1-2.状況が切羽詰まっていると認識しました
《婚約破棄の一件が避けられないなら、弾劾の尻馬に乗って悪役令嬢を切り捨てるか、悪役令嬢を擁護して論破し脱出するか、一切合切を放り出して逃げるかの、三者択一になるけど》
わたしは、冷酷になれる人間だと思う。
普段から冷たいと言われるのははなはだ心外だけど、もし自分や大切な人が危機に陥ったら、ためらうことなく、障害になる相手を全力で排除する。たとえその相手が、何の罪もなく、またわたしに何の敵意も持っていないとしても、関係ない。わたしにとって大事なのは、自分の敵か味方か、ではなく、自分が愛情を注ぐ相手かどうか、なのだ。だから、悪役令嬢たるレベッカ嬢がどのような人だろうが、少なくとも最初の段階では、全く考慮に入れない。邪険にする理由もないけど。
しかし、悪役令嬢を切り捨てて王太子に付くとして、その後はどうなるか。
《悪役令嬢を切り捨てるなら、婚約破棄劇場開演に向けて準備することは特になさそうだし、その意味では楽っちゃ楽。でも、王太子の権力基盤、王太子の政治手腕、彼が執着しているらしいレオノーラと王太子との関係、王太子の政敵のポジションと行動予測、このあたりを確認できない限り、安易に動くのは危険ね》
勝ち馬に乗るとしても、馬から振り落とされる可能性と、振り落とされそうになった場合の対処を検討しなければいけない。
もともと、公開の場で婚約破棄を宣言するという行為自体、かなり無茶なものだ。この世界での法や慣習がどうなっているかは知らないけど、婚約とは結婚の約束という公開契約であって、それを一方的に破棄するというのは、無理筋に違いない。目的から見ても効果から見ても、相応の重要性がなければ、そんなことをやる意味はない。
つまり、合理的に考えれば、何かが背景にある、と思っておくべきで、それを把握しておかなければ、あまりにも危険が大きい。この何かとは、一人または具体的な黒幕を特定できるとは限らず、もっとふわっとした、漠然とした不満が渦巻いて、それが集合的悪意とでもいう形になる場合もある。こうなると、その“何か”を敵として相手にするのは、はなから無理だ。
もっとも、甘やかされた王太子の自己愛と自己顕示欲が肥大化していて、自分大好き人間が権力を笠に暴走しているだけという、ずっと単純なのが実情かもしれない。でも、それならそれで、彼をたきつけた黒幕、あるいは利益集団が潜在していることも考えられる。その場合、婚約破棄によって誰が得をするのか、損した者を見て誰が喜ぶのか、それを見極める必要がある。
二番目の選択肢、悪役令嬢を擁護するなら、どうなるか。
《最高権力者に真っ向からケンカを売ることになる。準備なしの丸腰なら、修道院どころか首チョンパ、これじゃ論破できても、相手の政治基盤が多少揺らぐ程度で、こちらにメリットはない。そして、わたしには、自分で使える武力はない。成功させるなら、クーデターか要人暗殺が必要でしょうね》
王太子の行動に正当性がまるでない場合は、臣下のうち中立組は敵に回らない可能性はあるし、婚約者のレベッカ嬢に同情的な人が多いなら味方にできる。でも、権力者にかみつくのであれば、少なからぬリスクがもれなく付いてくる。そもそもわたしには、王太子個人への恨みがあるわけじゃないから、刺し違えてまでぶち殺すというつもりはない。いや、ぶち殺して事態が解決するならそれでいいけど、後始末を考えれば愚策と断じていい。
そういう前提からは、王太子権力に対抗しうる貴族勢力と、瞬時に行動するよう命令を下せる武装組織を確保するべき、という結論になる。でも、一介の男爵家では無理なのも自明。かなりの力を持つ実力者を強い味方にできなければ、クーデター計画なんて砂上の楼閣。まして暗殺となると、そういう技量を持つ人間に接触するのは困難だろうし、報酬を用意できるとも思えない。そもそもこの世界に、某十三氏みたいなのがいるかわからんし、いても先立つものがあるとも限らない。
ともかく、王太子やその周辺の警備体制どころか、そもそもどこに住んでいるのかさえわからないのでは、手の打ちようがない。
最後に、逃げる、というものがある。三十六計逃げるに如かず、どう攻めても詰んでいるなら、これが一番いい。
その場合、最も重要なのが逃走先の確保だ。
