思ったけど、そもそも、そんな社会は時代を問わずほとんど存在しない。例え絶対的権力が国王に集中していたとしても、その国王を支える者に対しては、王権の権威を間接的に示すため、外からもわかるような格式の高さが求められる。逆に、平等主義的な思想を掲げた場合は、ノーメンクラトゥーラの富裕層化が起きるのが常だ。


 いや、経験的にあり得ない、というのは、あんまり説得力ないんだけどね。論理的にあり得ない、じゃないから。まして異世界だし。うん。当地における貴族層、特に男爵格程度の貴族層が、社会階層としてどのような位置付けに規定されるか、とても興味深いテーマ……いや、今はそうじゃない。現実逃避はよそう。


 屋敷の間取りについては、レオノーラの知識から簡単にわかった。広さとしては、屋敷と呼ぶにふさわしい規模に思える。空き部屋がやたらと多いようだけれど。没落して使用人が減ったのか、成り上がって古い屋敷を買い取ったのか。


 さて、食堂に入ると、朝食がテーブルに用意されていた、けど。


 いかにも堅そうなパンが一切れ、クロスも何もないテーブルの上に直接、どんと置かれている。皿も紙もない。これはまあ覚悟していた。現代日本のような衛生観念を求めること自体が間違いだし、慣れるしかないだろう。


 しかし、その脇にある食器には、衝撃を受けた。素焼きで、しかもロクロなどを使っていないため、たわんでおり、しかも分厚い。


《弥生式土器?》


 そんな感想が口をついて出てしまったのは、日本生まれ日本育ちとしては致し方ないと言わせていただこう。中世ヨーロッパの食器なんてどんなものだったのか知らないけど、なんぼなんでも、この器はないわ。せめて木製にした方がよくね? そういえば、貴族屋敷というのに、調度品に焼き物が一切見られない。獣の剥製や武器は置かれているけど。


 まあいい。とにかく、朝食は一日の始まり、メシを食わんと戦えん。いただきます。


《……》


 パンはいいとして、土器、いや食器の中に入っている液体、恐らくスープなんだろうけど、これを飲んでも、味が全くしない。いや、調味料自体が使われていないようだ。野菜のカケラが入っていてうっすらと甘みがあるから、単なるお湯ではないんだろうけど。


 わたしは、調味料に対しては、悪い意味でこだわるタイプだ。たっくんと一緒に料理したとき、醤油でヒガ○マルばっかり使うんはにわかや、せめて○天ぐらい用意せな! ソースは、オ○バーやのうてブ○ザーとば○を常備せんと! 大手のモンばっかり使こてたら、舌がアホなるで! とか力説して、呆れられてたなあ。上京して、風味の強すぎる千葉の醤油や、一種類しか用意されないことの多い関東のソースに閉口して、調味料を扱う高級スーパーへ日参して、エンゲル係数がすごいことになって。通販を使うと、送料の負担が大変で。


 いや、だから、現実逃避はやめよう。ひとまず、この家での食事が、味付けレベルで、食えたものじゃないことはわかった。それでも、我慢してなんとか口に流し込んで、席を立つ。


 当主=義父との関係は最低最悪のようで、廊下ですれ違っても黙礼する程度のようだから、下手に近づくのは危うい。そもそも、そういう時、男爵家令嬢が当主に対してどのように振る舞うべきのか、さっぱりわからない。社交の場でのダンスやマナーはもちろん、基本的なあいさつや、社会的地位ごとに使い分ける対処法など、貴族として必要となるだろう知識なんて、ひとかけらも持ち合わせちゃいない。日本育ちの小市民にそんな知識を求められても困るのだけど、現実にここで生きている以上、どうにかしないと。レオノーラの知識にアクセスしようとしても、そういうのは体が覚えているだけで知識としては摩耗しているようで、さっぱりわからない。使えねえ。


 振る舞いについてはひとまず棚上げするとして、屋敷にある書庫へ向かうことにする。下級とはいえ、それなりの歴史を持つ貴族ということだろう、資料がいろいろと揃っているようだ。


《読めるかな……》


 この世界の文字なんてわからないし、言語も……いや、さっき使用人に声を掛けられたとき、自然に対応できた。つまり、少なくとも会話については、心配ないということになる。ここまで判明している関係者の名前はドイツ人っぽいけど、言葉は現代ドイツ語とはだいぶ違うようだ。まあ、見るだけ見てみよう。


《なるほどわからん》


 丸っこい文字がずらずらと並んでいる。ローマ字ではない。キリール文字でもアラビア文字でもない、いや、それらでも読めないけど。元の世界では、確かタイ文字やジョージア文字がこんなんだったけか。行頭から見るに、右から左へと読み進むということは、何とかわかったけど。


 いずれにせよ、文字が読めないのでは、資料から情報を引き出すのは不可能。それと同時に、文字で書かれた情報の密度に、今更ながら気付かされる。


《この世界では、わたしは非識字者ってことね。会話でしか情報が得られないのか。すっごく痛いなあ》


 こうなると、屋敷に留まっていても、得られるものはほとんどないだろう。


 いったん部屋へ戻り、使用人が着ているような粗末な服に着替えて、屋敷の外に出た。なんでそんな粗末な服があったのかは、不愉快な答えにたどり着きそうなので、気にしないことにする。


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有希江は食材よりも調味料にこだわる派です。しかし○天って、伏せ字になってないですね。

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