いちにちめ。-召喚-

1-1.気が付いたら異世界でした

《ん……》


 窓の外が、うっすらと明るくなりつつある。もうそんな時間か。


 だけど、なんだか様子がおかしい。


 机の脇に、うずたかく積まれていたはずの、本や資料コピーの山がない。


 趣味でくみ上げた、どデカいフルタワーの自作PCがない。


 テーブルの上へ無造作に放っておいた、ペットボトルが飛びだしているレジ袋がない。


 それより何より、自分の体が、おかしい。


《うわあ、胸がデカくなってる! やったぜ、二十ン歳にして、ついにEカップ到達! これでもう二度と、ステータスだ!とか言わせない……って、そうじゃねえよ》


 はあはあ。うん、現実逃避はやめよう。


 ベッドに横になっているのはわかるけど、肌に触れている寝具の一切に心当たりが無いし、天井にも見覚えが無い。ぐるりと見回してみても、やはり初見だ。また、病院などの施設というわけでもない。


 そして、調度品が、普段見慣れているものと、大きく異なっている。


《さっぱりわからん。でも、ここが、現代の日本じゃないことは間違いない……いわゆる、異世界って、やつ?》


 日本で、ライトノベルやネット小説の定番テーマだった、異世界への転生、あるいは異世界からの召喚。その結果、日本で生活していた記憶を保持したまま、異世界へ移る。そこで、元の世界の知識と能力を生かして、大活躍。


 ここは、そんな舞台のようだ。


 真面目に取り合うのもバカバカしい話だけど、目に入ってくる光景から判断する限り、そうとしか思えない。


《そして、この世界でのわたしは誰か。環境や状況はどうか。生き延びるためにはどうすべきか、何を避けるべきか》


 日本国内を旅行する時なんかは、下調べをほとんどせず、ぶっつけ本番で現地を訪れるのも楽しい。でもそれは、治安が良く、主要交通機関など各種地図情報が頭に入っていて、言葉が問題なく通じて、ハプニングが起きても容易に対処できるからだ。右も左もわからない、得体の知れない世界でそういうことをするのは、無茶や無謀を通り越して、自殺行為に他ならない。


 つまり、現状の把握と整理が最重要ということになる。


《まず、この肉体。一応大人の体ではあるけれど、明らかにわたしのじゃない、別人のもの。そして“この世界”におけるわたしの過去の記憶は……何も出てこない》


 この体の持ち主の“前世の記憶”が覚醒したのではなく、この体に、わたしの“意識”が植え込まれたということか。


 そうすると、元の持ち主の意識はどうなっているのか。頭の中に、自分以外の存在があるのではと、意識してみると。


《そのまま残ってる……いや“眠っている(スリープ)”状態か》


 どうしてそうなっているのか理解できないし説明もできないけれど、他の意識がもう一つあることは知覚できる。それが恐らく、この肉体の本来の持ち主が持っているものなのだろう。知識だけが残っているのが、自我も有しているのか、そのあたりの詳細はさっぱりわからない。


《元の持ち主の意識の上に、わたしの意識が、上乗せされているというわけか》


 今のところ、わたしの意識、というより自我は、目が覚める前と変わっていない。すなわち、この二つの意識は完全に独立している。記憶を探っても、元の持ち主のものと混ざっている気配はないし、欠損もなさそう。


 つまり、わたしの記憶は、融合も上書きもしていない。異なるレイヤーを形成して併存していると判断できる。


《しかも、元の持ち主の記憶や経験にも、多少はアクセスできる、と》


 他人の記憶や経験だから読み取り専用(リードオンリー)なのは当然として、感情や思考へはアクセスできないようだし、記憶や経験も一部はプロテクトがかかっているみたい。


 これから察するに、元の持ち主の意識は、わたしの意識が入ってくることを前提にして、アクセス権限を整理した状態で、スリープになっていると推測される。


《体の持ち主の意図はさておき、人為的に“召喚”されたことが確定、か。そこには、何らかの目的があるのだろうけど、それに乗るのはシャクだわ》


 召喚した者や、その目的を探ることは、今後重要になるのは間違いない。でも、喫緊の課題ではないだろう。まずは、現状、生き延びることが必要で、そのための情報整理が先だ。


《クソ多忙だった現役学生という経歴が生きてくるわけか》


 これでも、頭脳を高速フル回転させて処理する訓練は散々積んできたし、膨大なデータから必要なものを抜き出しながら優先順位を付していくことは、わたしの得意技なのですよ。


 さて、第一に調べるのは、この体の持ち主とプロフィール、この家に住んでいる者、場合によっては今日の用事か。ルーティンが急に乱れると周囲から不審がられるから、確認は大事。


 それで、わかったことを整理しよう。まず、この体の持ち主について。


 レオノーラ・エグナー、十六歳。


 領地を持たない法服貴族、ドゥルケン男爵家令嬢。正確には、前当主の娘で、前当主の弟である現当主の姪だったが、前当主の急死に伴い現当主の養子になる。何らかの称号を別途持っているみたいだけど、詳しくはわからない。