小規模な男爵家では、拠点を離れた時点で貴族様としての威光など何もないから、逃走自体はそれほど難しくないと思う。一族郎党全員連れるとなれば無理があるかもしれないけど、自分である程度走ることのできる体力持ちで固めて頑張れば、一日二十キロ少々は移動できるか。
国内がガタガタになっているなら、ツテのある大貴族に保護を求めるのが常道だろうけど、支配体制がそれなりに安定している、つまり王家の権威が十分に行き届いている場合は、ふん縛られて罪人ですと国へ手土産献上、ということになりかねない。信のおける味方を見極める必要があるけど、それだけの情報を収集して、かつコンタクトを取る時間的余裕があるか、という懸念が残る。敗走した将を、案内した家臣が襲った例など、日本の戦国時代だって、朝倉義景とか武田勝頼とか、なんぼでもある。負け続けても、旧臣の暗殺を切り抜け、後援者が見放さなかった一条兼定みたいなことを期待してはいけない。
山村に潜伏することも考えるが、わたしはまだしも、貴族様である家族などが、その生活に耐えられる保証はない。近隣住民に多大な迷惑を掛けた揚げ句、これまたとっ捕まる、という未来予想図が、簡単に頭に思い浮かぶ。そもそも、社会的自認は庶民のわたしだって、生活水準は二十一世紀日本がベースなんだから、適応できる自信はあまりない。家族なんかポイというのもアリだが、純然たる一人逃亡作戦というのは、物質的にいろいろ厳しいだろう。
逃げることそのものより、逃げおおせた後の方が怖い。
これなら、リスク覚悟で攻めるべきで、第三の選択肢は却下とすべきだろう。
《さて、どちらを取るにせよ、まずは王太子がどのような人間で、どのような基盤を持って、どのような行動や政策を採って、どのような志向をしているか。それを把握することかな。それから、レベッカ嬢とその周辺の調査》
どのように生きるか、ではなく、どのように生き延びるか、を考えるのは、実にうっとうしい。平和な資本主義世界なら、取りあえず職を手にすれば何とかなるけど、たぶん、この世界はそんな甘っちょろいものじゃない。リヴァイアサン状態と考えておくべきだ。
剣と魔法の世界でモンスター狩りでもするなら、頭空っぽで経験値を稼いでいけば何とかなるかもしれん。ほら、スライムを毎日倒し続ければ、そのうち最強の魔女になれるって話もあるし。楽そうで楽しそうだ。いや、あれは確か、三百年ぐらいかかるのか。不老不死でなきゃ無理だ。
でも、現状はちっとも楽しくない。楽しくないけど、何もしなければ、さらに面白くない結果が確実に来る。
《王太子を直接調べるのは、例え先方が男爵令嬢にお熱だとしても、危険が大きいし、そもそも方法が限られそう。王太子の情報を比較的得やすい立場で、それでいて王太子に批判的または中立的な立ち位置に居る人とコンタクトを取ることが必要か》
いろいろ調べているのを嗅ぎつけられると厄介だから、本来なら、慎重に取り組むべきだ。しかし、くだんのイベント開演まで一週間と迫っている。短期決戦となれば、多少違和感をもたれる程度なら、気にせずに進行させるべきだ。誰が敵なのかわからないけど、先手を打たれて対策を取られさえしなければ、それでいい。
《結局、男爵家令嬢程度の地位でも、その気になれば簡単に得られる情報を、時間的に可能な限り多角的に集めて整理、それを基に戦略を立てる、という感じね。基本的な情報収集にかけられる時間は、今日と明日の前半ぐらいまでかな》
ベッドの中で、そんなことを考えながら、もぞもぞやっていると。
「お嬢様、朝食の準備ができました」
「ありがとう、すぐに行きますね」
わお、使用人がいるのか。ただ、部屋の外から声を掛けるだけで、服の着替えを手取り足取り、というわけではない。男爵家程度なら、この世界ではこういうものなのか、当家がやたらと貧乏なのか、あるいは実子でないレオノーラがひどい取扱いを受けている証拠の一つなのか。
何にせよ、確かめなきゃいけないことは、山のようにある。
まだ、日が出て間もないけれど、この世界の人々は、早寝早起きなのだろうか。
ともあれ、面倒くさい一日になりそうだ。
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