 現当主には、他に実の娘、イザベラ・エグナー、十五歳がいる。現当主はイザベラばかりかわいがっていて、継子であるレオノーラのことは冷遇している。イザベラも、レオノーラが持っているものを何でも欲しがる、いや奪いたがるため、レオノーラはごく最低限の物しか身に付けていない。遊び好きで毎晩出歩いているイザベラと違い、レオノーラはおとなしくしているしかほかにない。


 そのいっぽうで、レオノーラは、この国の第二王子にして王太子(二十歳)にたいそう気に入られており、周囲には王太子の愛人として認識されている。第一王子はすでに他界しているらしく、王位継承をめぐる争いはないらしい。ただ、レオノーラ自身が、この状態をどう受け止めているかは不明。


 王太子には、レベッカ・ハーマン(十七歳)、ファイゼルト侯爵家令嬢という婚約者がいるのだが、王子は彼女に対して非常に冷淡で、王宮で顔を合わせることがあっても、儀礼的に最低限の挨拶を交わすのみ。レベッカ嬢側はともかく、王太子側の感情は冷え切っているものと思われる。


 そして、この王太子、よりによってレベッカ嬢との婚約を一方的に破棄して、レオノーラと婚約しようと考えていて、それを、七日後のパーティーで発表しようとしているらしい。


《悪役令嬢弾劾と婚約破棄、かあ。乙女ゲームかよ》


 か弱い女性主人公が、あまたの貴族令嬢たちの妨害をけなげにはねのけながら、将来を約束されたイケメンたちのアプローチを受けていき、最終的に誰かと、あるいはみんなと結ばれるというストーリーのゲームがあって、それを“乙女ゲーム”と呼ぶらしい。主人公の行動によってルートが分岐したり、パラメータを上下させたりするらしい。実際にプレイしたことはないから、詳しいことはわからないけど。


 それで、少なくとも公式のラスボスである王子様とのエンディングでは、ライバルにあたる女性主人公にさんざん嫌がらせを重ねてきた王子様の婚約者である悪役令嬢が、パーティーの場で弾劾されて婚約を破棄され、女性主人公が王子様と婚約する、という流れという。


《そして、ネット小説系のストーリーという可能性もあるのか》


 ゲームオリジナルなら、女性ヒロインが自分の良心をもって行動して、非道なことをする悪役令嬢を退ける流れになる。


 でも、乙女ゲーム世界を取り扱うネット小説の界隈では、ヒロイン側が最初から最後まで腹黒く、打算的な行動を重ねるか、何も考えずにひたすら欲望のまま突っ走るか、いずれにせよ、ゲームの主人公=善人とは程遠い動きをする。最終的には、ヒロインならぬヒドインが無実の悪役令嬢を陥れ、あるいは陥れようとして、逆に酷い目にあう、というのが定番だった。こういった、因果応報で溜飲を下げることを“ざまぁ”といってたね。


 翻って、ここの世界では。


 レベッカ嬢がレオノーラをいじめたり、陰でこそこそいじめたりしたことは、少なくともレオノーラが把握している範囲では、ないようだ。一方で、レオノーラ、そしてドゥルケン男爵家自体、貴族界ではあまり好意的に見られておらず、やや孤立気味なのは間違いなさそう。ネット小説系で話が進む可能性もある、と。


 現代日本には、ネット上の小説投稿サイト「作家をめざそう」とか「マルヨミ」というのがあって、日々いろいろな作品が掲載されていくけれど、異世界へ連れてこられる、姉妹格差と毒妹、悪徳ヒロインが鉄ついを下される婚約破棄宣言となると、うん、めざそう系作品テンプレ三点セットだね。乙女ゲームは未経験だけど、隙間時間に「めざそう」や「マルヨミ」をよく読んでいたから、こういった展開はわたしにはなじみが深い。ちっともうれしくないけどな。


 なお、現王は若年性認知症なのか、判断能力がかなり微妙で、日常生活を送るのが精いっぱいの状態らしい。現代日本でいえば、保佐人のレベルと思われる。したがって、この国の実質的な最高権力者は、王太子ということになっている。


《ごくごく最低限の情報、か》


 もっとも、一見事実らしく伝えられている情報も、単純にレオノーラの知識から得られたものに過ぎない。そこには、彼女の選択、さらには恣意(しい)が、意図しているか意図していないかにかかわらず、介在していると見るべきだろう。彼女の視野や価値観、性格や感性がわからないまま、うのみにするのは危険。


 特に、あちこちで“ひどい目に遭った”“いたぶられた”という表現が散見される。こんな抽象的な表現では、マイナス評価にあたる仕打ちを受けたと主観で受け止めている、という以上の判断ができない。具体的にどのような仕打ちを受けたかがわからなければ、情報としてはあまり役に立たない。


 せめて、事件に対する感想とか、人に対する印象とか、そういうものを読み取れれば、少なくとも手掛かりになるだろうに。


《でも、大人の体を持って異世界へポン、だからね。狂人扱いされて修道院まっしぐらはゴメンだし、だからといって手をこまねいて自滅も勘弁してほしいし。ひとまず、婚約破棄の一件をうまいこと切り抜けるのが最重要課題かな》


 異世界といえば、前世の知識を使って、成り上がるかスローライフを満喫すると相場が決まっているけど、どうやら、そんな選択肢は用意されていないようだ。

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